脱亜論と諭吉ー展示館が隠したもの | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

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2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

 

展示館が隠す朝鮮との関係

博物館や資料館を見るときは、いつもの癖で「何をどう展示するか」というのと同じくらい、「何を展示しないか」「何を隠すか」にこだわってしまう。慶應義塾大学の福澤諭吉の展示館を訪れるにあたって最も気にかかっていたのは「脱亜論」をどう展示するか、またはしないかであった。

世にいう「脱亜論」というのは、諭吉が1882年に発刊した日刊新聞「時事新報」のなかで、1885年に書かれた二千数百字の社説である。もっとも有名なくだりを以下に抜粋してみよう。

今日の謀を為すに、我国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興すの猶予あるべからず、寧ろ、その伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那、朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に従て処分すべきのみ。

これが書かれた背景を説明しよう。「時事新報」発刊前年の1881年、慶應義塾は日本で初めて二人の朝鮮人留学生を受け入れた。諭吉は日本の発展に驚く彼らを見て、かつて幕末に洋行した自分も欧米文明の全てに驚いたことを思い出した。目の前にみる朝鮮人留学生に、二十年前の自分の姿を投影したのだ。
 そして真摯なる学問により文明を身に着けることで個人が独立し、その個人が国家を独立させることができるという彼の信念を二人の朝鮮服を着てたどたどしい日本語を話す若者たちに伝えたいという使命にかられたのだろう。

その後ますます朝鮮人留学生は増えていったが、彼らの中で日本をモデルに朝鮮を清朝のもとから独立させ、近代化させようという人材が育っていった。その中でも知られているのが開化派で現在の韓国の国旗「太極旗」を発案した朴泳孝(パク・ヨンヒョ)や、金玉均(キム・オッキュン)である。

「時事新報」の発刊されたころに東京に来た彼らはこの慶應義塾に寄食した。そして一時帰国の後に再度来日した金は、井上馨の口利きで運動資金を集め、翌83年早くも朝鮮初の新聞「漢城旬報」を発刊するなど、朝鮮の近代化に務めた。隣国も近代化することで、欧米に対して共闘できるというのが彼の布石だったのだろう。

 

金玉均のクーデター失敗

諭吉からの影響もあり、1884年に朝鮮を清朝から独立させ、独立した近代国家を目指すクーデター、「甲申事変(政変)」を企てた金は、成功したかに見えたが文字通りの「三日天下」で終わった。そして日本に亡命したが、朝鮮の後ろ盾となっていた清朝との不和を望まない日本政府は積極的に亡命を受け入れるわけにもいかず、亜熱帯の小笠原から亜寒帯の北海道にまで相次いで流された。「時事新報」にこの「脱亜論」が掲載されたのは、まさにこのような時期である。そしてこの論説はこのようにしめくくる。

悪友を親しむ者は共に悪名を免かるべからず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。

ここでいう「悪友」とは、諭吉が手塩にかけて育てた金たちの「義挙」を阻害した、朝鮮およびその背後の身長を指す。しかし、実はこれには署名がなされていない。つまり諭吉直筆の文章であるという決定的証拠はないのだ。また、生前の1898年にまとめられた「福澤全集」にも、1925年編纂の「続福澤全集」にも「脱亜論」は掲載されておらず、1933年の全集にようやく掲載されている。発表後半世紀は無視されていたものなのだ。そしてそれがアジア侵略に対する反省を含む文脈の中で取りざたされたのは1950年代以降という。果たして本当に諭吉が書いた文章なのか。

いずれにしても、「学問のすゝめ」時代のプラグマティックでカラッとした彼の思想からすると、これはヒステリックに思えさえする。しかもいくら明治時代とはいえ、現代から見ると隣国を「悪友」扱いするのは「ネトウヨ」のヘイトスピーチのようにも思える。ただ、他人が著した文だったとしても、その掲載を認めたのは諭吉である。

彼が支持した金は日清戦争直前の1894年3月、清朝の李鴻章に会いに上海へ向かったが、ホテルで朝鮮人の刺客、洪鐘宇(ホン・ジョンウ)に銃殺された。彼の遺体は朝鮮側が清朝と掛け合って「祖国」に戻させたが、それを文字通り「八つ裂き」にして各地で五体ばらばらのままさらされた。文京区本駒込の真浄寺には「朝鮮國金玉均君之墓」と彫られた墓がたてられているが、これは彼の衣服や遺髪を持ち帰った甲斐軍治という写真家が、諭吉経由でこの寺に納めたものだ。

この「野蛮な」処置に対する諭吉の怒りと悲しみは並々ならぬものだったろう。彼はこの愛弟子の葬儀を自宅で行い、真宗大谷派寺院であるこの寺に納めた。やはり真宗寺院が幼いころからなじみがあったのか、あるいは彼らしくはないが極楽浄土に往生してほしいと思ったのかは分からない。

 

諭吉と女性の社会進出

慶應義塾の記念館で、もう一つ気になるのは、諭吉を今でいうフェミニズムに理解のある人物であるかのように描かれていることだ。彼は欧米でレディ・ファーストを守る夫を見て、日本との大きな違いを感じた。そして「学問のすゝめ」の中にも「男も人なり、女も人なり」という言葉を残している。つまり学問をして独立し、国家を支えるのには男女関係ないという意味であろう。また、江戸時代に福岡の貝原益軒が婦人のあるべき態度をまとめた「女大学」を、封建思想そのものとして徹底的に批判した。

一見女性の社会進出に理解がありそうな発言だが、そのころ人口の約8割が農民であって、農民の場合は男女関係なく生涯はたらいていた。今とは別の意味で「社会参加」せざるを得なかったのだ。

一方でそのころ世間を騒がせた足尾銅山鉱毒問題に関しては、鉱毒に苦しむ農民が徒党を組んで政府に訴えようとする「百姓一揆」のようなことは受け入れられないと彼はいう。だがここにはそのような展示解説はない。農民が生活の独立を求めて立ち上がるのは彼にとって「一身の独立」ではないらしい。それよりも銅を産出することによる「一国の独立」を最優先するというダブルスタンダードがある。

ちなみに館内で最も気になるものの一つが彼の洋行土産として子どものために買ってきた乳母車である。いかにも「子煩悩なパパ」だったことをアピールするようなこれらの展示を見て、正直引っかかるものがあった。明治時代の家庭で子どもに乳母車を購入できるような家庭は、子煩悩なのではなく極めて特権階級だったことの証しではなかろうか。

やはり私には、上流階級は男女平等を目指し、農民に関しては我慢を強いているようにみえるのだ。とはいえそれも22世紀の視点であり、明治時代には彼も極めて斬新な考えの持ち主であったことは間違えない。それでも批判をするのは、やはり権威に対しても批判の手を緩めず意見を述べるディベートをこの日本に導入したのが諭吉その人だったからだ。

慶應義塾大学および卒業生による運営なので、諭吉を讃えるのは分かるのだが、諭吉のスピリットを本当の意味で受け継ぐのであれば、功罪両面から展示したり、あるいは女性や農民や朝鮮人・中国人の立場から多面的に論じてこそ、供養になるというものだろう。神も仏も信じない諭吉を神格化することほどブラックジョークはない。そしてそのような「ちょうちん持ち」的態度は彼が一身の独立を妨げるものとして最も嫌ったものだったではないか。

 

宮崎滔天

金玉均の葬儀を東京で執り行ったもう一人の人物がいた。熊本出身の宮崎滔天である。自ら女房子供もちでありながら無職の運動家だった彼は、金の亡命生活を支援しただけでなく、清朝打倒のために孫文ら革命派を支持したことで知られている。彼は義侠心に厚く、カネはなくとも同志らを募り、八つ裂きにされた2か月後に浅草本願寺にて葬儀を挙げた。

この人物は諭吉の子供の世代に当たる明治人である点は異なれども、①九州人で、②日本とアジアの改革を目指した民間人で、③世界を見てきたという共通点を持っている。しかし特にアジアに対するアプローチが180度異なる。

諭吉の広め始めたディベートは、肯定派・否定派に分かれて意見を戦わせることで、より真理に近づけるというものだ。よって諭吉を「合わせ鏡」で見るためにも、滔天のふるさと、熊本は荒尾を訪れてみたいと思う。

 

 

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