横浜での衝撃と慶應義塾での諭吉 | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

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2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

横浜での衝撃と「今日から英語だ!」

 新しい時代の「実学」を求めて全力投球した彼の実力は藩からも認められ、日米修好通商条約が締結された1858年に江戸に赴き、蘭学を教授することになった。これが後の慶應義塾である。

翌59年、横浜(神奈川)が開講すると、彼は自らのオランダ語能力を試すべく、居留地に向かった。英語話者などほぼいない昭和末期の奥出雲でNHKラジオ講座を聞きつつ英語を学んだ高校生の私は、年に数回ALTと会話できる日に合わせて、必死で会話内容を「暗記」していたものだ。よってドキドキしたであろう彼の気持ちは私も分かるつもりだ。

 しかし果たしてご自慢のオランダ語は通じなかった。おそらく何人にも話しかけたことだろう。通じない理由は文法や発音や語彙に問題があるのではなく、横浜居留地では長崎の出島とは異なり、みな英語を話していたからだ。今までの苦労が水の泡、とぼうぜんとしたことだろう。しかし彼は瀬戸内海気候の中津の出身らしく、カラッとした性格である上に、「実学」志向の強い性分だ。くよくよしていても始まらない。今日から英語だ、と、あっさりと英語学習を始めたのだ。

 この変わり身と決断の素早さは、彼の人生で何度か見られる。節操がないと思われたかもしれないが、「役に立つこと」をよしとするプラグマティスとからすると、役に立たなくなったオランダ語にいつまでもこだわっていても無駄以外のなにものでもないのだ。良くも悪くも打たれ強いというか、とにかく「絶望」とは無縁の人生なのだ。

 しかも、自分だけでは独学もままならないため、英語学習仲間を巻き込み、学んだことを分かち合い、さらには長崎生まれの英語が分かる少年に頭を下げて発音の手ほどきを受けたりもした。学ぶ上でいかに仲間が大切かということを知っていたのだ。

 そして翌1860年には日米修好通商条約の批准書をかわすために渡米する、勝海舟率いる咸臨丸に、何とかつてをたどって同乗させてもらった。日本人の運転による船で怒涛の太平洋を横断し、本物の「西洋」を、「文明」を見たのだ。これを含めて幕府が亡くなるまで三度にわたって洋行し、同時代人としては誰よりも早く「世界」を知ることになった。

 

咸臨丸でアメリカへ

 秋雨の合間に東京・三田の慶應義塾大学に向かった。立派な門をくぐり、坂を上がると、立派なレンガ造りの洋館が現れる。福沢諭吉記念慶應義塾史展示館である。ここには彼の輝かしい「表」の人生がつまっている。

 咸臨丸での米国滞在は1ヵ月ほど。蘭学を通して近代技術のメカニズムは理解していたため、テクノロジーに対する驚きはそれほどでもなかったようだ。しかし解せなかったのは、例えば米国人がワシントン大統領の子孫がどこで何をしているかしらないことだったという。彼にとって、徳川家康の子孫が江戸城にて将軍職についていることを知らない日本人はいないはずなのに、米国ではそれに相当する人物がどこで何をしているか知らないことが不思議だったのだ。そして彼は封建制を脱却し、まがりなりにも選挙制度を取り入れて自国のリーダーを決める国では、初代大統領だからといって子孫は別人格であることに思い至った。

 もう一つ、エピソードがある。咸臨丸の中で貴重な水を勝手に使用した米国人が日本人に捕まった。すると同船していた米国人責任者が、彼をかばうどころか射殺するように日本側に提案した。彼にとっては日本、米国関係なく、共同の船の宝を盗むものは許せないというのだ。身内だからと言ってルールを貫くという公平な姿勢に、諭吉は感銘を受けた。

 

「西洋事情」と上野戦争

 翌1862年、幕府の遣欧使節団としてユーラシア大陸を船で西に進み、スエズで初めて機関車に乗って、地中海を渡り、マルセイユに到着した。そして欧州各地を歴訪するのだが、その折りにも男女の関係が日本の武家社会のような主従関係ではないことに驚く。さらには国会で野党と与党が丁々発止の議論を戦わせることで国事を決めていくのを目の前で見るに至っては、故郷の中津はもちろん、幕府でさえもあり得ないことだった。

このような体験を通し、彼の英米に対する崇拝は深まっていき、それは生涯を通して続いたが、この民主的な世の中を日本でも実現したいと20代半ばの青年は心に誓ったのだろう。

 そして帰国数年後の1866年、これらの内容をまとめて「西洋事情」として出版した。展示館にもその扉の部分が開かれて展示してあるが、蒸気船や蒸気機関車、ビルに橋梁など、日本の未来像が実に明瞭に描かれている。

大政奉還後の1868年、江戸の町は新政府軍に囲まれていたが、そのような折りに彼は現在の浜松町あたりに洋学を伝授する私塾を開いていた。これが「慶應義塾」である。時あたかも幕府の無血開城に対して異を唱え上野寛永寺にたてこもった彰義隊と、新政府軍との砲声が響いていた。資料館内の掛け軸には和室内で講義する和装の諭吉が描かれていた。よく見ると窓の向こうは煙が上がっており、数人の生徒たちがそれを眺めている。これは戊辰戦争中の慶應義塾を描いたものだ。

江戸中が戦火に包まれるか否かで勉強に身が入らないが、諭吉は米国の経済学者ウェーランドの書物を講義していた。いずれ戦争が終わる。その時にこの国を背負って立つのは洋学を学んだ諸君自身であるということを悟らせたかったのだ。彼一流のプラグマティズムはここにも発揮された。戦争中からすでに終戦を見越して学問に投資させていたのだ。

 

「学問のすゝめ」―啓蒙書の大ベストセラー

 資料館での最大の見ものは、「学問のすゝめ」の初版本であった。これは一冊の本というよりも、リーフレットが1872年から76年にかけて十七冊発行された一連のシリーズものである。世界を見てきた男が、列強に伍して国を運営していくために必要なものは、学問であり、そして個人の独立であると説いたこの本は、近代最初の大ベストセラーとなった。

一身独立して一国独立す」、すなわち周囲に依存せず、自分のなすことに責任を持つ人材になることにより、日本は列強から干渉を受けないようになるというこの言葉は、明治初年のリアリズムであった。「お上に頼る」といった他人任せの態度を彼が否定するようになるのも、国家の存亡がかかっていると考えたからだ。

三田演説館

館外に出てキャンパス内を歩くと、なまこ壁の大きな建物を見た。一見米倉のようだが、こここそ日本における弁論の発祥の地、三田演説館である。そもそも江戸時代には弁論という行為自体がなかった。意見があれば文書化するというのが基本だったのだ。

例外的に人々の前で論拠に基づいて自説を述べていたのは、お寺の住職が檀家の人々に向けて説法をすることぐらいだったかもしれない。そういえば諭吉の家は浄土真宗だった。真宗は他の宗派より、機会あらば人々を集めて極楽往生への道を説いてきた。もしかしたら幼少時代の彼もその体験があったのかもしれない。しかも彼の実家は寺町のはずれである。

また「演説館」とはいっても、ただスピーチを訓練するだけではない。ある争点に対して賛成派、反対派に別れ、それぞれの立場で意見を戦わせる「ディベート」までやっていたのだ。これは彼が洋行の折りに議会で見て、衝撃を受けたものの一つだったが、それをここから普及させていったのだ。中を見ることはできなかったが、各地の方言丸出しで各々の思うところを述べ、口角泡を飛ばして激論する若者たちの姿が偲ばれた。

しかし資料館でもここでも、中国語や韓国語の通訳案内士である私が福澤諭吉に対して持ち続けてきた「わだかまり」を解くカギとなる展示は見つからない。そのわだかまりというのは、彼は後に「脱亜論」すなわち日本は隣国中国朝鮮とは縁を切り、欧米列強の一員として歩むべしという内容の文章を書いていたという認識があったからだ。

資料館内にはそれに関する資料はほぼ展示されていない。あるいは目の前のこの演説館でも、「日本は中国、朝鮮とは縁を切るべきである。」というテーマで学生たちが議論を戦わせたのだろうか。せっかく日本ディベート発祥の地に来たのだ。このテーマで諭吉が肯定側に立ったとして、否定側の論客の意見を聞くために「セルフディベートの旅」をしてみたいと思う。

 

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