ヘルンさんより「女子旅」の玉造温泉
松江で温泉というと、「出雲國風土記」にも「枕草子」にも名湯として出てくる玉造温泉である。ただ、ここもヘルンさん自身はそれほどピンとこなかったようだ。訪日客にはよくあることだが、日本の温泉の湯は熱すぎたのかもしれない。
私の青少年時代、つまり昭和の頃は出雲大社に参る全国の善男善女の泊まる「松江の奥座敷」として、高齢者が多いイメージの温泉地だったが、平成の前半、すなわちバブル崩壊後は振るわなくなった。その知名度に比べてお湯の泉質は正直なところ微妙で、源泉かけ流しの湯にこだわると宿泊できる旅館は一カ所しかないというところが、温泉ファンたちの足を遠ざけたのも一因かもしれない。
それが激変するきっかけとなったのは2013年に同時開催された伊勢神宮と出雲大社の式年遷宮である。皇室の祖霊である天照大神を祭る伊勢神宮は二十年に一度、それよりもさらに古い歴史をもち、「縁結びの神」として知られる出雲大社は約六十年に一度、式年遷宮をすることになっているが、同年にこの二か所で行われるのは史上初という。その数年前からこの温泉地を含む島根県は戦略的に顧客層のターゲットを高齢者から独身女性に変えていった。いわゆる「女子旅」の推進である。
2010年には出雲空港の愛称が「出雲縁結び空港」になり、また東京-出雲市駅間を毎晩往復する日本唯一の寝台車「サンライズ出雲」は、「縁結び」目的の女性でにぎわった。ヘルンさんの愛した松江市郊外の八重垣神社は、スサノオとクシナダ姫が結ばれた土地とされ、昔から「恋みくじ」が人気であった。これはおみくじを買い、神社奥の神聖な鏡の池に浮かべ、その上に硬貨を乗せ、早く沈めば良縁が近く、遅く沈めば遠のくというものだ。これはセツさんも若いころやったという。そこが2010年代には日本中の女性が競って恋みくじに一喜一憂するようになった。さらに島根県は福井県、徳島県、高知県などと訪日宿泊者数最下位を争うにもかかわらず、訪日客の女性まで訪れるようになった。
女子旅路線への切り替えの成功例といえよう。「松江の奥座敷」としてそれを牽引する立場の玉造温泉も、「縁結び」×「女子旅」をコンセプトに大変貌を遂げたのだ。
ヘルンさん、出雲大社をゆく
「知られぬ日本の面影」の中でもハイライトと言えるのが、外国人として初めて「杵築大社」を正式参拝したくだりだ。「杵築」というと、大正生まれの祖父がかつて出雲大社のことを「きづきさん」と呼んでいたことを思い出す。ヘルンさんの時代には普通に「杵築大社」と呼んでいたのだろう。ちなみに私の場合はこれまで「大社さん」と呼んできた。以下、小文でも「大社さん」と呼ぶことにしよう。
松江方面から大社さんに向かうには、国道9号線で出雲市まで行き、出雲平野の築地松(つーづまつ)を横目に北西の方向を目指す。築地松とは冬のシベリア高気圧による北風から屋敷を守るため、敷地の北と西に植えた、屏風のように屋敷を囲う屋敷森である。それはプールを立てかけたような長方形をしている。さらに山陰特有の石州瓦の明るい赤茶色がこの緑の松に映えて美しい。出雲空港に降り立ち、外に出た瞬間から、「お帰りなさい」といわんばかりにこの築地松が迎えてくれるのは、至福の喜びだ。
9号線を西に向かう車は、私の中学時代の1985年に358本の銅剣が姿を現した荒神谷遺跡のそばを通る。さらに古代出雲文明の源泉、斐伊川を越えて北上すると、白くて巨大な丸い物体が現れる。出雲ドームである。日本一大きな木造建築として1992年に完成したが、その高さは千年前の大社さんの本殿の高さと同じ48mだ。それ以上高くすると不敬であるという理由でこの高さになったのだという。さらに進むと高さ23mの白い大鳥居が見える。これも江戸時代に建てられた現在の高さ24mの本殿を越えないようにとの配慮だ。出雲人は時に大社さんに遠慮しながら生きてきたのだ。そのうち車は大社さんの駐車場に着く。
正式参拝の描写力と通訳ガイドのアキラ氏
「知られぬ日本の面影」の特徴として、その臨場感が挙げられる。まるで欧米にいる読者が、海を隔てた遠く見知らぬ出雲にいるかのように感じさせるほどの描写力には脱帽である。単なる静けさや厳かさだけでなく、玉砂利を歩く音、狩衣(かりぎぬ)の衣擦(きぬず)れや御幣(ごへい)の和紙がすれる音まで聞こえてくるような彼の文章は本物だ。
子供のころから何度も大社さんにはお参りしたが、実は一度も本殿での正式参拝をしたことがない。本殿の敷地に足を踏み入れるのが畏れ多いからかもしれない。私のような「出雲人の子孫」さえ、違和感を抱かせない臨場感の描写。この文章は本物である。
ところで、「知られぬ日本の面影」の出雲大社正式参拝のくだりで特に気になるのが、やはり通訳ガイドのアキラ氏の動きだ。おそらく出雲弁で行われていた神道、しかも明治時代の「正統」とされる国家神道ではなく、敗者としての立場から語られる神道に関する話を、英語が流ちょうな都会の青年、アキラ氏が通訳するのだ。「通訳案内士」などという職業がなかった時代ではあるが、出雲での旅の仕事を通してそれまでの自分が当然だと思ってきた「国史」が、「国語」が、そして「日本文化」が、明治政府に「つじつま合わせ」で作られた皇国史観に偏っていたか気づいたのだろう。そうでなければ彼の通訳を聞いたヘルンさんが出雲を神道の、日本の源流としてその独自性と普遍性をあのように描き切ることはできなかったに違いない。
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