松島で言葉を失った芭蕉と、石巻で言葉を失った私 ―「おくのほそ道」とつかず離れずで歩く東北 | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

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2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

「日本三景」どころか「東洋三景」?

「おくのほそ道」の冒頭で、芭蕉は「松島の月先づ心にかかりて」と書きつけている。白河の関をこえたところにあるもののイメージが松島の月だったというのだ。そのころから「日本三景」の一つとして広く知れ渡るようになったというが、そのはるか前から、「奥州ロマンチシズム」を喚起する歌枕のシンボル的な場所でもあったらしい。

さらに彼は、松島についてこう述べている。

「松島は日本一の風光明媚な地で、湖南省の洞庭湖や浙江省の西湖にも負けていない。(松島は扶桑第一の好風にして、(およそ)洞庭・西湖を恥ず)」言い換えれば日本三景どころか、「東洋三景」の一つが松島だと言わんばかりだ。興奮すると漢文調になるのが彼のお決まりのパターンだが、ここでは奥州の海岸を見ながら大陸的光景を感じているのだ。

 

松島の句を入れなかった芭蕉-「()」の余韻か?

ただ、そこまで松島を想ったはずの彼なのに、同書では特に句を詠んでいない。あるのは同行者にしてお世話役の曾良の

「松島や 鶴に身をかれ ほととぎす」

だけである。そして芭蕉は続ける。

「私は何も言えないまま、寝ようとしても寝られなかった(予は口をとぢて眠らんとしていねられず)」

あまりにも松島の風景が素晴らしく、言葉で言い表せなかったからだという説もあれば、あえて書かずに「()」を効果的に生かすことによって読者の想像力を喚起させる手法をとったという説もある。おそらく両方なのだろう。

 

多島海の美で愛でる松島の月

21世紀の今、松島を歩くと、昔と変わらない美しい多島海が広がる。何度か訪れたが、私の場合東日本大震災の半年後に訪れたときのことが特に印象に残っている。

松島湾だけでも二百以上の島々が浮かぶという。海岸沿いを歩いてみてもよし、「四大観」と呼ばれる山の展望台からみてもよし、また芭蕉たちが隣接する塩竃から舟で到着したことを思い出して遊覧船に乗ってみるのもよい。それぞれの多島海の美が楽しめる。

次から次へと現れる島々の間を通り抜ける遊覧船に乗って感じた。ここは小島の密度が高すぎる。芭蕉の戦略とは対照的に「間」を感じにくい。瀬戸内海や天草のように、それなりの規模の島々がずっと続くというわけではない。小一時間ほどの船の旅は、はじめは餌を求めてやってくるカモメたちと戯れていた乗客たちの多くも、次第に飽きてきたのか、スマホでSNSにアップしたりしだして、せっかくの松島を堪能しているようには思えなかった。船でここにやってきた芭蕉は、もしかしたら多すぎる小島に辟易として、あえて島々も海も読まない、「間」を生かそうと思ったのではないだろうか。

そんなことを考えながらその日の夜は今世紀にできたばかりの松島温泉に投宿した。芭蕉が訪れた地の温泉地なのに、そのホテルはバリ風リゾートホテルという、ミスマッチさをねらったものだった。しかしバリだろうが日本だろうが、宿からは初秋のおぼろ月にぼーっと浮かび上がる島々が堪能できた。「松島の月先づ心にかかりて」という一節が心に浮かんだ。

 

震災半年後の東松島・石巻で言葉を失う

翌日、隣接する東松島を通って石巻市に向かった。松島町がその半年前の震災による津波で死者・行方不明者が一桁台だった。これは多島海の島々に津波が当たって波力が分散し、市街地を襲った波もそれほど高くなかったことが挙げられる。そういえば松島の名刹瑞巌寺の長い参道の途中には、「津波はここまで来た」ということを表す石碑があったことを思い出した。樹齢数百年の杉木立は塩害で枯れたとはいえ、相対的に被害が軽微だったのは、前日私が「密度が高すぎる」と感じた島の密集具合のおかげだったのだ。

一方、東松島市は壊滅的な被害を受け、1100人以上もの死者・行方不明者を出していた。何もかも根こそぎに奪われた東松島市の海岸から、さらに東に進むと、でこぼこ道のど真ん中に巨大な円筒状の缶詰のような形の看板が転がっていた。周りはがれきの山である。3700人以上の死者・行方不明者を出した市街地の海岸線にも、やはり島々はなかった。松島で言葉を失ったのが芭蕉なら、私も別の意味で石巻では言葉を失った。

あれから半年もたつと、東京のメディアは被災地のことを取り上げる頻度が明らかに減っていた。人々の頭からあのことが風化しつつあったのかもしれない。しかしここは被災地だ。命からがら避難できた被災者の方々の仮設住宅もまだ全戸完成しておらず、体育館などで寝泊まりしている頃、「風評被害で苦しむ被災地を観光することで復興の一助に」と軽々しく考えて、バリ風のリゾートホテルで温泉につかりながら「松島の月まづ心にかかりて」など口ずさんでいた自分の無神経さが恥ずかしく、腹立たしかった。

なぜか芭蕉まで、当時の奥州の農民の苦しみも知らずに、俳諧などをやっている、地に足のつかない人物に思えてきた。災害は文学になりうるが、文学は災害そのものに対してあまりに無力だった。そんなことを考えながら被災地を行脚し、岩手県に向かった。

 

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