ナムアミダブツの夢の跡 一向一揆の里と満州 | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

 道の駅の名は「一向一揆の里」

 母の実家が熱心な真宗門徒だったため、私も子どものころから真宗的死生観が身についているようだ。一方高田家は曹洞宗ではあるが、ほとんど禅や道元禅師に関して教えられることはなかった。そんな私が日本で最も気になる道の駅がある。その名も白山市鳥越にある「道の駅 一向一揆の里」である。こんなネーミングをつけるセンスに驚きと期待を隠せない。

行ってみるといたって平凡である。地元の野菜や山菜、名物のそばなどが売っている、どこにでも見かけるものだ。しかし看板倒れではない。閉館中ではあったが隣接地にある加賀一向一揆記念館では、一世紀にわたって続いた「百姓のもちたる国」の最期を見ることができる。

その時、背後の二曲(ふとげ)城跡や、川向いに堀や櫓門が推定復元された鳥越城にたてこもった門徒たちは、大坂の石山本願寺が信長軍に譲歩して城を明け渡した1580年、信長配下の柴田勝家軍の降伏勧告に応じて城を下りた城主鈴木出羽守親子は勝家軍に謀殺され、城も攻め落とされた。

その後ゲリラとして抵抗をつづけた門徒衆は2年後に城を奪還したが、それも束の間で織田方に再び奪還され、女、子ども、年寄りまで数百人もの門徒たちが手取川の河川敷で磔に処された。ナムアミダブツ、ナムアミダブツの声が周辺に響き渡り、深い青緑色をたたえた手取川も流血で染まったことだろう。周辺の集落は全滅。生存者はほぼいなかったという。ここに一世紀にわたる加賀一向一揆は終わった。領主のいうことに服従せずに生きる自由な生き方が再び戻ってくるのはそれから300年後のことだった。

 

コミュニストというより「講ミュニスト」の北陸人

 真宗門徒の間では「同朋(どうぼう)」という言葉がある。江戸時代になると一向宗は「本願寺派」、いわゆる西本願寺を拠点とし、東本願寺を拠点とする「大谷派」と対立するようになるが、いずれも阿弥陀如来の下ではみな隔てない兄弟であると考える。マルクス・レーニンの思想に基づき、革命を起こして国を建てた人々も共産主義という理念の下では人民はみな平等だということになっていたはずだ。ソ連崩壊後もそれを信ずる人々がどれほどいるかは怪しいところだが、北陸の門徒たちはこの「同朋」という観念を今なお持ち続けている。そうでなければ道の駅の名を「一向一揆の里」などとはしないだろう。

 そしてこの信念を支えたものの一つが「講」である。門徒ならみな11月28日(東本願寺等)または1月16日(西本願寺等)が親鸞聖人の命日である「報恩講」であることを知っている。そして近所の門徒同士で集まり、お経をあげて会食をする。特に北陸ではこれを「ほんこさん」と呼び、親鸞聖人の好んだ小豆を使った料理を膳に並べる。昔は盆と正月に並ぶ楽しみな行事だったという。

雪深い北陸の地で、ともに共同体の仲間が集い、お経をあげ、会食をみなで準備して食す風習が五百年以上続いた。これが「同朋意識」を強める原因になったというが私の見方だ。

阿弥陀如来による極楽往生を信ずる門徒であるから共同体単位で豊かさを追求していてもコミュニストとは呼べまいが、「講ミュニスト」という造語でしゃれてみたい。ちなみに本願寺派と大谷派は共通の経典「正信偈」をあげるが、その節は違う。私は大谷派の節で唱えるため、一向宗の本願寺派からすると違和感をもたれることは重々承知だが、みな「同朋」であるという思いが強く、大谷派流の正信偈をあげて、「ナムアミダブツの夢のあと」を後にした。(続)

 

 白山郷開拓団

 富士山、立山と並ぶ日本三霊山のひとつが手取川の水源地、白山である。水が豊かなため、手取川の他に西は福井県の大河、九頭竜川の源流、南は岐阜県の大河、長良川の源流にもなっており、神仏習合の白山権現として篤い崇拝を受けてきた。しかし手取川沿いは度重なる水害で農業には適さず、戦前は村民の一部を満州に送らざるを得なかった。彼らは「白山郷開拓団」と呼ばれた。

 彼らが満州まで送られるようになった原因の一つに、人口爆発がある。東北では特に女の子の「間引き」が行われたというが、殺生を禁ずる真宗の教えにより、北陸では子だくさんが通常だったという。毎年十数パーセントの人口増加ではこのせせこましい白山麓ではとうてい食わせきれない。また、資本主義の破綻といえる、1929年からの世界恐慌の波が北陸まで襲ったことも挙げられる。さらに言えば当時の拓務大臣が金沢出身の永井柳太郎だったこともあり、県民の「新天地」として満州移民に意欲的だったこともある。

 1937年から数年にわたって総勢499名の人々が送り込まれたのは、現黒竜江省チチハル市の農村「亜州屯」だった。冬は氷点下三十度以下になる酷寒の地だが、広い農場を耕すことができたのは、すでに現地の漢人、朝鮮人たちが耕していた土地を国が二束三文で購入し、開拓団員自らも耕す傍ら、彼らにも働かせて生産性をあげたという。「資本論」にはこのようなくだりがある。

商品の世界では、人の労働の産物、すなわち商品が人間と関係を結んでいる。経済的関係はすべて商品を通じて行われる。人間の労働はお互いに交換されるが、それは直接交換されるのではなく、商品の形で交換される。我々は商品を買うとき、それが誰の労働の産物か、特に意識しない。1-1

 

侵略のお先棒を担いでいた農民たち

 例えば今着ている服をだれが作ったか、意識しない。しかし開拓団の場合はどうか。農地も商品である。肥沃で広大な満州の農地を白山郷開拓団は譲り受けたのだが、それがだれによって耕されたか、つまり現地人の血と汗と涙の結晶である事実を、同じ農民である彼らが知らぬはずはない。しかしその資本主義のメカニズムにはほっかむりをし続けた。そうするしかなかったのだ。開拓団について、中国人なら「資本論」のこの部分を思い出すかもしれない。

イギリスでは、かつては自分の畑を耕作し、ある程度裕福な生活をしていた農民(土地所有者)がたくさんいた。(中略) だが、1470年から1500年代までの数十年間で、強大な領主が武力で農民の土地を奪い、多くのプロレタリア(賃金労働者)を生み出した。(中略)やがて領主たちは奪った耕作地を、牧草地に変えた。 その後、追い出された農民たちは日雇い労働者に転落した。このように暴力による略奪の結果が、現代の私有資産に転化したのが、「最初の蓄積」の方法のひとつだった。(1-27)

 これは「資本家」がどうして誕生したかに関するマルクスの解説だ。資本主義の矛盾で満州に放り出された日本の農民の多くは家族ぐるみで働いてはいた。しかし実際は満州の農民が切り開いた土地を、関東軍に守られた日本の農民が奪い、かつての自らの土地で小作になっていた。こうして日本の農民は満州で「資本家」となるはずだったが、日本が戦争に負けたため、白山郷開拓団の団員をも悲劇が襲った。その強烈すぎる「しっぺ返し」が来たのが1945年8月9日のソ連軍による満州侵攻だ。

満州に響き渡った「ナムアミダブツ」の声

自分たちを守るはずの関東軍には逃げられ、積年の恨みを募らせた現地の人々や匪賊に襲われた人々は、女子どもと年寄りがほとんどで、8月27日に現地の小学校に集まって集団自決をしだした。家族同士、同じ「講」の者同士、農具や包丁で殺し合い、または縄で首をくくったという。ここでも皆口々に「ナムアミダブツ」を唱えていった。家族まで労働の犠牲に差し出さざるを得なかった農民たちについて、マルクスはこう述べている。

資本主義のシステムでは社会的な労働生産性を増やすため、個々の労働者が犠牲になる。労働生産性を増やすためのすべての方法は、労働者の労働条件を改悪し、労働の過程で資本家の独裁に屈服させ、すべての生活時間を労働時間に転換させ、彼の妻子をも資本の巨大な車輪の下に連れていく。(1-25)

 資本主義の破綻が遠因となり、満州に追いやられたが、そこで現地人の感情を無視してきたしわ寄せが弱者に来た。死体にまともな状態のものはなく、着ていた服まですべて脱がされて転がされていたという。結局故郷白山麓に戻れたのは約三割、つまり七割に当たる約350名が集団自決ないしはその後の逃避行で命を失ったという。

戦国時代には自治を求めて立ち上がった一向宗の子孫が、何の因果か戦前は他国を支配する側の尖兵の立場に知らぬうちに立たされ、いずれも阿鼻叫喚の中、三百名もの命が犠牲となった。白山市の鳥越村戦没者慰霊の広場には彼らの慰霊碑がぽつんと立っているので、ここでも正信偈をあげて、霧雨に霞んで見えない白山を後にした。(続)

 

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