「資本論」をかじって歩く北国 | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

「資本論」をかじって歩く北国

 私は、「資本論」を通しで読んだことがなかった。昭和と米ソ対立が終了した1989年に高校生だったが、グラスノスチ(情報公開)等のペレストロイカによって東西関係が緩和(デタント)していた当時、昭和のインテリたちを虜にしていた「資本論」は、気にはなっていたが既に「骨董品」にしか見えなかったからだ。しかし平成という下り坂を下りきって令和になった今、三十年ぶりになぜか気になりだしたのがこの本だった。

昭和の終焉とともに共産主義勢力はこの国からフェイドアウトしていったが、平成の終焉を迎えたころには資本主義の矛盾があまりにも激しく目の前に立ちはだかっていることを実感すると、「資本論」に書かれていたことを改めて知りたくなってきたのだ。難解なのはわかっていた。そして十数冊の解説書を読んだ。しかし原典は和訳でもよく理解できない。しかし気に入った訳(解説書?)はある。許成準氏の「超訳 資本論」および的場昭弘氏の「超訳 資本論」という解説書である。

私自身、これまで翻訳の仕事をしてきてこれには三種類あると気づいた。著者のほうを向いて訳す直訳と、読者のほうを向いて訳す意訳。そして言語を超えて著者のもっとも言わんとすることを読者に伝える超訳。私は時にこの超訳を好む。

「超訳」という名の解説書を読んで、それを旅しながら実感してみたいと思い、初秋の北海道と北陸を数年にわたって歩いてみた。ゼニとモノが渦巻く町というと東京や大阪がまず思い浮かぶが、津々浦々までこのゼニとモノが渦巻いていることを、旅を通して改めて知ることとなった。

以下は「資本論」にインスパイアされ、数年間歩いてみた北国、特に北海道と北陸のカネとモノの動きであるが、訳は主として許氏のものを採用した。なお例えば(1-1)とあるのは第一巻第一章を意味する。

 「商品」としてのアットゥシと自分が着るためのアットゥシ

 北海道を中心に住んできたアイヌ人。私はその自然とともに生きる寡黙な魅力に惹かれ、白老や二風谷、阿寒など、観光地となったアイヌコタン(村)を訪れてきた。それぞれのコタンでアイヌ人の老婆がアットゥシという羽織のような民族衣装を織っている姿を見た。「資本論」にアイヌ人は出てこないが、アメリカ先住民の話が出てくる。

商品の生産には分業が不可欠だが、分業に商品生産が不可欠というわけではない。インディアンの社会にも社会的な分業があったが、商品は生産しなかった。というのも、資本主義社会の工場では労働がシステムごとに分業されているが、インディアンのように工場内で生産物を交換することはない。 (1-1)

 あの老婆たちが織っていたアットゥシは販売を目的としたものだったのだろうか。それとも自分や家族やウタリ(仲間たち)に着せるためのものだったのだろうか。マルクス曰く、前者なら資本主義社会にいて流通すべき「商品」であり、後者ならばそうはならない。

 また例えばコタンではどこでも男女の木彫り「ウポポ」やクマの木彫りをお土産として売っている。そしてその彫り仕事もある程度分業化されている。マルクスは資本主義社会の特徴として分業を挙げているが、それはこの場合、お土産として販売するために流通させる場合である。

一方、コタンのあちこちでカムイ(神)に捧げるイナウ(枝を削って作る御幣のようなもの)を見るが、これらは販売用では決してない。また換金価値のない、つまり商品でないものをどれだけ分業で作ったとしても、資本主義社会ではそれは「なんでもないもの」なのだろうか。

 

黄昏の夕張で知る商品の「質」と「量」

 秋風さわやかなある日、札幌から夕張に向かった。明治時代から北日本最大の炭鉱として繁栄を極めた夕張。しかし60年代のエネルギー革命によって、石炭から石油や電気にエネルギーが移ると、町全体が沈み込んでしまい、半世紀経たない2006年には財政再建団体にまでなってしまった。沈み込んだ町のかつての栄華を誇る石炭博物館で、掘り出された石炭をみながら思い出したのが、マルクスのいう「質」と「量」の話だ。

全ての商品は、2つの観点から見ることができる。それは「質」と「量」だ。「質」は、商品が持つ性質と、その活用方法のことを指す。そして「量」は、それがどういった比率で他の商品と交換されるのかを指している。(1-1) 

 つまりここでいえば「商品」としての石炭を例にとると、エネルギー源という「質」という点、そしてそれが1トンいくらで売れるかという二つの側面から見ることができるというのだ。そして石炭という商品にはそれ自体の使い道があるだけでなく、現金化することによってまた別の使い道もあることを述べている。

例えば鉄、コーン、ダイヤモンドなどの商品は使い道があるから、使用価値を持つ。 使用価値が現実化されるのは、それが消費されるときのみだ。 そして社会の中では、使用価値だけではなく「交換価値」も持つ。 例えばコーンは、一定の比率の鉄と交換することができる。「使用価値」は、「質の違い」だが、「交換価値」は「量の違い」である。(1-1)

 石炭は燃やせばエネルギーになる。しかしアイヌの木彫りには飾る以外の使い道がない。酷寒の状況で暖を取るために燃やす、というのはその極端な「使用法」ではあるが、一般的ではない。つまり木彫りの「使用価値」は極めて低いが、それを観光客に売るという「交換価値」はある。これは木彫りと石炭の大きな違いだろう。

木彫りと石炭の共通項は「労働」

とはいえ木彫りと石炭もある一定の比率で交換が可能だとするならば、それはなぜだろうか。

2つの違う商品が交換されるとき、その量には比率がある。 例えば1キロのコーンは、Xグラムの鉄と同じだ。この関係が何を表すか? 1キロのコーンとXグラムの鉄には「共通の何か」があるということだ。

 その「共通の何か」を見抜き、それが資本主義のメカニズムを成り立たせていると喝破したのがマルクスだった。

労働力の価値は、他のすべての商品のように、それを生産するためにかかった労働時間で決まる。それは、労働力を維持するためにかかる費用の価値である。労働力は、それを発揮する方法でしか現実化することができない。 労働力を発揮すると、人間の筋肉や神経、頭脳がすり減る。だから労働力を維持するためには、食べ物や衣類、家などが必要だ。(1-6)

 つまり、炭鉱夫であろうが、木彫り職人であろうが、仕事をすれば体力や集中力等を消耗する。それを回復させるには衣食住が必要となる。それらを稼ぐためにも労働を必要とするのだ。木彫りと石炭をいくら見つめてもその共通点が見えてこないが、その裏に労働力があり、その労働時間をカネに換算し、例えば木彫りのクマ1個と石炭100㎏、というような交換比率がそこにはある、とマルクスは説いたのだ。

 石炭博物館では晴れていたのに、秋の天気は変わりやすい。土砂降りになった。急遽札幌のホテルに戻り、翌日小樽に向かった。(続)

 

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