「徒然草」を覚えて鎌倉を歩く①江ノ島の狛犬と「仁和寺にある法師」 | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

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2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

「徒然草」を覚えて鎌倉を歩く①江ノ島の狛犬と「仁和寺にある法師」

 昭和末期に中高生だった私は、国語で古典を意味も分からず暗記させられていた。お陰で「徒然なるままに、ひぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、 そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」ぐらいは今も口をついて出てくる。著者の兼好は京都人だが、生涯のうち何度も、東国の武士の都、鎌倉に滞在した。今回は特に、兼好も歩いたかもしれない鎌倉とその周辺を、「徒然草」を回想しながら歩いてみたい。

高校を卒業したばかりの私が初めて「徒然草」の普遍性を実感したのは、江の島に行ったときである。大学に入学したばかりのゴールデンウィークに、大阪在住のサイクリストだった私は、ペダルを踏み踏み東京を目指した。三重県桑名の公園、浜松郊外の砂丘、静岡市内の中央分離帯で野宿をしながら、四日目に藤沢の親戚の家に泊めてもらい、久しぶりに畳の上で眠った。そして五日目、東京にゴールする日の朝に訪れたのが藤沢市の南東、江の島だった。

海に突き出た陸続きの島(陸繋島)は、ドラマなどでもおなじみだったため、そのころの私にとって、江の島=ビーチと江島神社の弁天様だった。辻堂海岸の134号線を自転車で走るのは潮風が頬をなで、実に爽快だ。浅瀬の上の橋を渡り、参道の坂道を、自転車を押しながら歩くと、江島神社に着いた。古くから海上交通の要衝だったこの島には海の守り神である宗像三神を祀っていた。三姉妹とされるこの神々は、辺津宮(へつみや)、中津宮、奥宮に分かれて祀られているが、実は弁天様は鎌倉時代に源頼朝によって呼び寄せられた「新参者」である。「先住神」と「新参神」が溶け合うのも、日本の神社らしい。お目当ての上半身裸の真っ白な弁財天を拝んで、先を急いだ。

その後、なんとか無事に東京に着き、東京タワーに登って折り返し藤沢の叔父叔母の家に着いた。江の島に寄ったと言ったら、「展望台から富士山がよく見えたでしょう」と言われた。どうやら地元の人が江の島にいったら一番見たい景色というのが、展望台からみた湘南のビーチと、その向こうにそびえる富士山らしい。江ノ島で展望灯台行きの表示は見たが、江ノ島に行く=展望台から湘南と富士山を眺めるということを知らなかったのだ。

「徒然草」52段にも、念願の石清水八幡宮に詣でようとした仁和寺の僧侶が、ふもとの神社を八幡宮だと錯覚して満足し、帰ってから違っていたことを指摘された、というくだりを高校時代に学んでいた。「ちょっとしたことでも教えてくれる人がいたほうがよい(すこしのことにも、 (せん)(だち)はあらまほしきことなり)」と締めくくられているこの話が我が身に降りかかったのがこの江ノ島だった。

江ノ島と「徒然草」には後日譚がある。三十代のころ江島神社の上の児玉神社に行ったところ、入口の狛犬が中国の唐獅子のようで興味深かった。これはただものではない、中国と深いかかわりのあるものでは、と思ったときに思い出したのが、「徒然草」 236段である。

 高僧とその一行が丹波の出雲大神宮に詣でたときのこと、狛犬の左右が真逆になっていて、「これは…何かあるに違いない。」と、涙ながらに感動していた。ピンとこない同行者たちに「この素晴らしさが分からないなんて…」と残念がるので、同行者もさも分かったかのような顔をする。高僧は通りがかった宮司に、「唯一無二の狛犬と拝察しますが、どんなありがたいいわれがあるのですか?」と聞くと、「いや全く、それなんですが…近所の悪ガキどもが悪さしてくれたんですよ。」締めくくりは「上人の感涙いたづら(無駄)になりにけり」。高僧だと思っていたのがただの「ピント違いの考えすぎ」。まるでコントである。しかし兼好は高僧が「裸の王様」だと知っての保身か、付和雷同していた人たちの日和見的な態度もあぶりだしている。

これが岡本太郎レベルになれば、「いや、参った。その子どもたちの自由な発想。これこそルールに縛られない芸術としての在り方だ!」と本気で言っていたかもしれない。

境内に入って神社の由緒を読んだ。「児玉」神社とは、明治期に台湾統治で「成功」をおさめたという児玉源太郎の徳を偲んで建てたもので、台湾最高峰の阿里山から取り寄せた総檜造りだという。台湾渡来の狛犬なので、私が例の高僧の二の舞を舞ったわけではないが、日本文化に精通していると思われがちな通訳案内士だけに、自らが「裸の王様」でなくて正直ホッとした。

このように、兼好は「こういうことってあるよね」とばかりに、大衆のやりがちな言動をあばき、突き放す。その「傍観者的」立ち位置に、読者はある時は裸の王様やその追従者を笑い、またある時はその刃が自分にも向けられるのに気づく。年を重ねるほどに後者のほうが多くなるようだ。今後も江ノ島を訪れる前には「徒然草」を読んでおけば、新たな発見があることだろう。

 

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