「怪談」の英訳はなぜKwaidanか | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

国際都市横浜から中国山地を越えて山陰へ

ヘルンさんが太平洋を渡って横浜港に到着したのは1890年4月3日、桜の咲くころだった。彼は桜と富士山の美をたたえ、横浜や鎌倉の神社仏閣を人力車に乗って巡り、日本上陸の第一歩を「知られぬ日本の面影」に著した。憧れの国が期待通りだったことへの興奮した息遣いまで聞こえてくるような文章である。

その後、ニューオーリンズ万博で知り合った役人や「古事記」の翻訳者のチェンバレンの尽力もあり、島根県松江市の中学校・師範学校に英語教師として赴任することになった。1890年当時、山陰本線はおろか、山陽鉄道(現山陽本線)さえ神戸から姫路、竜野あたりまでしか開通していない。そこからヘルンさんは通訳ガイドのアキラと人力車で中国山地を越えるのだが、山陽から山陰に来ると、都会人のアキラは方言が聞き取れなくなった。彼にとっては英語よりも鳥取の方言のほうが難しかったようだ。

ちょうどお盆の時期だったため、鳥取県で宿泊したある村では盆踊りを行っていた。死者の霊を迎えるために踊る素朴な人々を見ながら、彼の脳裏に浮かんだのは少年時代を過ごしたアイルランドのハロウィンであり、ニューオーリンズのアフリカ系住民のヴ―ドゥ教などだったのかもしれない。それにしてもその描写の幻想的なこと、開港して文明開化の香りも高い横浜などとは大違いである。ヘルンさんは中途半端に洋風化し、賢くなった日本人よりも伝統や自然とともに生きる昔ながらの素朴な日本人が好きなようだ。ここに来てようやく、ヘルンさんは長い間夢にまで見てきた本物の「古事記」の空気に包まれたのだ。

 

松江到着―ヘルンさんの耳と生徒たち

松江に到着したヘルンさんと通訳ガイドのアキラは県庁や赴任先で挨拶や手続きを終えた。この古い城下町は、西側に宍道湖、そしてそこから東に大橋川が流れ、堀川の水が巡る、まさに水の都でもある。

宿はしばらくのあいだ大橋川沿いの富田旅館に滞在していた。跡地には大橋館という旅館があり、記念碑が建てられているが、彼が投宿していた日々は、朝もやの中、下駄の鳴る音や、臼で米をつく音から一日が始まった。ここで注目すべきは、彼の耳のよさである。文字化された描写を読むだけで、明治時代の松江の朝のひと時が聞こえてくるようだ。左目を失明していることもあって、視力より聴力のほうが発達していたに違いない。

彼の松江での本業である、中学校や師範学校での英語教育は、今でいうALTとは根本的に異なる。まず彼はティーム・ティーチングではなく、彼を中心にして授業を行っていたのだ。次に、「中学生」とはいっても、今の十代前半の子どもではなく、例えるなら県内一の進学校と、島根大学教育学部で教えていたようなものだ。

授業内容は会話中心というよりも、生徒たちに日本の文化や社会について考察させ、英語で書かせることに重点を置いた。そのテーマは「神道」「松江城」「宍道湖」など、いうならば通訳案内士養成講座のようなものだ。

ヘルンさんは生徒たちの英作文を通して日本に対する理解を深めていく。他の多くの外国人教師たちが、紋切り型の答しかしない日本人を「没個性的」と斬り捨てるが、彼はそのような松江の生徒たちの中にも個性を見出した。彼は耳だけでなく、目立たないなかにも生じる違いを識別することにも長けていたのだ。

今の英語教育では「四技能」だ、「国際理解」だ、「グローバル人材」だ、「個性重視」だと喧(かまびす)しいが、ヘルンさんが自らの英語教育の先に見たかったのは、英語は多少話せるが自らのルーツに関心を持たない軽佻浮薄な似非近代人ではない。引っ込み思案でも口下手でもいい、進んで見える西洋の文明などに惑わされず、自分の根っこを大切にする、「日本らしい」若人だったのだ。

 

松江城から塩見縄手へ―ヘルンさんの愛したところ

観光地としての松江のシンボルといえば宍道湖に沈む夕陽、そして城下町を縦横に走る堀川と大橋川にかかる橋、そして黒塗りの松江城天守だろう。

水の都、松江を列車で訪れた人は、松江駅方面から大橋川を北にわたり、しばらく歩くと堀の向こうに天守が現れることだろう。そして島根県庁の脇から二の丸、本丸へと歩き、武骨な天守の内部に入る。薄暗い天守内部の黒光りした急な階段を上ると、最上階から宍道湖が一望できる。天守を下り、さらに北に進み、城山稲荷の先が堀である。そしてその堀川沿いにあるのが、ヘルンさんが一年余り滞在した屋敷であり、隣接地にはリニューアルオープンした小泉八雲記念館や武家屋敷などが並ぶ塩見縄手地区だ。

ここの屋敷から中学校・師範学校に通ったヘルンさんだが、身の回りのお手伝いに来ていた旧松江藩士の娘、小泉節子(セツさん)と結ばれる。この二人の結びつきはまさに「出雲の神々」が縁結びをしたとしか思えないような出会いだ。セツさんは近代的な教育を受けていたわけではなく、英語が話せたわけではもちろんない。しかし八雲が最も求めていたことに長けていた。それは包み込むような優しさと、神々や妖怪に関する話が得意だったことだ。

ヘルンさんは毎日のようにセツさんに不思議な話や妖怪話をせがんだ。神々の国、出雲で生まれ育ったセツさんにとってはなんでもないことだったろう。しかしそのうちネタがつき、書物を読むようになるとヘルンさんに「自分の言葉でないとだめ」と言われる。後に「怪談」としてまとめられるヘルンさんの代表作は、セツさんがまるで「大きな子ども」のようにお話をねだる夫に繰り返し語って聞かせ、それを自分なりに消化した結果生まれたものだ。それは「内助の功」というより、むしろ「二人三脚」に近い。

そもそも「怪談」の英語表記は “Kwaidan”である。出雲弁では「階段」は「かいだん」だが、「怪談」は「くゎいだん」と発音する。セツさんが夫に語った話は、明治時代の出雲弁だったのだ。セツさんとヘルンさんの関係は、言うならば「遠野物語」を遠野の佐々木喜善が語り、それを柳田國男がまとめたのに似ている。民俗学で大切になるのが、地元のことを話してくれるインフォーマントの存在であるが、セツさんはヘルンさんにとって良妻賢母であり、よきインフォーマントでもあったのだ。

 

///////////////////////////////////////////////////////////////////////

PRその1 この紀行文の訳しにくい個所を集めて英語、中国語、韓国語に訳していく「日本のこころを訳し語る講座」を、以下の日時に開催いたします。

英語 6月7日19時半から21時半

中国語 6月14日19時半から21時半

韓国語 6月21日19時半から21時半

初回は無料ですので、ご関心のある方はぜひともご連絡くださいませ。

二次面接対策だけではなく、日本文化を翻訳するには最適の講座ですので、皆様のご参加をお待ちしております。

 

PRその2 

通訳案内士試験道場では、6月から3学期の授業が始まります。それに先立ちまして以下の時間帯、2021年度の地理、歴史、一般常識講座の体験受講を開講いたします。(各二時間、zoomのみ)

 地理 水19時半 土10時 

 歴史 木19時半 土13時 

 一般常識 金19時半 土15時10分

 実務 日19時半

  暗記中心の単なる受験知識の獲得ではなく、日本で唯一、発表中心のゼミ形式でよく考え、深く幅広い分野が身に着く刺激的な授業を、ぜひともご体験ください。

http://guideshiken.info/?page_id=230

事前に課題がございますので、本年度の合格を目指す方は、お早めに以下までご連絡くださいませ。

https://secure02.red.shared-server.net/www.guideshiken.info/?page_id=109