ヘルンさんが愛した松江と見落とした松江 | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

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2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

ヘルンさんと宍道湖の落日

松江で最もヘルンさんが心惹かれたものの一つは落日の光景だった。彼はその落日をカリブ海に沈む太陽と比較してみたりもするのだが、やはり独自の美しさをたたえていることに気づく。宍道湖大橋を南に下ると、島根県立美術館があるが、ここではその閉館時間に注目したい。春夏秋は日没の30分後となっており、ヘルンさんも愛したこの日没をも作品の一つとして見ていることが分かる。特に夕方には内外からカメラマンが集まり、落日の瞬間だけでなく、日が落ちてからの余韻を撮影しようとしている。

美術館のウォーターフロントに沿って歩くと、二体の背の高いお地蔵様が立っている。その岸辺から200mほど向こうに小島が浮いている。ヘルンさんの愛したこの嫁ヶ島は松の木で覆われている。これは満洲事変の後に不拡大方針を打ち立てながらも軍部の暴走を止められなかった総理大臣、若槻礼次郎が、1935年に松江に戻った際、植えたものという。

私が見た宍道湖の落日のなかで、最も美しかったのは、この嫁ヶ島の北岸にある松江しんじ湖温泉の旅館からみたものだ。「出雲」という名の通り、雲が深くたれこめた夕方、遠く出雲空港のほうに陽が沈んでいくのが見えた。その刻一刻と表情を変えていく宍道湖を見るとこみ上げてくるのは、ヘルンさんのことではなく、出雲の栄枯盛衰の悲哀だった。

神代から燦然と輝く古代出雲の歴史も、大和政権に「国譲り」という形で負けてからは、日本史の教科書では小さくしか取り上げられず、戦国時代には尼子氏が山陰・山陽の太守として中国地方全体を支配したと思えば安芸の毛利氏に敗北し、江戸時代には名君として名高い松平不昧公が茶の湯の文化を広めるほどの文化大国だった松江藩だが、幕末には西園寺公望をリーダーとして進駐してきた山陰道鎮撫使に平身低頭して降伏。昭和になってようやく総理大臣を出したと思ったら軍部に押し切られてしまう。出雲の歴史は繁栄したと思ったら引きずり落とされることの繰り返しだ。

さらにいうなら出雲出身の有名人の多くは少なくないが、本当に出雲出身かどうか不明なものが多い。平安時代の菅原道真、鎌倉時代の武蔵坊弁慶、江戸時代の出雲阿国などがその代表例だ。自分たちが思っているほど、出雲というのは偉大でもないのかもしれない。しかしそんな自分たちを優しく受け止めてくれるのがあの宍道湖の向こうに沈んだ後も、所々青紫色のグラデーションをたたえながらも赤く空を染めていく太陽だった。

 

出雲人のソウルフードとヘルンさん

出雲人にとって宍道湖と言えば、夕日もよいがソウルフードともいえるシジミである。「花より団子」、「夕陽よりシジミ」なのだ。年によって多少異なるとはいえ、島根県はシジミの漁獲高が一番であることが多い。島根が一位でないときは、おそらく津軽半島十三湖を有する青森県であろう。その次には今住んでいる茨城県だが、茨城県民にとってシジミが納豆やレンコンやアンコウやメロンと並ぶほどの「県民食」かというと微妙だ。ホタテのような派手さもなく、カキのような肉質ももたないシジミに郷愁を感じ、アイデンティティの一部にまでしてしまうのは山陰、特に出雲人だけの特徴だろう。しかしヘルンさんはこの湖の幸、シジミについてはうるさくない。

もう一つ、出雲人のソウルフードというと、割子そばがある。つるりとのど越しのよい信州戸隠の白い蕎麦とは異なり、蕎麦の殻ごと石臼で挽くため灰色と茶色を混ぜたような色をしている。それは岩手のわんこそばのような観光化されたものではなく、日常的に食するだけでなく、コース料理の最後には必ず割子(レンガ色の丸い深皿)に入れられて出てくるものに、「くい汁」と呼ばれるそばつゆを上にかけていただく、出雲の山の幸である。

ソウルフードその3を挙げるなら、日本海の荒波に鍛えられたアゴ(トビウオ)のすり身を、直径5㎝ほどの大きなちくわにして焼いた「野焼き」も出雲の海の幸として捨てがたい。しかしこれらのいずれも、四十代になってから出雲に来たヘルンさんはそれほど口にあわなかったのか、これら「海の幸」「山の幸」「湖の幸」を熱心に語るということはしていないようだ。

「日本通」を目指して和食だけの生活を送ろうとしたが、時に牛肉やワインなど、洋食をとらなければならなくなったことを恥ずかしげに在日外国人たちに語ったりしている。心では思っても、幼いころからの味覚はそう簡単には変わらなかったのだろう。

 

ヘルンさんの心に響かなかった松江城天守

松江のシンボルとして宍道湖の落日に並ぶ松江城天守だが、ヘルンさんの心にはそれほど響かなかったようだ。高さ30mほどのこの天守はヘルンさんの時代はもちろんのこと、昭和になるまで松江随一の高さを誇る、水郷のランドマークだった。ただ白鷺城が山陽の明るい空に舞うようなイメージだとすると、この「千鳥城」は今にも雨が降りそうな灰色の山陰の空のもと、ずんぐりむっくりの体躯に真っ黒な鎧を着こんだかのような武骨な感じを与える。

「べんとわっしぇても傘わっしぇーな(弁当忘れても傘忘れるな)」という言葉は山陰では常識というくらい、山陰は雨にたたられる。実際の降水量は東京の1割増し程度だが、それとは別に曇天模様が続く日が多いのだ。雨の中の松江城は、笠も蓑もつけずに立ち尽くす落ち武者を思わせるほどの寂寥感がある。ギリシャの明るい海を愛するヘルンさんにとって、山陰の「陰翳」をさらに濃厚にするかのような漆黒の重々しい天守は、おさえつけられるかのようなダブリンの曇り空を想起したのかもしれない。

冬になるとみぞれのような雪が積もり、数年おきに大寒波がやってくる。ヘルンさんが心から愛したこの町を、一年あまりで去り、熊本に向かったのも、報酬が二倍になることだけでなく冬の寒さのためだったともいわれる。

 

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