楢葉、富岡、浪江のガストロノミーとホープ・ツーリズム―福島第一原発へのみち | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

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2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

楢葉(ならは)、富岡、浪江のガストロノミーとホープ・ツーリズム―福島第一原発へのみち

 朝、いわき市のスパリゾートハワイアンズからタクシーで湯本に向かった。運転手さんに原発のあった双葉町や富岡町にはどう行けばいいかを聞くと、「ロッコクでも常磐道でも大丈夫だよ」とのこと。「ロッコク」という表現を聞いてハッとした。私の住んでいる茨城県でも、幹線道路国道六号線を「ロッコク」という。福島の原発は遠い地のことだとなんとなく思っていたが、近所の「ロッコク」の先での出来事だったと改めて気づいた。

 レンタカー店舗で地元いわき出身の若者にも話を聞いた。「富岡に行くんですか。富岡の友人が避難でこっちに来て、東電の補償金で豪邸を建てましたよ。しかも五人家族なんで、毎月五十万円もらえてうらやましい。でもその同級生がエラいのは、ちゃんと仕事してること。あぶく銭でパチンコとか酒とか女とかに走る人もいっぱいいるのに。」

確かに市内のあちこちに築浅の邸宅群を目にする。原発で避難した人は、住み慣れた土地や海を奪われた代わりに、邸宅と働かなくてもよいほどの現金をもらった。しかし原発から30㎞以上離れたいわき市民は、放射能に対する恐れはあっても「補償金」はもらえない。「隣り蔵建ち、うちは腹立つ」というが、単なる嫌味な成金に対してのやっかみではなく、故郷を失っても豪邸と現金をもった群衆が隣人となった人々とはどのように接すればよいのか。また、新住民も「この気持ちはいわきの人たちにはわかるまい」と頑なになり続けたとしたら、両者の気持ちはすれ違うばかりだろう。

車で常磐道を北上し、広野町・楢葉町のJヴィレッジに寄った。ここはサッカーナショナルチームの大本営として1997年に東京電力の寄付で造営された。広大な敷地に、町の規模からすると考えられないほどの巨大なアリーナやフィールドが並ぶ。1971年に原発が完成して以来、東電は原発と原発マネーと雇用先とともに、「文化」をももたらした。

福島県の政治(=県庁)、経済(郡山)と交通(新幹線・東北自動車土)は中通りに、歴史文化(会津若松)と自然(磐梯朝日国立公園)は会津に偏ったが、太平洋側に面した浜通りには、いわきの常磐炭田と漁業を除いては取り立てて産業がなかった。その炭田も原発ができたころには下り坂だ。東電の「天領」となることで、特定分野における先進地域となれたのだ。サッカーというグローバルなスポーツで住民が世界につながったことの喜びは想像に余りある。しかしそれもうたかたの夢と消えた。

ここが東日本大震災の日から、自衛隊と東電と警察と除染の大本営となり、2017年にようやく東電のもとを離れた。2020年の東京五輪は「復興五輪」と言われ、聖火リレー出発地はここであるが、ここが会場になるわけではない。訪日する選手たちからすると、「フクシマ」とは忌まわしき地名であり、県民がどんなに復興しようとする姿を見せたがってもここでプレイすることに拒否反応を起こされることを(おもんぱか)ってのことだろう。

広大な駐車場から出て、ロッコクを北に進んだ。民家近くの農地に、黒い塊が見える。汚染土を詰め込んだフレコンバッグである。それが10mほどにも積み重ねられ、グラウンドの面積以上に広がっている。小規模なものも合わせると道路沿いに点在しているのだ。これで「安全」といえるのか?と諸外国の選手たちに言われても、返す言葉はない。

黒い塊を初めて見たときは私も嫌悪感がなかったと言えば嘘になるが、見ているうちにこの土はこの土地のお百姓さんたちが代々大切に守ってきたものであることに気づいた。人々に恵みを与えてきた土が、原発によって「穢土(えど)」とされ、忌み嫌われる。土も被害者ではないか。土も泣いているのではないか。車を停めて、「汚染土」が成仏するように念仏を唱えた。「山川(さんせん)草木(そうもく)国土(こくど)悉皆(しっかい)成仏(じょうぶつ)」である。

 車は富岡町に入った。ロッコク沿いに「ふたばいんふぉ」という観光案内所があったので寄ってみた。この辺りは津波で跡形もなく流されていたが、行政やスーパーが集中するこのあたりだけは復興が早かった。案内所で聞くと、たまに訪日個人客が「フクシマ」としての福島県浜通りを訪れるらしい。人類が引き起こした過ちの跡をたどり、再びそのようなことが起こらないように決意をかためるため旅行形態を、一般的に「ダーク・ツーリズム」と呼ぶが、福島県ではこれを希望を込めて「ホープ・ツーリズム」と呼んでいる。

売店でタオルが売られていた。「富岡は負けん!」とやけっぱちな字体の殴り書きがなされている。双葉町に向かおうと外に出ると、ロッコク沿いの横断幕にもこの「富岡は負けん!」と大きく書かれている。それもそのはず、ロードサイドはパチンコ店や電機店、飲食店なども少なくないが、この時点では帰還困難地域が多かったため、店が開ける状態ではない。また、ロッコクから枝道に曲がろうとしても、警備員に許可証を求められる。土地という「面」が、ロッコクというこよりのような「線」にされたのだ。「それでも負けん!」という気概がなければ、先祖伝来の土地に入れないというこの現実に押しつぶされることだろう。

車は浪江町に入った。ここは役場の近くに「まち・なみ・まるしぇ」という施設がある。仮設住宅を人々のコミュニケーションの場として提供し、クリーニング店や商店、食堂、カフェなどが数店舗並ぶ。そこにB級グルメ「なみえ焼そば」を提供する店があったので、昼食をとった。プレハブをきれいにした感じの店内は、20名ほど入れそうである。あの津波と放射能でバラバラになった住民たちが、2013年に力を合わせて泣きながら挑戦したこの焼そばは、B級グルメグランプリで優勝した。道理で実に濃厚な味わいである。

店内に首から通訳案内士登録証をつけたガイドが、9名の欧米人を案内して入ってきた。時間を割いてもらって話しかけると、社会や環境に関心のある、志し高い若者たちだとのこと。東京経由でフクシマにやってきて、あの世界史に残る大災害がなんだったのか、体で感じたいアメリカ人たち。彼らこそ県が提唱する「ホープ・ツーリズム」の顧客である。やはりこのような人々も世界に目を向ければいるのだ。

これはただの焼きそばではない。あの大災害の後の仮設住宅という「舞台」で、災害を乗り越えた「役者」が作った「伝説の」ソウルフードなのだ。食味にこだわる「グルメ」に対して、社会的・文化的背景を理解しながら、各地の食を楽しむことを「ガストロノミー」と呼ぶならば、人々の汗と涙と負けん気を成分とした、仮設住宅でいただくこの焼きそばこそガストロノミーであろう。

災害を観光化することへの賛否はあろうが、たとえ批判されてもこのような視点で旅をさせる会社や案内士がいなければ、「フクシマ」は世界の人々の忘却の彼方に追いやられてしまう。再び過ちを犯さぬための旅なのだ。事前準備を必要としない東京や京都の観光ではなく、少し勉強した人がそれ以上のものを求める旅の実践が見られたことがうれしかった。食べ終わってから請戸港に向かった。

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