二・二六事件ー渋谷の観音像 | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

二・二六事件―「皇道派」は人情家?

二・二六事件の将校たちを偲ぼうと、雪の降る日に彼らが占拠した永田町を歩いてみたいと思ってきたが、その願いはなかなか叶わない。温暖化で雪が年に一度、降るか降らないかであるだけでなく、そもそも東京は滅多に雪が降らない気候である。

これまで時々、霞が関から首相官邸、議員会館、自民党本部、最高裁判所、憲政記念館、国会議事堂から霞が関に戻る「永田町ゴールデンルート」を歩いてみたが、このエリアは1936年2月末の四日間、陸軍皇道派の将校率いる兵士らに占領されていた。たとえ真夏でもここを歩くたびに将兵たちのことを想い、脳内で大雪を降らせてみたりする。

そもそも「皇道派」というのはなにか。三つ特徴をあげるなら以下の通りである。

①旧薩長肥出身者が多く、陸軍士官学校出身のエリートはほぼおらず、相対的に庶民的で、部下との交流から、地方の農民の塗炭の苦しみをよく理解しており、同情的である。

②外交面ではソ連に対しては警戒すべきだが、中国に対しては不拡大方針を守り、英米とも協調を努めることで戦費をおさえ、軍縮した分を民生に回すべきであると考える。

③天皇は「君側(くんそく)の奸(かん)」すなわち政商の影響を受けた大臣たちに囲まれているため、彼らを排除し、天皇による親政を目指すべきであると考える。

皇道派はこのように「君民一体」を目指す涙もろい人情家が多かったが、昭和初期までの陸軍はほぼ彼らに権力を握られていた。

 

理詰めのゲームプレイヤー「統制派」?

しかしこれに反発する「統制派」とよばれる一派もあった。この特徴を三点あげるならば次の通りだ。

①ほぼ陸軍士官学校出身のエリートであり、困窮する民の実情には暗いが、民間の力を底上げするためにも国力を増強すべきと考える。

②そのためソ連だけでなく、米英、中国に対しても権益を守るべく、軍備を拡張すべきであると考える。

③これを合法的に行うために、実力のある陸軍大臣を国会に送り、総理大臣の座につかせて総力戦に備えさせるべきと考える。

このような困窮する「人」よりも社会のメカニズムそのものに目がいく理詰めのゲームプレイヤーが私の中の「統制派」のイメージだ。

 

「死んで帰れ」と息子を兵隊に出す親

二・二六事件前は、ことのほか天災人災が続いた。1929年には世界恐慌になると、それまで日本の生糸を大量に発注していた米国からの購入額もぐんと下がったため、関東甲信越の養蚕業は大打撃を受けた。30年から31年にはやませのため、深刻な冷害が東北、北海道を襲い、これらの地域の米作農家は壊滅状態になった。さらに33年には昭和三陸地震が東北地方を襲った。満洲開拓に赴かざるを得なかったのが長野県、山形県、新潟県民をはじめとする東日本の農民に多かったのはこうした背景がある。

二・二六事件で決起した将校たちの部下にはこれらの地域の出身者も少なくなかった。なけなしの給料を家に送るぐらいはまだましなほうで、徴兵されるときに「死んで帰れ」と親に言われた兵隊までいた。軍務で死ねば雀の涙ほどでも弔問金がでるからということである。また部下たちの姉や妹が村役場の斡旋で女郎屋に売られていった話なども枚挙にいとまがなかった。そこで悲惨な状況に置かれた部下たちの家族の住む農村社会を改革するための拠り所としたのが北一輝の思想だったのだ。

 

「四日」天下

天皇の周りで天皇をコントロールしようとする「君側の奸」たちを葬ろうとした青年将校らは立ち上がった。そして大蔵大臣高橋是清、内大臣斎藤実らを殺害した。また後に総理大臣として太平洋戦争の終結工作をすることになった鈴木貫太郎は銃撃されたが間一髪で一命をとりとめた。

そのとき皇道派の軍人参議官、真崎甚三郎は、彼らに出会ったとき「お前たちの心はよーくわかっておる。」と繰り返したという。上層部のお墨付きを得たと将校たちは安堵したのだった。

「至誠」、すなわち誠を尽くせば天皇にも分かってもらえるはずと信じていた彼らだったが、昭和天皇はこれに激怒し、「朕が最も信頼せる老臣を悉く倒すは、真綿にて、朕が首を締むるに等しき行為なり」「朕自ら近衛師団を率ひ、此が鎮定に当らん」と、戦後の天皇のイメージとは全く異なる激しい態度で「暴徒」を非難した。

青年将校らの「誠」は昭和天皇には通じなかったのだ。そして彼らは四日目に投降した。

渋谷の「天皇陛下万歳!」と「陛下をお叱り申しております」

渋谷のNHKから渋谷合庁に向かう道路沿いの、数メートルの台座に観音像がある。そこは当時陸軍刑務所の敷地であり、処刑された将校たちと、指導者とされた北一輝、西田税(みつぎ)ら、そして暗殺された大臣らの魂を、恩讐をこえて弔うために1965年にたてられた。

軍法会議だからというのもあるが、被告たちに圧倒的に不利な一審制であった。しかも判決はわずか四か月半で決着し、1936年7月12日朝、刑場の露と消えた。彼らの多くが「天皇陛下万歳!」を叫んで処刑された。しかし山口出身の磯部浅一は唱えなかった。獄中で天皇が「日本もロシアのようになりましたね」と言ったという記事を読んだ時の彼は、怒りのあまり獄中日記にこう著した。

毎日朝から晩迄 陛下をお叱り申しております、天皇陛下 何と云ふ御失政でありますか 何と云ふザマです、皇祖皇宗に御あやまりなされませ

同時代人で天皇制を批判する共産主義者はいただろうが、ここまで天皇個人をののしった人物を知らない。天皇の無理解に対するやり場のない悔しさが伝わってくる。そしてその思いを「憂国」の中で再現したのが三島であった。

 

天皇陛下万歳はいわんけんな

ちなみに一年後の8月19日には北一輝と一番弟子として北の思想を広めた西田税も処刑された。鳥取県米子出身の西田は家族に方言でこう言ったという。

「俺は殺される時、青年将校のように、天皇陛下万歳は言わんけんな、黙って死ぬるよ」 「昔から七生報国というけれど、わしゃもう人間に生れて来ようとは思わんわい。こんな苦労の多い正義の通らん人生はいやだわい」

私は米子の隣の安来出身であり、米子には8年間勤務していた。そのこともあり記録に残されている彼の方言には、まるで近所のおじさんが話すかのような親近感と、そのおじさんが大東京の渋谷で処刑されたかのような悲壮感を同時に感じる。ちなみに米子で勤務していた8年間、周りの人々に西田について聞いてまわったが、知っている人はほぼいなかった。山陰歴史館のワンスペースに彼のコーナーがあるだけだった。佐渡での北が「タブー感」があるのに対し、米子での西田は人々の忘却の彼方にある。

射殺される直前、「私たちも天皇陛下万歳を唱えましょうか?」と西田が北に問うと、「いや、やめておきましょう。」と北に言われたという。北一輝は自らが影響を与えた青年将校たちほど天皇を盲目的に崇拝していなかった。日本という国家を運営するために「都合のいい」存在以上のなにものでもなかったかのようだ。その意味では藩閥が天皇制を利用して明治維新を起こし、軍閥もまたそれを利用して戦争に突き進んだのと変わりない。ただ、彼の思想は天皇を一部の特権階級のものにするのではなく、大衆にまで開放せよというものであった。これに将校たちは希望を見出し、命をかけたのだ。

このエピソードでもうひとつ興味深いのが、西田の「私たちも唱えましょうか」というくだりは、「とりあえずみんな叫んで死んだのだから」という主体性のなさである。磯部のようなほとばしるほどの天皇への想いをあえて押し込めようというような思いはそこにはない。まるで現在の渋谷のNHKに皇室の車が来て、まわりが万歳をするのを見たら自分もやってみた、というような軽いノリではないか。考えようによっては「軍部に牛耳られた天皇制などもう役に立たない」という達観なのかもしれない。

観音像からNHK放送センター前を東に向かい、公園通りを歩いて渋谷駅に戻った。夕方の雑踏を行き来する20代の若者たちが青年将校と同じ世代であることが信じられない。と同時に、そんなことを考えている私が北一輝(54歳)と三島由紀夫(45歳)と同じ世代であることのほうがもっと信じられなかった。

 

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