本郷・東大を歩くー三四郎と迷える子羊 | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

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2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

 本郷・東大へ

 西日暮里から南西に向かって丘を登り、また下り、さらにまた登っていくと、ようやく本郷の東大が近づいてきた。この一帯を歩くと山の手がなぜ「山」の手と呼ばれるか実感する。江戸幕府はこの「大地のシワ」の隆起部分に藩邸を築かせて「山の手」とし、沈降部分は町人が住む「下町」とした。

やがて本郷の東大のシンボル、赤門が見えてくる。この一帯はかつて加賀百万石前田藩の大名屋敷があり、1827年、十一代将軍家斉の娘が加賀藩に輿入れしたことからこの門が表通りに築かれたという。その地が明治時代に日本の官僚を養成する期間としての東京帝国大学の校地とされると、この門は学術と立身出世のアイコンとして全国の若者たちの目標となった。江戸生まれの漱石も、伊予松山生まれの正岡子規もその一人だった。

 赤門から東大に入って散策すると、後者の裏にうっそうとした森が現れ、緑色を帯びた池が現れる。ここが三四郎池だ。ここは江戸時代には加賀藩邸の育徳園の池で、漱石や子規の時代には「心字池」と呼ばれていた。ここが「三四郎池」となったのも、漱石の「三四郎」で、女性の扱いなど知らぬ九州男児が上京し、うちわを手にした都会的でミステリアスなご令嬢、里見美彌子(みねこ)と出会った場所という設定になっていることからだ。

 

「滅びるね」

 「三四郎」に関するエピソードといえば、主人公の三四郎が熊本から上京する際の汽車の中で、東大の英語教師である広田先生との出会うシーンが興味深い。広田先生は三四郎に言う。

あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない

時は日露戦争後で、日本が「白人国家」に勝利を収めたとして鼻高々の時代である。そこで文明開化で躍進する祖国を誇らしく思う三四郎はむっと来たのかこう弁護した。

しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう

それに対する先生の答えが「滅びるね」だった。そして続けた。熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」(中略)「日本より頭の中のほうが広いでしょう」。さらに結論として「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」と述べた。この言葉が三四郎を覚醒させ、物理的にはもちろん、精神的にも故郷を離れさせたのだ

 

Stray sheep

 青春小説の代表作としても知られる本作だが、登場人物たちは漱石の周りの人物と言われる。つまり三四郎とは漱石の弟子で、独文学者の小宮豊隆、美禰子は平塚らいてう、そして広田先生こそ漱石の分身と言われる。

 平塚らいてう、というと先ほど「青鞜社発祥の地」として紹介した団子坂のあたりで活躍していた。作品の中の彼女を、三四郎はこう描写している。

「この女はすなおな足をまっすぐに前へ運ぶ。わざと女らしく甘えた歩き方をしない。したがってむやみにこっちから手を貸すわけにはいかない。」つまり、故郷の九州では見かけなかった「独立した都会の女性」の姿に何か新しいものを感じていたのだ。

そしてその団子坂の菊人形を仲間とともに訪れた際、波のような人ごみの中で美禰子と三四郎の二人が仲間とはぐれてしまった。小道を歩いていると、迷子になってしまったようだ。そこで英語の得意な美禰子が問う。

迷子の英訳を知っていらしって(中略)教えてあげましょうか(中略)迷える子《ストレイ・シープ》――わかって?

 美禰子は英語能力をひけらかしているわけではない。三四郎も、田舎者とはいえ東大生である。知らなかったはずはない。しかし彼はその後何度もこの「ストレイ・シープ」という言葉が頭にこびりついて離れないのだ。ペリー来航から戊辰戦争、西南戦争を経て西洋文明を徹底的に吸収する「文明開化」を実践してきた日本。東大というのはそのための「文明エキス」の吸収機関であり、そこで学ぶ三四郎たちはエキスを吸収・分解するバクテリアのような存在だった。

そして対外的には日清戦争、日露戦争で連勝し、領土を東亜に拡張し、吹けば飛ぶような極東の一小国が気づけば「白人による世界最大の国家」を破っていた。「自称一等国」を誇ってみたところで何か虚しい。国家として「自己実現」したつもりでも、自分をごまかすことはできない。

 

迷える子猫

「迷える子羊」ならぬ「迷える猫」はこうつぶやく。「呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする。」さらに、「吾輩は猫である」の前半は読みようによっては、猫=日本人、人間=列強国民と読み替え可能なものも少なくない。

吾輩は人間と同居して彼等を観察すればする程、彼等は我儘なものだと断言せざるを得ない様になった。

「いくら人間だって、そういつまでも栄える事もあるまい。まあ気を永く猫の時節を待つがよかろう。元来人間というものは、自己の力量に慢じて皆んな増長している。」

元来人間が何ぞというと猫々と、事もなげに軽侮の口調を以て吾輩を評価する癖があるは甚だよくない。

そして日本を含めた列強全体を指してこう戒める。

人間にせよ、動物にせよ、己を知るのは生涯の大事である。己を知る事が出来さえすれば人間も人間として猫より尊敬を受けてよろしい。

このように国際社会までをも批評しているかに見える迷い猫こそ、黒船来航以来半世紀あまりがむしゃらに走り続け、ふと立ち止まったら本来の己の姿を見失ってしまった「ストレイ・シープ」そのものの日本の姿だったのだろう。

「三四郎」の終盤で、他の男に嫁いでいくことを決めた美禰子は三四郎に向かってつぶやいた。「われは我が愆(とが)を知る。我が罪は常に我が前にあり」(旧約聖書「詩編」)。作品中最も「謎」であり、百家争鳴の見解が出てくるこの言葉だが、私にはここでいう「とが」とは、己の歩むべき道を捨て、列強と歩調を合わせることで「一等国」となったことを指しているように思え、また我が前にある「罪」とは、作品冒頭に出てくる広田先生の「滅びるね」とともに、これから起こりうる帝国主義国としての拡張と崩壊を予言しているように思えてくる。

「己を知る」というのは漱石が生涯を通して追求した「近代的自我の目覚め」につながる。それが作品の中で結実したのは「こころ」だと言われるが、そこに行く前にしばらく東京を離れ、東大で英文学を修めた彼の就職先でもあり、自伝的小説「坊っちゃん」の舞台でもある四国は松山を歩いてみたい。

 

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