昼は孔孟に励まされ、夜は老荘に癒されー白神山地と立山 | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

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2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

 

昼は孔孟に励まされ、夜は老荘に癒され

 昭和の終わりのころ、私は奥出雲の田舎の高校に通っていた。好きな科目は英語と日本史と漢文という、「超」文系青年だった。学科に対する興味の偏重からして、通訳案内士の基礎はこのころ学んだのかもしれない。中でも私のものの考え方に影響を与えたのは漢文の時間に習った老荘思想だった。

日本中の高校生と同じく、私も受験勉強が大嫌いだった。しかしただ嫌いなだけでは頭の悪さを証明しているようで高校生なりのプライドが傷つく。そこで「知的武装」としての老荘思想が心のなかにしみいったのかもしれない。その中でもこの一言は最後の受験地獄世代であった団塊ジュニアの私にとって爽快ですらあった。

 「絶学無憂(勉強なんかやめれば悩みや苦しみから解放されるのに!)」

 矛盾するようだが、受験嫌いの私は当時の日本のような受験地獄のないアメリカに憧れて英語を学び、戦国時代や幕末のロマンに憧れて日本史を学び、そして学ぶことを否定する老荘を学んだ。そして通訳案内士となってから歩いた日本をつぶさに見るにつけ、表面上は孔孟の教えをありがたく学ぶ我々の祖先たちも、本音のところでは老荘の中に遊んできたことを確認することになった。「昼は孔孟に励まされ、夜は老荘に癒される」。このバランスが日本の精神文化を生んだのではなかったか。

そう考えると高校時代に科挙のような受験体制から脱落した私を老荘思想が救ってくれたのも、日本ではよくあるパターンではないかと思える。老荘思想を知ると、日本人の「本音」が見えてくる。今回は老荘という観点から日本を縦断するが、拙文では老荘思想にふさわしい、のんびり目立たないマイペースな在り方を「タオな」「タオっている」などという造語を使いつつ話を進めていこう。

 

白神山地―役に立たな過ぎて世界遺産に?

1993年、日本初の世界遺産登録を成し遂げた対象のうち、最も知名度が低いと思われるのが白神山地である。法隆寺や姫路城の知名度は群を抜いているし、同じ自然遺産でも屋久島のほうが「縄文杉」という絵になるシンボルがあり、知られていた。それに比べて白神山地で絵になるシンボルはあるのか?そしてそもそも東北地方以外の人はそれが青森県と秋田県の境にあることも、そこがアジア最大のブナの原生林が生い茂る場所であったことも知らなかったであろう。その「ひっそり感」こそがまさにタオである。

「老子」にはこうある。

和其光、同其塵。(ピカピカ、ギラギラした光よりも、のそっとのっぺりと生きていこう。)

故事成語のいわゆる「和光同塵」というものの語源であるが、白神山地にブナの原生林が残った理由がまた「タオ」っている。まっすぐな部分が少ないだけでなく、乾燥しにくく、カビが生えやすく、腐りやすいため、家を建てるための木材にはもちろん、薪にも不適だという。しかしだからこそ20世紀までほっておかれ、大規模伐採を免れてきた。「老子」はいう。

曲則全(ぐにゃっとした木なら切られることもない)

 

ウドの大木の活用法

さらに「荘子」でもこのような寓話がある。荘子の腐れ縁で、常識人の惠子(けいし)はこう言った。「僕のとこに大木があるんだが、その幹はゴツゴツしていて、枝もクルンと曲がっているので、木材にするためのモノサシを当てることもできない。だから道端にあっても、職人たちは見向きもしないんだ。」 それに対し荘子は返した。

「今 子 有 大 樹 , 患 其 無 用 , 何 不 樹 之 於 無 何 有 之 郷 , 廣 莫 之 野 , 彷 徨 乎 無 為 其 側 , 逍 遙 乎 寢 臥 其 下 。 不 夭 斤 斧 , 物 無 害 者 , 無 所 可 用 , 安 所 困 苦 哉。」

「それをウドの大木扱いしてぼやいているようだけど、それを誰もいないだだっ広いところに植えて、ぶらぶら、のんびりと気の向くままに歩いて、疲れたらごろんとその木の下に寝っ転がるなんていうのもオツなもんじゃないか。妙に役に立つから斧で切り倒されるんだ。人間の役にたたないからってぼやいてもしょうがないだろう。」

このときから私は「役立つ」という世間の基準を唯一絶対のものとする見方を十代の頃に捨てた。それよりものんびりぶらぶら気の向くままに歩くようになったのは、間違えなく老荘の影響だ。

ちなみに白神山地も役立たずではない。木材としては小さな家具を作るぐらいしかできなくても、保水力に優れ、しかもあれだけ広大な森林地帯があったおかげで、近海では地元の誇るハタハタなどにプランクトンを供給する。さらに、もしこれらの森が伐採されてしまえば、冬に積もる大量の雪がとけて直接秋田県側に流れ込み、水害が多発していたことだろう。エコロジー的視点から見れば、伐採して木材になる以上に人々の暮らしの役にたっていたのだ。

近視眼的に見れば損に見えても、長い目で見ればさらに大きな利益になることを大切にすることは、タオの教えの基本なのだ。

立山の水―「上善は水のごとし」

立山黒部アルペンルートは北アルプスを代表する観光ルートとなっている。ここを訪れる際に気を付けて見ておきたいのが「水」の視点で旅をすることだ。このルートは12月から翌年3月まではシベリア高気圧がもたらす冬季の積雪のため、横断できない。

立山信仰の拠点、標高2450mの室堂地区は、その雪が4月半ばには除雪され、高さ20mもの高さに積み上げられる。その積み重ねられてできた雪の壁の間を通る「雪の大谷ウォーク」は4月半ばから6月までの2ヵ月間しか楽しめないが、道路上は雪解け水で小川のようである。

その水は西に流れ、極楽浄土を思わせる、その名も「弥陀ヶ原」の湿原を潤す。ラムサール条約にも登録されているこの湿原のすぐ北には、日本三名瀑を三本合わせたよりも長い、落差350mの称名滝となって下に落ちる。左右が厚い岩に囲まれたこの滝は、サラウンド効果もあってか常にごうごうと山がうなっているかのような音がとどろいている。

その水が流れて常願寺川となるが、標高2661mの源流から富山湾までわずか56㎞で流れる激流である。富山湾の味覚といえばホタルイカ。それに栄養分を供給しているのもこの川である。これを明治時代に見たオランダ人河川技師は「これは川ではない、滝だ!」と叫んだそうだが、それは極端にしても確かに激流であることは分かる。

さて、水について「老子」はこのように述べている。

「上善若水。水善利萬物而不爭、處衆人之所惡、故幾於道。(何がすごいかって水ほどすごいものはない。みんなの役に立ちながらもぶつからず、人の嫌がる下手に流れていくのだから。ほとんど「タオ」ってる。)」

そういえば1963年に完成した黒部ダムも、堰止められた水が一気に放出されることでその電力を関西地方に送電し、その電気で阪神工業地帯の工場を稼働させるためにつくられたものだ。人造湖の黒部湖からダムの下の黒部川に水が落ち、そのV字型渓谷にそって走るトロッコ列車の途中駅では所々川岸から温泉がわく。そもそもその発着点は富山県を代表する温泉地、宇奈月温泉である。水がいかに柔軟かつ人々に恵みを与えているかが分かるというものだ。