「枕草子」を東京で体感するなら迎賓館?②国風文化=「主体的クレオール文化」 | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

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2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

「枕草子」を東京で体感するなら迎賓館?②国風文化=「主体的クレオール文化」

紫式部曰く「清少納言は鼻につく」?

「紫式部日記」には実名を挙げてこのように言っている。「清原なんて、得意満面のドヤ顔がたまらない。あんな奇をてらう人は悪いとこに限ってよく目立つもの。賢そうに漢字を使いまくるくせに、よく見ると書き間違えていて、板についてない。(清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。 さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。)それにしてもひどい言われようである。

以前「香炉峰の雪」と聞けば、すぐにすだれを上げて宮様にお見せしたエピソードを紹介したが、彼女の本領発揮の場はそれだけではない。ある時には恋文に「君たちは宮中の皇帝のそばにて楽しく花見をしているが(蘭省花時錦帳下)、この続きは?」と、白楽天の詩を引用して清原さんの漢文の知識を試すような内容が書かれていた。「もちろん続きは『自分は廬山の雨の降る夜、庵の中で一人ぼっち(廬山夜雨草庵中)』だなんて知ってるけど、あたしの漢詩力を試すなんて」と思っただろうが、筆ではなく、あえてわびしさあふれる消し炭で「わびしい草庵なんて誰もたずねないでしょう(草の庵を誰かたづねむ)」と和文で書いて送ったら、相手の男がその機転を大喜びした、というような話が書かれている。

 

都会っ子清原さんと上京組の式部

こうしたとっさの気の利いた都会的なふるまいは、日本海側の越前生まれの不器用な紫式部にはできなかったようだ。生まれ育ちに起因する性格の違いもあったのかもしれないが、とにかく紫式部にとって清原さんというのはたいしたことないのに恥ずかしげもなく知識をひけらかす、鼻持ちならない人物だったのだろう。

今でいうと、清原さんはヨーロッパ人の中に交じって、間違いながらも明るく楽しく仏語や英語を駆使して会話を楽しむタイプ。紫式部はじっと仏語や英語の書を読み書きしながらも、他の人の語学力を徹底的に分析して、「あ、この単語の発音は和製英語っぽい…あ、ここは仮定法過去形なのに…」とイライラしているタイプかもしれない。いずれにせよ反りが合わないのだ。

ヨーロッパの極みを尽くしたかのように思える迎賓館を歩きながら想像した。清原さんと紫式部が現代人だったら、こんな「日本人が憧れ、作り上げた欧州文化」の中で、欧州の貴族の教養を楽しみ、戦わせていたのではなかろうか、と。すると千年前の彼女らがより身近に感じられた。

 

迎賓館=二条城×東照宮×平等院?

迎賓館で平安朝を感じるという不思議な見方をしていると、実は室内の調度品は明治期の日本の芸術家匠や匠たちが一世一代の仕事として作り上げた美術品や工芸品であふれており、その意匠も羽衣伝説の天井画や、鶏の七宝焼きで飾った壁、市松模様のタイル、甲冑に身をかためた武将の彫刻など、実に「和風」なものが少なくないことに気づいた。和洋折衷というより、洋の世界に和を取り入れることで、西洋にただ迎合するわけではない自分たちらしさを表現しているのかもしれない。

気づくと私は迎賓館にいながら、二条城二の丸御殿の障壁画や欄間や天井画、あるいは極彩色の彫刻群や、白地に金をあしらった日光東照宮を歩いているかのような気持ちになってきた。さらに館内を見終わって外に出ると、入館前は欧州的色彩だと思っていた勢いよく噴き出す噴水の向こうの迎賓館のシンメトリーさえ、池の向こうの平等院鳳凰堂のように思えてきた。

国風文化の繰り返し

「これも国風文化だ!」とひらめいた。一般的に国風文化とは、平安時代に唐風文化が日本に土着化して広まった独自の文化をさす。唐意(からごころ)が大和心のひだまで入り込み、「化学変化」を起こすと、唐人はもはやそれを自国のものとはみなさなくなった。まるで欧州文化が中南米に入り、土着文化と混じり合ったクレオール文化を欧州人が欧州文化とは異なるものとみなしたように。そしてその国風文化の代表例が清少納言や紫式部といった仮名文字による女流文学だ。唐の文学はほぼ男性が担うものだからだ。

しかしその後も中世に宋から禅とともに水墨画や茶や書が伝わると、日本中で茶室に書画をかけ、庭を見ながら抹茶をいただくようになった。中国伝来の諸文化同士と日本古来の感性が融け合い、中世の文化ができたのも、国風文化と同じ発展の仕方ではないか。

さらにそれが明治期においては中国文化ではなく欧州文化が日本文化と融け合って完成したのがこの東宮御所迎賓館であり、旧古河邸であり、旧岩崎邸ではないか。これらはみなこの島国で繰り返されてきた「主体的な」クレオール文化である。これは中南米のように欧州の侵略者がもたらした結果の融合ではない。その意味でも、東京で「枕草子」の世界を感じるのは、あながち外れではないと確信した。

非日常的な時間を過ごせてご満悦の父母や妻子らとともに館外に出た瞬間、外の世界が東京の雑踏に変わった。俳句を思い出し

「山門を 出れば日本ぞ 茶摘み唄」。正岡子規が明朝様式の萬福寺の境内から宇治の町に一歩出て詠んだ句だ。東宮御所が東京の町とは隔絶した世界であると同様、平安時代の宮中も京都の市中とは異なる世界であることを思い出しつつ、四谷駅に戻った。(了)

 

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