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謎多き神「邇芸速日命(ニギハヤヒ)」について、諸説の紹介を始めておりますが、前回は「ニギハヤヒは実在した人物~神話の神様は元々みんな人だった?」について紹介しました。
ニギハヤヒについては、古事記・日本書紀には一場面でした登場しないため、ニギハヤヒの正体を知るには、記紀では無理です。
けれど、ニギハヤヒについて、ものすごく詳しく書かれている書物があるんです。
それが・・・
「先代旧事本紀」(せんだいくじほんぎ)です。
先代旧事本紀は、古史古伝という古代文献の1つなるのですが、この先代旧事本紀は、長い間「偽書」扱いされてきたんです。
今回は、この先代旧事本紀についてご紹介したいと思います。
まず、日本の歴史書は、「古事記・日本書紀以外はすべて偽書とされているんだ」というのが現状だと知ってください。
先代旧事本紀は、日本書紀や古事記よりも前の書物になります。
先代旧事本紀には「序文」と言って、作者の前書きみたいなのが書かれています。
序文には「推古28年(推古天皇の時代622年)に、聖徳太子と蘇我馬子が協力して作った」と書かれています。
古事記が出たのが712年、日本書紀が720年、先代旧事本紀が622年になるので、先代旧事本紀は、記紀よりも100年位前に編纂された書物ということになります。
つまり、日本最古の歴史書ということになります。
ところが、偽書とされた大きな理由は
先代旧事本紀(旧事紀)の「序文」と「本文」との内容の矛盾からです。
序文においては、聖徳太子と蘇我馬子によって編纂されたと書かれているのに、本文には聖徳太子や蘇我馬子の死後の事象が記されているんです。
この部分をもって、本居宣長以来この方、先代旧事本紀は、偽書の汚名を被ることになってしまったんです。
けれど、近年になって
「この序文さえなければ、書物として完璧な歴史書になる」
と考え直されました。
そして、序文の文字には違和感があり、本編に書かれている文体よりも新しい感じがするといういことで、書き足しているのではないか?という可能性が出てきたのです。
そのため、先代旧事本紀の史料価値が再評価されるようになり、とくに先代旧事本紀の中の「国造本紀」(記紀には全く見られない国は、他に変わる物のない独自の資料であると注目されることとなったんです。
けれど、やはりまだまだ、満足な全訳さえないのが現状であり、ここには、ひとえに偽書というレッテルが未だに影響していることが原因だといえます。
先代旧事本紀の内容は、全体の流れとしては「日本書紀」とほぼ同様だとされていますし、前半部については「古事記」とも共通すると言われています。
本文は漢文で書かれていて、これは日本書紀と同じです。
先代旧事本紀には、記紀には描かれていない重要な記述が少なからずありますが、なかでも、この書物の存在価値をかけがえのないものとして、研究者達を魅了しているのが
「人名(氏祖名)」です。
その第一に挙げられるのが、巻十の「国造本紀(こくそうほんぎ)」です。
ここには、記紀にはまったく見られない国造が数多くリストアップされているんです。
なので、先代旧事本紀の価値は本巻になるとまで主張する論者さえいるそうです。
この「国造」ですが、「くにのみやつこ」「こくぞう」「こくそう」等と訓み、古代の地方官になるのですが、軍事や祭祀など、すべて自立して行う、連邦制における各国国王に近い存在になります。
こんなに重要な国造について、記紀ではほとんど触れられていないのですから、むしろ異様な感じを覚えますよね?
これは、国造の多くが渡来人であることも理由のひとつだとされています。
この国造は、律令制の成立後も系譜が温存されていて、中には出雲国造(出雲大社の宮司家である千家氏と北島氏)のように現在まで続いてる家系さえあります。
先代旧事本紀の中でリストアップされている国造は129あります。
そして、それぞれ初代国造の系譜が記されています。
その中には、6世紀中頃に大連ではなくなった大伴氏が掲載されていないため、それ以後の記録であり、また7世紀後半から活躍が始まる中臣(藤原)氏系の国造が掲載されていないため、それ以前の記録と推定されています。
また、本文用字に7世紀の特徴が見られることから、少なくとも「国造本紀」は7世紀前半の成立ということなるだろうと言われています。
そうなると、先代旧事本紀は、601年~650年の成立になるのです。
続けて、先代旧事本紀だけにみられるのは、「人名(氏祖名)」資料の第二に挙げられている「ニギハヤヒ供奉衆」の記録です。
高天原から始めて派遣された「ニギハヤヒ軍の将軍たち」が記されている部分です。
そして、この将軍たちは、その後建国された、わが国最初の統一王朝である「ニギハヤヒ王朝の幹部たち」になります。
このリストは、先代旧事本紀以外においては意図的に削除されたと見る学者もおり、その理由として大和朝廷の優越性を主張するためだとされています。
また、この将軍=幹部たちの顔ぶれを一望すれば、ニギハヤヒ国家の性格がよくわかるとも言われています。
祖神名と、氏族名+姓(かばね)・職位の一覧になっているからです。
一例を挙げると
高皇産霊尊、勅りて曰はく
「もし葦原中国の敵、神人を拒ぎて待ち戦ふ者あらば、能く方便を為し、誘欺を防拒ぎて、治め平けしめよ」
とて、 三十二人をして、並びに防衛となし、天降し供へ奉らしむ。
1 天香語山命、尾張連等の祖 ニギハヤヒの長男
2 天鈿女命、猿女君等の祖 天太玉命
3 忌部首等の祖 天兒屋命
4 中臣連等の祖
5 天櫛玉命、鴨縣主等の祖
6 天道根命、川瀨造等の祖
7 天神玉命、三嶋縣主等の祖
8 天椹野命、中跡直等の祖
9 天糠戸命、鏡作連等の祖
10 天明玉命、玉作連等の祖
以下22人、全32人
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