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今回から、謎の神「邇芸速日命(ニギハヤヒ)」について、様々な諸説をご紹介していきたいと思います。
さて、現在の天皇陛下である今上天皇は、第126代目の天皇になります。
そのことを知らない人は多いと思いますが、初代天皇が「神武天皇」であることを知らない人は、あまりいないと思います。
中には、神武天皇なんていなかったという説を唱える学者もおられますが、神武天皇が初代天皇であることは「古事記」「日本書紀」の記述に基づいているため、ほぼ日本人の常識となっています。
この「神武天皇」という呼び名ですが、実は、奈良時代に歴代天皇の漢風諡号を一括撰進されたときのものなので、本名は「神日本磐余彦」になるんです。
記紀の中で、はっきりと「初代天皇」として記されている神武天皇ですが、実は本当に初代天皇なのか?という疑問があるんです。
それは・・・・
「神武天皇が初めてヤマトに入った時、すでにそこには統治者がいた」
と、なんと記紀の中で明記されているからなんです。
しかも、その統治者というのは、たんなる賊衆の首長なんかじゃなくて、神武と同じ「天つ神の子」であると記されているんです。
その天つ神の子が、「ニギハヤヒ」なんです。
ニギハヤヒは、天つ御壐(あまつみしるし)という神宝を持っていました。
これは「アマテラスの保証」です。
もちろん神武も天つ御壐を持っていました。
だからこそ、自分こそが統治者たる資格を持つ唯一の者だと自負していたんです。
それだけに、ニギハヤヒの存在を知って驚きました。
つまり、記紀では、両者は同格だと記されているんです。
記紀にはニギハヤヒが負けたとは一切きされていないので、戦闘でも互角である可能性があります。
だとしたら、先に大和を統治していたニギハヤヒにこそ統治権があって良さそうなものなのに、なんと!!
ニギハヤヒは、なぜか神武に帰順しちゃうんです。
記紀にはそう書かれているんですよ~
これは、特別な裏事情がありそうだ!
と誰もが考えて何の不思議もありませんが、記紀にはその事情は説明されていないんです。
真相は何なのか?!
これは誰もが知りたいところですよね~
大和統治者の地位を、神武天皇はニギハヤヒから禅譲されました。
これにより、初代天皇として即位することになりますが、この経緯は誰が見ても不思議であり不可解です。
譲られた地位は、ニギハヤヒが就いていた地位になるので、そうなるとニギハヤヒも天皇だったということになります。
もしそうでないなら、神武が譲られた地位は天皇ではないということになっちゃいます。
また、「同格」ではあるものの、ニギハヤヒは先輩になるはずなのに、後から来た後輩の神武に禅譲して臣下の礼を執るも不可解ですよね。
この点が、まずニギハヤヒの最大の謎になります。
ただ、記紀よりも前に書かれた「先代旧事本紀」には、ニギハヤヒの事績が詳しく記されています。
次回からは、その「先代旧事本紀」を元に、ニギハヤヒに迫って行きたいと思います。
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