地道なベーシスト、新潟 | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

 

 

地道なベーシスト、新潟

 福井、石川、富山の「三県」が「兄弟同士」であるとするならば、新潟は彼らに対して「いとこ」または「異母兄弟」のような感じとでもいおうか。例えば気象庁の区分では四県とも「北陸地方」でありながら、NHKの天気予報では「関東甲信越」である。そもそも地学的に見ると、フォッサマグナの西の「三県」はユーラシアプレートに属し、東の新潟県の大部分は北アメリカプレートである。それにより、方言も「三県」+佐渡島や糸魚川までは共通する北陸方言だが、越後の大部分は、越後方言、阿賀野川以北は東北方言の亜種という。

 しかしやはり新潟県民も日本海側の人々に共通する「最小公倍数」的気質がある。それは、「こつこつ地道に一つのことをやり続ける」ことだ。例えば首都圏において銭湯の風呂焚きなどという汗まみれの地道な仕事は新潟を含む北陸出身者の独断場であるという。

 一見華やかに思えるが実は地道な「漫画家」にも新潟出身者が少なくない。「天才バカボン」「おそ松くん」の赤塚不二夫、「犬夜叉」「らんま1/2」、「うる星やつら」等の高橋留美子、「ドカベン」の水島新司、「るろうに剣心」の和月伸宏等など、みな雪深い新潟でしっかり地道に筆を握り、構想を練っていたことが成功の秘訣だったのだろうか。

 また、経産大臣指定の伝統的工芸品だけでも、新潟県は小千谷(おぢや)(つむぎ)燕鎚起(つばめついき)銅器(どうき)、三条打刃物など16種もあり、その数は京都、沖縄に継ぐ。三条市に「三条鍛冶(かじ)道場」があるので、五寸釘からペーパーナイフを作る体験をさせてもらった。これが実に地道だ。釘を火で熱して、真っ赤になったものを叩いて延ばし続けるのだが、職人さんたちは黙々と仕事を続けていく。奥出雲で刀用の鋼を作ってきた「たたら」職人の子孫である私は、先祖もこれよりもっと大きく、かつ地道なことをしてきたのかと、先祖を偲びつつ金槌を振るい続けた。

 学問においても地道な人がいた。三条市の東端の下田(しただ)という地区に向かった。まるで長江の奥地にでもありそうな八木ヶ鼻(やぎがはな)という巨大な一枚岩の断崖絶壁の下を流れる川が美しい山紫水明の村である。そこは中華人民共和国が総力を結集しても作れなかった語彙数を誇る「大漢和辞典」全十三巻を、一生をかけて編纂した20世紀の漢学者、諸橋轍次の故郷でもある。人から頼まれて辞書編纂を決意し、執筆がほぼ終わり、一巻のみ刊行したところで空襲により活字になる前の鉛の版をすべて焼失し、戦後には無理がたたって失明までした。それでも三十数年かけて全十三巻、五十数万語の収録数を誇る世界一の辞典を完成させた。

 この間、中国は日本との戦争後も内戦が続き、その後も簡体字の普及で繁体字は姿を消し、さらに文化大革命期は古典を学ぶこと自体が否定された。隣国の朝鮮半島では、南北ともに漢字を廃止した。漢文学にとって受難期であったそのような中で、失明してもこつこつと辞書を編纂し続ける文人とそれを支える人々がいたというのは唯一の明るい望みだった。

 都会の労働者の疲れをとる風呂を汗まみれで沸かし、都会の青少年の娯楽の漫画を、魂をすり減らして描き、都会、ひいては隣国の学者や文人の知識の糧となる大辞典をこつこつと編纂し続けてきた新潟は、観客から目立つギタリストやヴォーカルを引き立てる、縁の下の「ベーシスト」的存在ではなかっただろうか。そしてこのようなベーシスト気質は、新潟だけではなく金沢の鈴木大拙や境港の水木しげるなど、日本海側各地に見ることができる。

 

 

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