渋沢栄一の創った東京-「論語と算盤」 | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

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2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

近代東京名所と渋沢栄一

 平成最後の「月」、2019年4月に、その5年後の新札のデザインが発表された。千円札は北里柴三郎、五千円札は津田梅子、そして一万円札は渋沢栄一である。すると「渋沢栄一」ってだれ?という疑問が日本中にあふれた。無理もない。平成末期までこの人物を知るのは、歴史ファンか起業家か埼玉県深谷市民などに限られていたのかもしれない。現にそれまで観光庁主催の通訳案内士でもほとんど出てこなかった。2015年に著した拙著「全国通訳案内士試験直前対策」でも、渋沢栄一の名はなかった。2000年から2014年までの過去問題で出てこなかったからである。

しかし彼について調べれば調べるほど、我々通訳案内士が日々訪日客に案内してきた近代の東京を作ってきた「立役者」のトップは渋沢栄一なのではないかとつくづく思うようになった。逆に、表には立たずに資金繰りに終始するという立場だったため、日本史上では目立ちにくかっただけかもしれない。拙文では「観光」という目線で東京を見直したいと思う。

 

東京駅から兜町へ

 訪日客、特に初めて東京を訪れたFIT(訪日個人客)にとって、東京の交通の中心は新宿ではなく東京駅だと思うことだろう。「中央停車場」として1914年に開業したこの赤レンガの駅は、実に長い。その長さ(330m)を縦にすれば東京タワーと肩を並べるほどだ。隅々まで歩けば、まるで欧州の街並みを歩いているかのような錯覚におちいる。設計者は英国建築家コンドルの弟子のひとり、辰野金吾というのはよく知られているが、この煉瓦がどこから来たかというと、渋沢が故郷深谷に造った日本煉瓦製造株式会社である。

また、駅前にそびえる大手町タワーというと、みずほ銀行本店があることで知られているが、そのルーツである第一国立銀行はそもそも八重洲口からしばらく行った兜町の東京証券取引所付近にあったもので、渋沢が日本で初めて作った銀行である。

 金をカタカナで「カネ」と表記すると、下品なニュアンスになるのが日本語の面白いところだが、江戸時代においては士農工商の最下層に置かれた商人たちは、カネはあっても軽蔑の対象だった。経済的豊かさよりも「武士は食わねど高楊枝」というやせ我慢があるべき姿とされてきたからだ。

そんな江戸時代には近代的な意味での「銀行」はなく、あるのは「カネ貸し」だけだった。つまり、私があなたから1万円を借りて、来年10円利子を付けて返すと約束する。そしてその金を、お金がなくて困っている人に貸し、利子を500円要求する。なにもせずに490円を懐に収めるように見える私を、みなさんはどう思われるだろうか。江戸時代の「カネ貸し」はそのように見られていたのだ。

そこで近代化を推進するためにも私利私欲にまみれた「カネ貸し」を、「銀行家」に昇華させたのが渋沢だった。第一国立銀行を建てた目的は、全国から金を集め、それを社会的意義のある起業家に貸し付け、ビッグビジネスに成長させる。それによって単に利益を上げて社会問題を解決できるだけでなく、軌道に乗れば労働者の雇用もつながる。「カネ儲けのためのカネ儲け」ではなく、「社会貢献のための利益拡大」に昇華させることで、民間人が利益を求めることを卑しいことではないどころか、社会の繁栄に繋がることを証明しようとしたのだ。

一方で渋沢は資本主義の持つ暴力性をよく認識していたはずだ。道徳心なき資本主義は、貧富の差を生み出し、カネが人を支配するようになる。「不患寡而患不均(ビンボーは仕方ないが、隣が大金持ちなのは許せない)」という一般人の気持ちを、「論語」を隅から隅まで見ていた彼は熟知していたに違いない。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という宮澤賢治のような考えが彼にもあったのだ。

 ちなみに両国の江戸東京博物館には、明治初年に建てられた基層は米国風、てっぺんには天守閣を思わせる望楼をいただいた第一国立銀行のレプリカがあるので、ぜひそこで往時を偲びたい。

 

銀座へ

 江戸東京博物館のレプリカと渋沢といえば、ここを訪れたついでに明治初年の銀座の様子を再現したものも見ておきたい。2010年代の「爆買い」ブームの際は、訪日客であふれた銀座だが、現在のこの町の方向性を決めたのも渋沢だった。そもそも江戸時代の銀座は埋め立てられた商業地だった。「銀座」とはすなわち銀貨を鋳造する場所であり、現金が行き来する場所だった。明治初年の銀座の様子も江戸東京博物館で見られる。ここはまさに文明開化のシンボルで、レンガ造りの建築が建ち並び、ガス灯や馬車などで込み合っている。

 しかしこのようになったのは1872年に起こった大火災で木造家屋が密集していた銀座が全焼してからだ。そして江戸東京博物館で見られる銀座の様子は、直後の焼け跡を区画整理し、欧米並みのまっすぐな道幅にし、表通りの木造建築を禁止してレンガ造りのみにした明治初年の推定復元であるが、この時の渋沢の官におけるパートナーが、井上馨であった。

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東急沿線

 私が首都圏で住んだことがあるのは、中央線沿いと東武東上線、そして下町エリアだけである。「こち亀」の両さんが乗っていそうな常磐線や、寅さんが乗っていそうな京成線、そして「昭和」のアイコン的存在である都電荒川線に乗ってきた「庶民」にとって、都内における最も「縁遠い」路線は、「沿線人気ランキング」の類で常に上位に来る東急沿線である。下町の庶民が。敷居の高さと自分の住んできた町へのコンプレックスにぶつかりつつ、住む世界の違う「ブルジョア路線」を旅してみた。それはまさに未知の世界への「旅」だった。

 この沿線を開発するにあたって渋沢が抜擢したのが五藤慶太であり、彼が事実上の東急の創業者となる。今や「国際的観光地」となり、外国映画でも「日本的風景」として描かれる渋谷のスクランブル交差点でもひときわ目立つ109の建物を後にして渋沢・五藤の合作である東横線に乗る。こころなしか「客層」が下町とは異なる。少なくとも常磐線でよく見る、缶チューハイ片手にするめをかじるおじさんは皆無である。

 芸能人御用達の代官山、セレブの雰囲気と目黒川の桜で世界的に知られる中目黒を過ぎると、学芸大学、都立大学と、二駅連続で「○○大学」という駅名が続く。よく考えると私の住んでいた荒川区には都立大学の看護学部しかない。学歴の差が町の文化を高めるという事実に直面とする。

自由が丘駅で降りてみた。若い女性客が実に多い。女性誌によく見る、ヴェネツィアを模したかのような街並みla vitaというのは、いかにも「欧風プチテーマパーク(この表現、漢語+仏語+独語+英語!)」である。さらにはその名も「サン・クエール通り」という街角など、欧州的雰囲気が随所に感じられる。

なによりも看板がフランス語とイタリア語の比率が高い。下町ならば中国語とハングルだ。と思いきや、一歩路地裏に入れば普通の商店街のようでもある。そういえば渋沢の案で完成した明治時代の銀座も、表は洋風、裏は江戸の町だった。皮相的とはいえ、みな楽しそうである。

 

田園調布-民間人がつくった高級住宅街

 そして田園調布駅についた。ホームの看板をみると80年代初期、ツービートと双璧をなす漫才コンビとして絶大な人気を誇った星セント・ルイスを思い出した。我ながら古い。しかし彼らの定番ギャグ「田園調布に家が建つ!」というのは、田園調布がどんなところかも知らない田舎の小学生だった私も知っていた「国民的ギャグ」だった。

大正デモクラシーを体現したかのような駅舎は中世ヨーロッパの民家をイメージしたものらしいが、1990年に解体し、今のは2000年に復原されたものだ。駅を扇のかなめとすると、そこから放射状に広がる通りと並木道が美しい。ここはパリの町を模したものというが、同じくパリの都市構造を模した大阪・天王寺の通天閣周辺とは雲泥の差である。その後、ここは地盤が固かったため、関東大震災のときにも被害が少なく、震災後に都内の富裕層の転入が激増した。やはり日本一の高級住宅街だけあって、閑静すぎるほど完成で、並木道を走る車の多くが欧州の高級である。

 渋沢は都市開発にも意欲を燃やしていたが、「田園」調布というのは、明治から大正にかけて拡張を続ける大東京に、英国の郊外を模した自然あふれる富裕層のための田園都市を作ろうとしたため、つけられた新しいコンセプトだ。「田園」なら、今住んでいる茨城県取手市のほうがはるかに「田園面積」は広いのだが、ここでいうのはもちろん手拭いをかぶったお百姓さんが桑をもって歩くような現実の「田園」ではない。あくまで英国のワーズワースの世界に近い、「舶来の田園都市」なのだ。

渋谷からここまでの東急沿線の町のコンセプトに既視感がある、と思っていたが、奈良の都市構造をほうふつとさせる。というと意外に思われるかもしれないが、奈良は当時の先進国、唐の都長安の都城の構造と景観を数キロ平米規模で取り入れ、東急東横線沿いの町、特に田園調布は当時の先進国欧州の田園都市の構造と景観を数百平米単位で取り入れたものであるとに気づいたのだ。

 そしてそのプロジェクトを民間でやったのが、他でもない、渋沢栄一だったのだ。

 

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