城でも、庭でも、工芸でも、美術館でもない金沢のこころ | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

輪島の労働者

輪島では県立工芸美術館を訪れた。輪島塗の巨大な地球儀などはさすがにクオリティが高い。市民もこの「加賀百万石」のレガシーを誇りに思っている。職人たちの背中を見ながら、生涯をかけてそのレガシーを受け継ごうとしている誇りがひしひしと伝わってくる。一方、モノとカネの流れを解き明かす「資本論」という色眼鏡をかけると、何かが隠蔽されていることに気づく。

資本主義的生産は労働者を搾取するための条件を存続させようとする。つまり、労働者が生存のために労働力を売って、資本家を豊かにしてくれるよう仕向ける。資本家は労働者が生産した富を利用して、労働者を買う。こうして労働者は市場で労働力の売り手として資本家と出会うが、実は彼は自分を資本に売る前から資本に隷属している。それは労働力の販売の周期的な更新と、雇い主が変わることで隠蔽されている。(1-23)

 つまり職人たちは食っていくために労働力を提供する。資本家は職人たちの労働で投資した分のもとを取れば、それ以上の利益ががっぽがっぽと懐に入ってくるはずだ。しかしこうしたメカニズムは現場で刷毛を持ち、ろくろを回すのに神経を集中させている職人からは可視化しにくく、「ゼニの流れ」に気づきにくい。

しかし不況の時はどうなるか。能登町黒川の天領庄屋中谷家という庄屋の家にはなんと朱色と黒の総輪島塗の蔵がある。一見贅を尽くした建物に見えるが、建てさせた経緯を知ると極めて興味深い。二百年ほど前に極めて景気が悪化した際、塗師屋を支える意味でここまで豪華絢爛な蔵を建てたというのだ。今でいえば公共工事に近い。資本主義の萌芽期だった江戸時代にも、このような発想があったのが驚きである。

 日本はいつから資本主義を導入したかという議論には諸説あるが、少なくとも加賀藩ではそのようなcapitalismの「訳語」はなかったにせよ、江戸時代からすでにそれに相当するカネとモノの流れはあったのだ。

 

近江町市場で酒盛りに興じる労働者と笑いが止まらぬ資本家

 朝、ホテルを出て「金沢の台所」と呼ばれ、市民にも観光客にも愛される近江町市場に行ってみた。16世紀の尾山御坊時代にすでにあったというこの市場は、読んで字のごとく近江八幡の商人たちが定住したものという。定番ではあるが、カブとブリを糀(こうじ)で醸(かも)したかぶら寿司や、高山右近由来の南蛮料理をルーツにするともいう鴨の治部煮(じぶに)などを手に入れた。

夜勤明けだろうか、作業着を着た若者たちを見た。解放感にあふれており、朝から生ビールでのどを潤している。私も呑みたくなってくる。しかし正月でもないのに朝から呑むほど自堕落でもない。あえて無粋なマルクスの言葉を思い出してみる。

勤務日には、まるでエンジンに燃料を補給するように、労働者は自分の労働力を維持するために個人的な消費をする。これは生産手段に必要な消費でもある。彼の個人的消費は生産的消費になる。だから資本家は一石二鳥の効果を得る。労働力を使った資本が、生産の手段を維持するために使われたからだ

つまり目の前の若者たちは夕べから徹夜の労働を終えて解放感に浸っているが、それも今夜の仕事に備えるべく疲労回復を目的とするため、と考えると面白くなくなる。だからといってそこで思考停止をすると、本当に笑いが止まらなくなる人物が見えてくる。身銭を切って疲労回復をすることであくる日の仕事の体調を整えてくれるのに気づかぬ労働者を雇う資本家たちである。だが、マルクスを読むと時にビールがまずくなる。

 

金沢の人の隠れたこだわり

とはいえ城あり、庭あり、工芸品あり、茶屋街あり、文学あり、美術館あり、市場ありのこの街の市民が、その礎を築い「加賀百万石」を誇る気持ちもよくわかる。ただ、旅先ではいつも「目に見えないものを見よ」と自らに言い聞かせている私は、この観光地として洗練され、しかも多様なこの町が、言われなければ気づかないあることにこだわっていることに気づいた。それは、金沢城と兼六園がある小立野(こだつの)台地は前田利家入城以前の一世紀にわたり、尾山御坊という一向宗の加賀における大本営だったということだ。

 金沢の、というより北陸の人々の間では浄土真宗の死生観値観が浸透しているという。しかしその割にはこのかつての御坊の跡地に建てられた城と庭にはほぼその形跡が残されていない。あえて探し当てたのが二の丸から本丸三十間長屋に向かう途中にかけられた極楽橋ぐらいか。かつて門徒たちはここから西方に沈む夕陽を眺めて極楽往生を想ったという。しかしこの超一流の観光地のどこを探してもかつて信長や秀吉、家康など天下人を最も悩ませ、恐れさせた一向宗の夢の跡を感ずるには程遠い。

金城麗澤と分かち合いのこころ

 逆に私がこの町で感心した、おそらく金沢の人々のこころの拠り所ともいえる場所がある。兼六園内の金城麗澤(きんじょうれいたく)という泉である。何の変哲もない屋根付きの泉だが、ここが「金沢」という地名の由来という。

今は昔、藤五郎という無欲な青年がいたが、大和国から長者が娘を連れて来て、「そなたの嫁に」と置いていった。めおとになった二人は、長者が残した金子を周りの人々に分けてやり、すっからかんになってもあっけらかんとしていた。見かねた長者が新たに砂金を送ったら、藤五郎は空を飛ぶ雁を取ろうと石ころ代わりにその金子袋を投げたので、砂金は散らばってしまった。

さすがの妻も怒り出すと、藤五郎は「砂金なんて、芋を掘れば出てくる」というので、掘りだした自然薯を洗うと、それが砂金になった。しかし夫婦はその砂金も皆に分け与えながら幸せに暮らした。金城麗澤とは砂金を洗った沢だったのだ。

 「持つ者」「持たざる者」の対立が資本主義の必然で、それが革命の起爆剤になるというのがマルクスの説だが、なぜか日本では、少なくとも江戸時代の北陸ではそうはならなかった。その理由の一つとして奥能登の中谷家のような不景気の際に苦労を分かち合うために公共事業をさせる庄屋や、砂金を独り占めにしない藤五郎のような、分かち合いの精神があったからではなかろうか。

 そしてその分かち合いの精神が特にこの地で広まった理由の一つが真宗門徒の「講」ではないかと私はみている。

 

高尾(たこう)城―神も仏のつくり物?

 金沢城から南へ8㎞行くと、室町時代の当地の守護大名富樫正親の居城、高尾城跡があり、金沢平野が一望できる。富樫は応仁の乱の真っただ中の1473年、一向宗を利用して敵対する弟を破ったが、その後の扱いへの不満から一向宗と対立。最期は1488年にこの城に立てこもったが攻め落とされて自害した。

その後約一世紀にわたり、日本に初めて民衆による共和制に近い政治体制をもつコミューンができた。いわばここは「百姓のもちたる国」発祥の地なのだ。そしてこのコミューンは燎原の火のごとく北陸各地に広まっていった。

 ちなみに唯物論者マルクスは神仏など信じていない。曰く、

 神や天使、悪魔が「人間の想像の産物」と割り切ってしまえば、神を崇拝する人々は、自分の頭脳から生まれたものを崇拝していることになる。(1-1)

 つまり、神仏は自分の脳内で生産し、それに慰められているようなものだと極めて軽く考えている。富山県南砺市で開発された、動いたり鳴いたりするアザラシ型ロボット「パロ」を医療用に使用し、傷ついた人々を慰めるというが、マルクスに言わせれば神仏もパロのようなものなのだろう。さらに人間が神仏を作り上げたのなら商品と同じだとみてか、こうも言っている。

 例えるなら、宗教の世界では人間の頭脳の産物が実在の人物のように登場し、それらがお互いに関係を結んだり、人間と関わったりしている。 商品の世界では、人間の産物である商品がこのように振舞っているのだ。この現象を私は「物神崇拝」と呼ぶ。(1-1)

 つまり、真宗の教えは「念仏を唱えると極楽浄土に行ける」という安心を与える「心理的商品」であり、その「資本家」が親鸞であり蓮如であるといいたいのだろう。なるほど、真宗はともかく、「宗教ビジネス」という言葉があるように、教義も流通すべき商品としてしかみないのだ。さらに続ける。

頭脳が作り出した悪魔や天使は、信仰を捨てれば消えてしまうが、資本主義社会の物神崇拝が消えるには商品の生産が中断されなければならない。無論、そんなことはあり得ない。だから、物神崇拝などの非人間的な面は商品の生産、そして資本主義システムの必然的な結果なのである。(1-1)

 つまり物流システムをとることが不可能な資本主義は極楽浄土への往生を信仰する心より強いのだという。宗教とビジネスを同列に論じることの意味のなさを感じないでもないが、宗教をビジネスとし、国政にまで関与する輩が現にいる昨今、頭ごなしに否定できない。おそらく一向宗をつぶそうとした諸大名も、門徒たちの信ずる「極楽浄土への往生」を、新手の新宗教がでっちあげた「商品」と嗤っていたかもしれない。

しかし私はそれを夢まぼろしのような実体のない「商品」とは思わない。ソ連や中華人民共和国のコミュニズムがかりそめにも抱いてきた人民の平等性という「商品」の賞味期間よりは「百姓のもちたる国」のほうが長いではないか。一世紀の長きにわたって人々が信じ、独立を維持し、武力により鎮圧されたとしても、その後四百年以上も北陸の人々の心の中に生き続けてきた「なにか」に実体がないわけないと考えるのだ。(続)

 

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