輪島塗 一つ参萬円也! | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

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2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

奥能登へ:ゼニが先か、モノが先か

日本で「商品→お金→商品」という「モノとカネの流れ」のメカニズムが行われていた19世紀半ばは、まさに海の向こうでマルクスがこの理論を練っている最中だった。ただ、この流れも絶対ではなく、「卵が先か鶏が先か」ではないが「先立つモノはカネ」という流れに関してもマルクスは述べている。

私たちはこれ以外の形の流通を知っている。それは、 お金→商品→お金である。これはお金で商品を買い、その商品を売ってお金を得ることだ。お金が商品に変容し、そして商品が再びお金に変容すること、もしくは売るために買うことである。このように流通するお金を、「資本」と いう。(1-1)

 これは前田藩という「大資本家」レベルでみるよりも、例えば輪島塗の親方である「塗師屋(ぬしや)」を例にとってみるほうが分かりやすいので場所を能登に変えよう。

金沢を離れて七尾湾に面した名湯和倉温泉で湯浴みし、翌朝峠を越えて奥能登は輪島に向かった。ここは北前船の寄港地として栄えた北陸随一の港町であるとともに、三十数件もの塗師屋が軒を連ねる職人の町でもある。町の名物の朝市では、海産物の他にやはり高級品から普段使いのものまで、さまざまな漆器も並んでいる。

これらの売り物を作った塗師屋は原材料である木や漆、飾りを施すための顔料や金粉などを原則現金で購入する。それに手を加えて漆器ができ、完成品を卸すことで利益を得る。ゼニ→モノ→ゼニという流れのメカニズムは言われなくても分かっていたろうが、自分の家で使うためではなく、仲買人に買い取ってもらうために作るための最初のお金を「資本」と呼んだのがマルクスだ。

 

輪島塗…一つ金参萬円也

 「お、これは…」と思った器があったが値段を見てあきらめた。金参萬円也。さすがに124もの工程で作られる匠の技だけある。店員さんに言われた。「これは子々孫々直し続けて三百年もちます。」すると一年百円か。安い、と錯覚した。

一瞬財布と相談しかけたが、三百年分の漆器代金を一度に出そうにも「先立つモノ」がなく、「毎年百円ずつ、子孫にも払わせるので、今日のところは百円で…」と冗談で言ってみたが、笑っていなされた。やはりこれは「生活必需品」ではなく盆や正月、来客用の「贅沢品」だ。マルクス曰く、

 消費材は「生活必需品」と「贅沢品」の2つに分類することができる。生活必需品は、資本家も労働者も消費するが、贅沢品は資本家階級の消費に限るため、労働者から搾取した剰余価値からの支払いと交換されるだけだ。(2—20)

 つまりやはりその輪島塗は、かつてなら能登の職人たちを働かせて搾り上げ、投資以上の余剰金を稼いだ者のみ買えるものであり、私のような者はお呼びではないということだ。逆に言えば、輪島塗が買いたければ、たくさん人を雇って金を稼がせてから出直せ、ということであろう。しかし資本家とはいえどいつも順風満帆にはいくまい。恐慌の時にはどうするか。マルクスは続ける。

ところが、恐慌のときには贅沢品の消費が減少する。つまりそれは、贅沢品生産の可変資本の、貨幣資本への転化を停滞させる。そこで、贅沢品を生産する労働者は解雇される。その結果、彼らが消費していた生活必需品の販売も減少するというわけだ。(2—20)

「可変資本」とは、塗師屋でいうと一人一人の職人の労賃である。つまり恐慌だと輪島塗の顧客層だった資本家も財布のひもを締めるはずだから、売れなくなる。すると雇っている職人の首を切らねばならなくなる。そうするとそれまで生活必需品だけは買ってきた職人たちが、必需品さえ買えなくなる。この循環が恐慌の基本原理らしい。

 

「道具」の大切さと「加賀百万石流資本主義」

また、塗師屋では制作の際の実に様々な道具を見せてもらった。これについてもマルクス曰く、

労働のプロセスとは、人間の労働が道具の助けを借りて、原材料を変化させることだ。(1-7)

果物など、すでに完成された自然物を収穫する活動を除けば、労働者が最初に持っているのは労働の対象ではなく、道具である。(1-7)

当然ながらこれら数多の道具類がなければ仕事にならない。輪島塗=原料×道具×匠の技、という公式が頭に浮かんだ。そして少なくともモノ作りはほぼみなそうである。ここで作られた塗り物が、かつては加賀藩経由で全国に広まっていったが、最高級品を召し上げた「大資本家」たる前田の殿様がここに投資したのはなぜか。マルクスは言う。

資本家は商品を、それ自体の使用価値のためには生産しない。資本家が商品を生産する理由はただ、それが交換価値が体現されたものだからだ。資本家には2つの目的がある。彼は「交換価値のある使用価値を生み出す」ことを望む。 それは〝売れる商品〟を作り出すことにつながる。 そして彼は、その交換価値が「生産費用よりも高い価値で売れる」ことを望む。 価値を生み出すだけではなく、剰余価値を生み出そうとするのだ。(1-7)

 つまり前田の殿様自ら使用する漆器はごくわずかで、漆器の多くが将軍家や他藩に流れていった。そして加賀は将軍からお家安泰が保証され、評判が評判を呼びモノが売れればブランドとして確立され、「売れる商品」を大量に生産し、生産過程にはるかに上乗せさせた現金収入となって戻ってくる。これが「加賀百万石流資本主義」である。

総漆塗の蔵の意味

 なるほど、男が一生の仕事として全身全霊でモノづくりに没頭する姿は美しい。しかし不景気で高級品が売れなくなった末に首を切られた職人たちはどうなるだろうか。マルクス曰く、

一生をかけて、ひとつの作業だけをする労働者は、速い速度と生産性を持つ。こうしてひとつの特殊な作業だけに特化した「部分労働者」は、他の仕事がまったくできない欠陥だらけの人だが、協業システムの一部としては完璧なパーツになる。そこで資本は、ひとつの作業に特化した労働者を、普通の労働者より好む。こうして作業はたくさんの専門分野に分化し、分業は深化していく。 分業は、資本主義以前から存在した。にもかかわらず資本主義で分業が特別なのは、その目的が剰余価値と剰余価値率を増やすためだという点にあるからである。(1-14)

輪島塗では最多で124もの工程があるというが、日本中で輪島塗が売れると分業化がさらに進む。しかし独りで独立してやっていけるほど単純な作業ではない。すべての工程が熟練の職人によってなされるはずだ。ということは一人ひとりの職人はそれだけでは何もできないではないか。それが近代資本主義の抱えた問題である。

輪島にもその問題はあった。能登町黒川の天領庄屋中谷家という庄屋の家にはなんと朱色と黒の総輪島塗の蔵がある。一見贅を尽くした建物に見えるが、建てさせた経緯を知ると極めて興味深い。二百年ほど前に極めて景気が悪化した際、塗師屋を支える意味でここまで豪華絢爛の蔵を建てたというのだ。今でいえば公共工事に近い。資本主義の萌芽期だった江戸時代にも、このような発想があったのが驚きである。

 日本はいつから資本主義を導入したかという議論には諸説あるが、少なくとも加賀藩ではそのようなcapitalismの「訳語」はなかったにせよ、江戸時代からすでにそれに相当するカネとモノの流れはあったのだ。(続)

 

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