スパリゾートハワイアンズと白水阿弥陀堂にみる極楽浄土 | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

スパリゾートハワイアンズと白水阿弥陀堂

 東日本大震災から9年目、コロナウイルス問題が人々の関心事になりつつあった2020年の節分に、福島県の浜通りに家族旅行に行った。家内と息子の希望でスパリゾートハワイアンズが目的地である。北千住からハワイアンズ専用のシャトルバスに乗った。車内ではほとんどの乗客がマスクをしていた。三時間ほどして、どこにでもある丘の上に並ぶ新旧のホテル群、そして巨大なかまぼこ型屋根のドームが見えてきた。どうみても「東北のハワイ」ではなく、「いわき市の炭鉱跡」そのものだ。「瀬戸内のハワイ」山口県周防大島のように、ハワイ移民の出身地でもなく、ハワイとは何のゆかりもない土地でありながらなぜ「ハワイ」なのか。

 二年前にいわき市を訪れた際、石炭・化石館「ほるる」で、炭坑内で鉱夫らしきおじさんの蝋人形が石炭の採掘の副産物として湧き出したお湯に入っている光景を思い出した。そもそもこの地の発展は明治初期に採掘がはじまった「黒いダイヤモンド」の常磐炭田に始まった。明治時代半ばには常磐線が開通したが、それもこの地の豊富な石炭を首都圏に運ぶという目的があったからだ。しかし1960年代のエネルギー革命によって、時代は石炭から石油に代わると、夕張や大牟田などと同じくこの炭鉱町も一気に衰退しかけた。

 1964年、東京五輪の年は、海外旅行が自由化された「インバウンド元年」でもある。そのころ最も人気のあったハワイにあやかり、また東北で最も気候が温暖であることもあって、「東北のハワイ」というキャッチフレーズで首都圏を中心とした人々を呼び込んだ。その名も「常磐ハワイアンセンター」。常磐炭田独自の、全社員が家族同様という意味の「一山(いちざん)一家(いっか)」というコンセプトに基づく、のるかそるかの大博打だ。ハワイ人の踊子ではなく、社員の娘をダンサーに起用するのも生き残るための方策だ。

 そんなことを思い出しつつ館内に入った。バス内では東京から持ち込んだかもしれない見えないウイルスに怯えていた私たちも、安っぽくはあるがアロハシャツ風の館内着と南国の常夏ムードあふれるハワイアンズの「ゆるさ」もあり、みなマスクを外した。

食事に関してはバイキングや懐石等、ハワイらしさはほぼなく、どこにでもありそうなものである。そして江戸情緒を醸し出す巨大な露天風呂。「江戸に露天の温泉はあったのだろうか?そもそもハワイと何の関係が?」などと野暮なことをツッコミつつ湯に入る。

夜にメインイベントである1時間のハワイアンショーを見る。巨大なステージと観客席で、ショービジネスとして純粋に楽しめる。しかしそれ以上に注目すべきは、ステージに常磐炭鉱節が流れ、炭鉱夫たちが掘削する場面が出てきたり、フィナーレには東日本大震災で休業中にも被災者を受け入れ、キャラバンを組んで全国に無事を伝えつつ営業を怠らなかった彼女らが、復興に向かって立ち向かう内容の歌と踊りを披露したりすることだ。

「1000円持ってハワイに行こう!」で客寄せをしていた昭和のビジネスモデルではやっていけないと気づいたためか、平成に入るや炭田時代のやぼったい響きがある「常磐」の名を削り、「スパリゾートハワイアンズ」に改名した。しかし令和になると「ハワイらしさ」よりも「常磐炭田から転身した炭鉱の家族経営の企業と社員、その家族が必死に作り上げた和製ハワイ空間」という2006年の作品「フラガール」を、「レジェンド」として観客に提供する場所に変わった。ここにハワイを求めることこそ野暮なことなのだ。

宿泊した部屋は、格安ということもあり10畳ほどの古びた和室である。窓の外は昔の常磐炭田そのままの光景だ。さらに、アロハを来た仲居さんや掃除のおばさんたちも、例えばディズニーランドのキャストのように私生活を見せない「夢の国の住人」ではなく、多少生活臭を感じさせる。しかし、この畳の部屋ではハワイの代わりに来た昭和の家族も、「ここがハワイ?」といぶかしむ平成のカップルも、そして震災後にここに身を寄せて救われた被災者の一家たちが泊ってきた。そのことに思いを巡らせると、この安っぽい和室もいとおしくなってくる。またあの震災の折、自ら被災者であり、家族のもとに帰りたかったであろうスタッフたちも、逃げ込んできた被災者のお世話をくたくたになりながらしてきた。スタッフに生活臭があっても、それさえレジェンドなのである。

ところでいわき市には平安時代末期に建てられた白水阿弥陀堂がある。「白水」とは「泉」を分解したもので、平泉を意味する。平泉の奥州藤原初代、藤原清衡の娘が、この地の岩城氏に嫁いだことから、藤原氏にとってこの地が奥州の最前線であったことが分かる。夫が他界してから菩提を弔うために建てた阿弥陀堂がまだ残っている。ここは池の真ん中に中島を置き、橋を二本渡して阿弥陀堂に向かうが、これは此岸(この世)から彼岸(あの世)に往生することを疑似体験させるための典型的な浄土式庭園である。

柔和な杮葺きの軒先が反った宝形造(ほうぎょうづくり)の阿弥陀堂に入る。中は薄暗いが、阿弥陀如来を中心に、脇仏を置いた姿は、京風文化がこのいわきの地まで到達していたことがうかがえる。仏像や柱などの所々に極彩色が色褪せた状態で残っており、往時を偲ばせる。

平泉の毛越寺や宇治の平等院、横浜の金沢文庫称名寺庭園など、一般的に極楽浄土は西方にあるというイメージから、主たる仏殿は西にあるはずだが、ここはそれが北に位置する。これは平泉に対する敬意ともとれるが、本当のことはよくわからない。

なお、ここは昔からこのように蓮池があったわけではなく、1972年まで農地の中にお堂がポツリとあるという状態だった。やはり極楽浄土を再現するなら池がなくてはならない。常磐ハワイアンセンターをみて「どこがハワイだ?常磐炭田まるだしじゃないか?」とツッコミを入れる人が出てきたように、ここに「極楽浄土」を見ようとした後世の人々の中には、田畑の中のお堂をみて「これで極楽浄土ねぇ…」と思ったに違いない。蓮の花開く池の向こうの極楽浄土を再現しようとした町の人々の想いがようやく結実したのだ。

あるいはこうも考えられないだろうか。スパリゾートハワイアンズの巨大なプールは、白水阿弥陀堂の池だ。ウォータースライダーで遊ぶ人たちは、阿弥陀堂の池で舟遊びをしたであろう貴族たちだ。ハワイアンダンスに興じる我々は、阿弥陀堂周辺で雅楽を楽しんだであろう彼らだ。そして南国の常夏の島、ハワイは、平安時代の西方極楽浄土なのだ。

東京に戻る時間になった。みなバスに乗り込んだ。はじめはマスクをつけない人が多かったが、北千住に到着する直前からみなマスクを取り出した。常夏の極楽浄土から江戸(穢土(えど))に来てしまったかの想いを抱きつつバスを降りた。

 

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