「枕草子」を東京で体感するなら迎賓館?①
千年前とは異なる京都御所の位置
平安朝の王侯貴族の暮らしぶりがよくわかる場所として、京都御所を見学したことがある。しかし中心となる建物の清涼殿は幕末に建てられたもので、いわば近代木造建築である。帝や中宮をはじめとして、清原さん(清少納言)や紫式部たちが活躍したころのものでないのは当然だが、そもそも千年前の御所は現在よりずっと西にあったはずだ。
今の御所がまがい物とまではいえないが、この御所も罪深い。千年前と位置も建築も異なるのに、「ここは平安朝の御所ではありません」と素人向けの案内がなされないため、今の御所の面影に平安朝を重ね合わせる人が続出するではないか。とはいえかつて御所があったはずの場所、すなわち二条城から北西一帯を歩いたところで、低層住宅街があるばかりで往時の面影は皆無だ。
そこで私は考えた。21世紀の現在、本当の王侯貴族の生活が最も感じられるところとして、東京の皇居があるではないか。しかし城マニアの私にとって、あそこは皇居である前に江戸城の中心部であり、武家的色彩のほうが強く感じられる。あそこに平安貴族を重ね合わせるのは不自然だ。
御所がだめなら迎賓館?
そんな時、田舎の父母が孫を見に上京するというので、家族総出で東京見物に連れていくことになった。そのとき、「山陰では見れんもんがいい」というので思い至ったのが、一般公開された旧東宮御所迎賓館だった。
四谷には何度か行ったことはあったが、迎賓館は初めてだった。近づくにつれ、近代の王侯貴族の生活の舞台が感じられ、心が躍った。手続きをしてから入館すると、近代建築の父、片山東熊が設計した最高傑作らしく、優美でありながらもどっしりしている。正面から見ると左右の完璧なシンメトリーが美しい。明治時代の日本人が心の底からあこがれたヨーロッパ文化の凝縮がそこにはあった。
中に入ると高い天井に分厚い絨毯のその空間は、イメージの中の欧州の宮殿と瓜二つである。平安時代の清原さんが憧れた中国文化というものを、現代日本人が追体感するならば、中国の古典や漢詩を学ぶという学問的なものも悪くないが、その一方で、このようなバロック音楽とフランス語がよく似合う空間で、紳士はモーニングやタキシード、淑女はドレスを身にまとい、フランス料理のフルコースや舞踏会に興じるなど、感覚的なものも必要ではないか。とはいえそのような世界は私には縁遠いが…
紫式部VS清少納言
貴族とはいえ権力の座からは遠かった清原さん、そして紫式部らが宮中で頭角を現した理由の一つに、中国文化に精通していたことが挙げられる。そしてその「中国文化」、すなわち中国の詩文の世界というのは、同時代の中国に憧れない現代日本人にとっては、千年、二千年前のあくびの出そうな漢文・漢詩の類に成り下がっている。だが清原さんの時代の人々にとってはつい百年、二百年前、ものによっては同時代の、海の向こうの香り高い文人の世界である。私が平安貴族の中国に対する思いを感覚的に追体感するなら、1909年に建てられた欧州の雰囲気あふれるこの迎賓館赤坂離宮がぴったりだと考える理由はそこにある。
ところで、紫式部の清原さんに対する評価は極めて低かった。実は紫式部の仕える中宮彰子と、清原さんの仕える中宮定子は、いとこ同士でありながら、いずれも一条天皇の妃同士で、さらに彰子の父親、藤原道長は定子の父親、藤原道隆の弟でありながら、天皇を動かそうとするという意味ではライバルである。つまり紫式部にとって清原さんは、所属先はもちろん、お互いの強みの漢文学においてもライバル同士でもあったのだ。(続)
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