⑥義 津軽の生んだ「じょっぱり」山田良政 | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

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2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

⑥義 津軽の生んだ「じょっぱり」山田良政

「大陸浪人」と男のロマン

損得勘定で動かない武士道というのは実に不器用な生き方である。それは自我を捨てるというよりも、自らの信念に命を懸けるという意味で、究極の自由意志であり、「男のロマン」なのかもしれない。

 自由意志で信念に殉じたというと、かつて「大陸浪人」という言葉があった。それは清朝末期から中華民国にかけての混迷する大陸におもむき、独自の諜報能力や卓越した語学力、そして政財界から資金を調達する能力などによって、「内地」では生きにくかった時代に思うままに大陸を闊歩してきた男たちを指す。そこには「男のロマン」もあったが、実際に彼らを目にすると「胡散臭い」印象もいなめず、さらに中国の一般人からすると侵略のお先棒を担ぐ戦犯に思えただろう。そんな大陸浪人たちの出身地として挙げられるのが九州と東北であり、東北でいうと特に津軽にそのような人々がいた。

戊辰戦争当時、会津藩士たちは「藩」という絶対的な忠誠をしめす対象があった。南部藩の新渡戸はそのころ五歳前後ではあっても、親から藩主に対する忠義がいかなるものか教えられたはずである。

彼のふるさと、盛岡からさらに北上した津軽の弘前では戊辰戦争中に一つの生命が生まれた。その名は山田良政。地元民でなければ近代日中関係に関心が深い方以外は聞いたことのない名かもしれないが、中国史上、彼の縁の下の力持ちとしての功績は小さくない。

 

中国語を学ぶサムライ

大陸問題や藩閥政治を深く、激しく論じた同郷出身の反骨のジャーナリスト、陸羯南(くがかつなん)の影響で大陸雄飛を夢見、中国語を学んで日本海・東シナ海を股にかけ活躍した。そして「武士道」が米国で発刊された1899年に孫文ら中国の革命家と知り合い、この革命家と意気投合し、辛亥革命に身を投じることになる。

「清朝打倒」をスローガンとした彼らを山縣有朋内閣は支援し、広東省恵州での武装蜂起に日本政府として武器弾薬が補給することを決定した。しかし1900年に伊藤博文内閣に戻るとこの計画は白紙に戻された。その旨の連絡係として恵州に赴くことになったのが、山田だったのだ。

中国人のふりをして恵州に潜入した彼は革命派の仲間を置き去りにすることができず、最後までともに清朝と戦った。捕らえられても日本人であることを申し出れば命ばかりは助けられることだろうが、最後まで口を割らず、一中国人として処刑されたらしい。

そのころ彼と孫文らとの関係は、わずか一年ほど。そして彼には日本という帰るべき祖国があり、中国は隣国に過ぎない。しかも新妻さえいた。孫文や中国に義理立てする必要は客観的にはないように見えるのだが、主従関係があるわけでもない孫文と仲間たちのために生き、死んだ彼は、究極の「浪花節」タイプの「不器用な男」だった。

 

英語を選んだ「表」の新渡戸と中国語を選んだ「裏」の山田

津軽弁で損得勘定はないが意地っ張りのことを「じょっぱり」といい、津軽人の典型的性格とされるが、他人はどうであれ信じた道を貫いた彼は正に津軽のじょっぱりだった。

 戊辰戦争敗戦の年に生まれ、東北人の立身出世を阻む藩閥政治に嫌気がさした点では、盛岡出身の新渡戸と共通点がある。ただ新渡戸は東北人でも、英語を学び「国際社会」欧すなわち欧米社会に出てゆき、社会的地位と名誉をおさめ、国際人として脚光を浴び、日本を「祖国」と再認識して「武士道」を著した例外的エリートであり、「表の人間」である。

一方、大陸に活路と夢を見出して中国語を学んだ津軽人、山田良正にとって、「日本」という国家は自分の忠誠を誓うにたる祖国ではなかったかもしれない。つまり「津軽」という国を生まれながらにして失った彼は、自分の理想を実現できる「祖国」を外に見出したのかもしれないのだ。そもそも欧米ではなく東亜に注目する時点で「裏の人間」である。

新渡戸は武士道で最高の徳目を「忠義」であり、その先にある「名誉」であるとしている。一方、山田は忠義を誓うべき主君も国家もなかった。そこで自分の一生を捧げるべき対象として、孫文と中国革命を選んだのだろう。

彼のふるさと、弘前の貞昌寺には、彼を顕彰する石碑がぽつんとたてられている。観光地でもないので訪れる人も少ないようだ。世間的な「名誉」という点では、かつて5000円紙幣の肖像画にまでなった新渡戸とは雲泥の差だ。

しかし「武士道」を世界に紹介した新渡戸よりも、「武士道」を実践した山田良政のなかに、むしろ「武士道」の姿が生きているように思えるのだ。

 

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