美保関の恵比須様と中海
「片参り」という言葉がある。これは有名な神社にはそれとペアになる神社がもう一社あるはずだが、有名なほうだけ参ってもう片方を無視すれば、ご利益がないという伝承を指す。例えば伊勢神宮にとっての朝熊(あさま)岳金剛證寺がその例である。そして大社さんにとってそれに当たるのが、島根半島の東の隅にまします松江市美保神社だが、現在、大社さんを参拝する人の多くが美保神社までは参らず、片参りをしていることだろう。
美保神社の祭神は出雲大社の大国主命の長男、事代主命(ことしろぬしのみこと)である。七福神の中でも恵比須様と大黒様をとりたてて「恵比須大黒」と呼び、この二人だけを「デュオ」の縁起物とすることもよくあるが、大黒様は大国主命、恵比須様は事代主命のこととされる。おそらく当時の出雲で片参りはいけないというのが「常識」だったのだろう、ヘルンさんも大社さんに詣でた後、美保神社にも詣でている。
現在、松江から美保神社まで行こうと思えば、中海沿いを乗用車でいけるが、当時は大橋川を東に下った先の中海の水面は船が縦横に滑っていた。その中継地点が私の育った安来である。ヘルンさんは出雲神話にある神話を紹介している。
事代主命がこの湖を渡って女に逢おうと、毎晩中海の北西に位置する美保関から南岸の安来まで船をこいでやってきた。ある朝、夜明けを告げる鶏が早く鳴いたため、あわてて美保関に帰ろうと船に乗ったところ、手が滑って櫂を流された。そこで手でこいでいたらサメに手を食われてしまったため、美保関の人は鶏肉も卵もたべない、というものだ。
実は事代主命が来たのは安来ではなく、隣町の松江市揖屋(いや)であるが、彼が美保関に、そして安来に対して関心を持ったのは神話であり、民俗学であることがよくわかる。
日本の「ルーツ・ミュージック」、安来節
ここで私が解せないのは、盆踊りの物悲しい曲や松江の朝の米をつく音など、耳によって日本を理解し、それを文章化してきたヘルンさんが、安来や美保関において当時大流行しつつあった「安来節」や、そのルーツである「さんこ節」についてほとんど言及していないことだ。「ドジョウ掬い」で昭和の頃に全国的に知られた安来節は、唄や三味線、鼓、踊りからなるが、そのうち唄や踊りは安来の子どもたちなら保育園から高校まで練習させられる。
お百姓さんが田の中のドジョウをとるしぐさを面白おかしくまねたパントマイムの「ドジョウ掬い」はひょうきんな宴会芸として昭和の頃には全国的に広がったが、地元安来では歌舞伎や人形浄瑠璃なみの伝統芸能扱いであり、「日本一の庭園」で知られる足立美術館の前の安来節演芸館という立派なホールで常時定期公演が見られる。
ヘルンさんが米国で滞在していたニューオーリンズは黒人のワークソングや卑猥な唄の結晶、ジャズ発祥の地だった。彼がそこにいた1880年代はニューオーリンズ・ジャズの胎動期だったはずだ。それが全米で認められ、R&B経由でロックンロールとなっていった。虐げられた民衆のこころを歌うブルースはまさに「アメリカの心」となって世界に羽ばたいった。そしてヘルンさんもあの敏感な耳で「アメリカの心」の原点としての黒人霊歌を確かに聞いていたはずだ。アメリカの「ルーツ・ミュージック」の源流の一つがニューオーリンズであることは言うまでもない。
一方でヘルンさんが安来を訪れたころも、安来節の胎動期だった。安来節のルーツは、江戸時代にさかのぼる。当時出雲の鋼を安来港経由で全国に運んだことから、安来は北前船の寄港地として繁栄した。その際、物資とともにこの町に伝えられた各地の唄がそのルーツだ。「鋼の港町」「安来千軒」として栄えたこの町では料亭が軒を連ね、そこで海の男たちを相手に労働歌や卑猥な歌が唄われていたが、それらが洗練されて安来節となったという。
大正時代にレコードに録音されて全国的にその名を知られ、浅草の木馬亭や大阪でも専門劇場ができ、各地の農村出身者が故郷に残した家族を想いつつ笑い、涙を流すという意味で、安来節は「日本のルーツ・ミュージック」だったのだ。当時の面影は建造物が登録有形文化財に指定された9号線沿いの料亭、山常楼に見られる。
カリブ海では黒人音楽を愛し、さらに松江に一年以上滞在していたヘルンさんが、日本の農民の心のつまったこの唄や踊りについて情熱的に言及しなかったのが不思議でならない。
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