靖國神社に祭られていない将兵たち | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

靖国神社―大村益次郎という理系人間

中秋の名月の午前、九段坂の靖國に向かった。戦後教育を受けてきた私の歴史観とは全く異なるが、ここまで戦前戦中の皇国史観が微動だにしないのは、ぶれておらずかえって気持ちいいくらいだ。

一の鳥居をくぐると、明治初年に日本陸軍を創設したことになっている長州藩大村益次郎の銅像が見えてきた。豊後の日田では廣瀬淡窓の咸宜園で学び、大坂では緒方洪庵の適塾で学んだ彼ほどロジックを重視して軍事を行った人物もいない。根っからの理系人間が正面に構える割には、そこから奥は悲壮感漂う「滅びの美学」のオンパレードである。

本殿前には巨大な菊の御紋の垂れ幕がかけられている。しかし天皇は1975年以降、特にいわゆる「A級、B級戦犯」が合祀されていると確認された1978年以降、靖國参拝をしたことはない。「天皇陛下万歳!」を叫んで死んだ兵士も少なくないにも関わらず、である。

戦後の天皇は広島や長崎、沖縄など、非戦闘員が多くなくなった場所はもちろんのこと、サイパン、パラオ、フィリピンなど、激戦地となったところにも足を運び、戦没者たちの慰霊を怠らなかった。しかし靖國は参拝しない。たとえしたくてもできないのだろう。純粋な慰霊行為が政治的行為と解釈され、利用されるおそれがあるからと推測がつく。

 

遊就館の「人選の偏り」

遊就館に向かうと、いつも通り、ゼロ戦とSLが出迎えてくれる。その「かっこよさ」に男の子たちなら大はしゃぎだろう。

エレベータをあがって資料室に入った。ここの歴史観は「天皇または主君のために功績があった人を顕彰する」という方針が一貫している。神武天皇に関する記述や神功皇后の「三韓征伐」など、神代の時代から昭和までの展示が続き、江戸時代のコーナーでは尊王攘夷を唱えた「水戸学」についてはきちんと記載する。わかってはいるが実に単純明快な「人選」が偏っている。

例えば平将門のように関東を独立させようとした人物、承久の乱のような皇室側が敗北した事件、足利尊氏のように後醍醐天皇を事実上追放した人物などの歴史はなかったことになっている。

一方で日本の歴史において平将門や後鳥羽上皇、足利尊氏ほど重要性があるとは思えない「忠臣蔵」の話は取り上げられている。とはいえ視聴率を気にするテレビ局とは異なり、庶民の涙腺を刺激するお茶の間の英雄ならよいかというとそうではなく、戊辰戦争で敗れた会津等奥羽越の各藩士たちも、西南戦争で敗れた西郷隆盛らも、靖國には祭られていない。

また、日清戦争から義和団事件、日露戦争等の「勝ち戦」の展示室はBGMがノリノリの「軍艦マーチ」が喧(かまびす)しい。そのうち義和団事件に関しては、日本以外の列強が北京で強奪したことに比べ、日本軍はそのようなことをしなかったため、北京の人々から尊敬された、などということを誇らしげに記載するころから、違和感を覚えないではいられない。我々は銀行強盗と行動をともにしていたが、他の連中はともかく自分は盗まなかったので、銀行から尊敬されている、というようなものではないか。武士道とはかくまで「盗人猛々しい」ものだったのか。

 

「滅びの美学」に泣いた三島由紀夫

しかしその調子の良さも満州事変からは勇ましいBGMが消える。「五族協和」「王道楽土」をスローガンとした満洲国建国についての記述があるのみで、そこで地元民たちに「歓迎」されたことなどの記載はさすがにない。そのうち「支那事変(日中戦争)」が中国兵によって引き起こされ、それが「大東亜戦争(太平洋戦争)」を引き起こし、負け戦が続くが、最後には人間魚雷「回天」等の展示の後、亡くなった「英霊」たちの遺影がずらりと並ぶ。戦争関連の記念館に必ずある、千羽鶴などは特に見かけない。

それにしても遺影の一人ひとりのまっすぐな眼差しは直視しづらい。いかなる理由であれ、国のために散華した若者たちの何千もの目に照射されるのに耐えられないのだ。

三島由紀夫は特に靖國に関して言及していないようだが、彼が市ヶ谷にたてこもる一月ほど前に呉市の江田島で見た、特攻隊員古谷眞二の遺書が遊就館に展示してあった。気迫あふれるその分を見て「すごい名文だ。命が掛かっているのだから敵わない。俺は命をかけて書いていない!」と戦慄を覚えた。彼は戦没者の中でも、わけても特攻隊員のことを想った。「滅びが前提の美」に「あはれ」を感じ、涙ぐんだのだ。

しかし三島由紀夫が心から想った二・二六事件で処刑された人々の魂は靖國には眠っていない。遊就館にも彼らはいてもいないことになっている扱いなのだ。

靖國を出るとき、大村益次郎の銅像がまた見えた。「ロジックとデータに従って行動すれば、死傷者はもっと少なかったものを…」と後ろ姿で語っているかのようだった。

九段会館

外に出ると九段下駅の外に、いつもの「城郭風建築」、九段会館が見えてきた。1930年代に日本各地、そして満洲で相次いでたてられた、鉄筋コンクリート建築の上にアジア風・日本風の装飾をほどこす「興亜(帝冠)様式」のこのいかめしい建物は、戦前は「軍人会館」と呼ばれていた。そしてこの建物こそ、226事件の際の戒厳司令部が置かれていた、事件の「生き証人」である。

将校たちは四日間のうちなんどもここに足を運び、司令部側と命がけの折衝を重ねたのち、「君側の奸」を取り除き天皇親政のために立ち上がったことを認められず、天皇の統帥権を干犯した「国賊」扱いされ、憤死もできぬまま軍門に下ることとなった一部始終を、この建物は見てきたのだろう。

現在は老朽化により背後に新しいビルを建て、武士道を思わせる外観を維持している。陸軍は武士道を重んじていたはずだが、それならば二・二六事件の将校たちの決起こそ、行動の純粋性を重んじる意味でより武士道的ではなかったか。

どうやら九段会館にせよ、靖國にせよ、九段という地はあの事件とは相性が悪そうだ。ここから皇居をはさんで真南の、将校たちが「昭和維新」を掲げて占拠した永田町を歩いてみたくなってきた。

 

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