旧古河庭園  岡倉天心「茶の本」をもって常磐線の近代をゆく② | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

旧古河庭園―コンドル設計の邸宅と庭

 常磐線で拙宅兼通訳案内士試験道場に最も近い三河島駅から自転車で十五分。北区の小高い丘の上に、旧古河庭園がある。戦前の大財閥だった古河家の庭園は、三段構成となっており、門をくぐるとコンドル設計の瀟洒な洋館がそびえる。洋館から真下に階段を下ると、一段下がったところに左右対称の迷路のようなバラ園が現れる。そこは春と秋にはバラが美しく、歩くと甘いにおいが鼻腔に揺れる。

 そこからさらに下に下りると、木々が生い茂って影が差してくる。この三段構えのつくりは、典型的なイタリア風のテラス式庭園だ。下まで下りきると、真っ黒な溶岩である。そこまで下りて気づかされるのが、下の世界は脱亜入欧という「浮ついた」世界ではなく、日本の地底から吹き飛んできたマグマで再現した「黄泉の国」だということだ。

 

下に広がる「黄泉の国」

 作庭したのは明治の京都における庭園の革命児、小川治兵衛(通称「植治」)である。植治は庭園にはめったに使わない溶岩で、ここが自らのアイデンティティも忘れ、西洋の模倣に走る同時代人を風刺したかったのだろうか。さらに彼は岩で日本の渓谷を思わせる風景を再現している。

それが終わると大きな池にでる。一枚岩を二つに割って左右互い違いにかけた石橋を渡り、対岸の飛び石を一歩一歩足元に感じていくと、右手に写実的な枯山水が見える。左右に2mほどの石が門のように奥まっており、握りこぶし大の丸い岩がこちらに向かって並んでいる。庭を楽しむコツの一つとして、目線を高くしたり低くしたりすると、それまでとは異なる風景に見えるというものがあるが、ここの場合しゃがんで視線を低くして見ると、あたかも桂林を舟で下っているかのような錯覚さえする。背後から水の流れる音が聞こえる。しかし枯山水に水が流れるわけではない。池の向こうに目をやると、高低差を利用した滝が落ちているようだが、その音がここまで響き、「桂林」の水の流れを演出しているのだろう。

 滝の全貌が見たくて吸い寄せられるように音をたどって池のほとりを歩いていくが、その前に下から斜め上に突き出た大人の身の丈ほどの黒い巨石がずらりと連なり、圧迫感を感じる。十数メートルの道沿いの巨石が途絶えるところに、上りの石段があったので、これも「地上」から「黄泉の国」に下りて来た時の結界であることに気づく。

 

「庭中庭」の露地

 「地上」に向かって進むと、右手に木の門が見え、前は竹垣になっている。「関係者以外立入禁止」を意味するこの竹垣だが、かんぬきを外して右手の茶室に吸い込まれるように入っていく。茶室に至るまでの庭を鄙びた里山風にしつらえたものを、「茶庭」もしくは「露地」というが、この空間は庭の中にまた庭を造った、いわば「劇中劇」ならぬ「庭中庭」である。茶室前にはわびた蹲(つくばい)や織部灯籠があって心が和む。ここに至るまでに上述したような「地底旅行」が楽しめるのがこの庭の魅力だ。

 この茶室は私が月に一度、裏千家のお茶を習いに来る場所であるが、茶室に上がる前は、白足袋に履き替える。茶室は聖域だからだ。そして水屋から茶室に入る前に、正座をして膝前に扇子を置き、「ご機嫌よろしうございます。」と一礼する。八畳ほどの部屋は、土壁に竹の欄間、障子に襖など、すべてが天然素材である。