謎深き神「ニギハヤヒ」に迫っていきたいと思います! | 地下都市パヤナーガに住むタイ龍蛇族の姫★龍愛(りゅうあ)のブログ

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龍蛇族の姫である龍愛(りゅうあ)がお伝えするスピリチュアルなお話を紹介します

ご訪問ありがとうございます。

 

さて、今月から普段通りの生活に戻った私ですが、今日からはタイの祝日で3連休になるため仕事はお休みです。

嬉しいな~!!

 

今月からは、修行も再開しないといけないなと考えていますが、体の疲労が回復しないと修行には耐えられないので、自分の体と相談してのことになりそうです。

 

今回は、

ケアをした多くのタイ人が、地震を経験して一回りも二回りも強くなった姿を見させていただいて、精神的にはとても充実して元気なのですが、借り物の体に入って生きているだけに、体の「疲労」というのは簡単には取り除けず、何かとやっかいだな~と思います。

 

 

ということで、今は忙しくて読めなかった古代史の文献等を読んで、頭の修行をメインにやっていきたいな~と考えています。

 

 

 

昨日、久しぶりに源九郎とよさんと、チャットで話をしていたところ、源九郎とよさんは日本で源九郎稲荷神社の他に

大神神社、高野山金剛峯寺、吉野山金峯山寺、丹生川上神社中社、東大寺大仏殿、二月堂

等をお友達と参拝したそうです。

 

 

そこで、ずっと強く心にひっかかっていた神様が、謎の神「ニギハヤヒ」の命だったそうです。

 

源九郎とよさんは、昔からニギハヤヒの命が大好きだったそうで、日本の住所地もニギハヤヒの命が降臨したと言われる場所の近くに住んでいるらしく、ニギハヤヒゆかりの神社や史跡はほとんど訪れたそうです。

 

源九郎稲荷神社の復興活動を始めた頃は、ニギハヤヒの命が好きすぎて、神社の復興をお手伝いしてくれている「ニギハヤヒが大嫌い」だという古代史研究家の男性と喧嘩になったこともあるそうです。

 

 

 

ニギハヤヒの命は、私の以前のブログにも何回か登場しておりますが、とても謎深き神様です。

 

源九郎とよさんは

「ニギハヤヒ」=「大物主」=「アマテラス」

だと考えているそうで、その根拠は

『先代旧事本紀』と『ホツマツタエ』

にあると言っていました。

 

 

そして最近は、私が紹介を始めた「正統竹内文書」の口伝から、イコール「大歳」だという説を信じるようにもなっていました。

 

源九郎とよさんは

「大歳の妹はウカノミタマになるので、私がお稲荷さんが好きでニギハヤヒが好きなのは、二柱の神様が兄妹だからなのかな~」

なんて、言っておりました。

 

 

 

ということで、二人でニギハヤヒの命の話で盛り上がっており、さらに私自身もニギハヤヒについて再度、勉強をし直したいと考えましたので、今回からニギハヤヒについて、様々な諸説をご紹介していきたいと思います。

 

女神様の紹介シリーズは中断なの?と、思われる方もいらっしゃると思いますが、ニギハヤヒ周辺には、多くの謎の女神様が登場してきますので、合わせて女神様についても続けて紹介していきますのでご安心くださいね。

 

さらに、ちょうど私が尊敬するTOLAND VLOGでは「ホツマツタエ」の考察をされているので、サムさんの考察も参考にさせてもらいながら、ニギハヤヒの謎に迫ってみたいと思います。

 

 

 

 

では、まずニギハヤヒのプロフィールを簡単にご紹介しますね。

 

初代天皇は神武天皇というのは日本人の常識ですよね。

そして、このことは「古事記」や「日本書紀」の記述に基づいています。

 

けれど・・・・

神武天皇が初めて倭に到着したころ、すでにそこには統治者がいたと「記紀」には明記されています。

 

しかも、その統治者というのは、単なる豪族の首長などではなく

神武天皇と同じ「天つ神の子」であり、名前をニギハヤヒと言います。

 

ニギハヤヒは「天つ御璽」を持っていました。

「天つ御璽」は神宝であり「アマテラスが天つ神として保証するもの」です。

 

神武天皇も「天つ御璽」を持っていました。

だからこそ、唯一みずからが統治者たる資格を持つはずだと自負していました。

 

なので、ニギハヤヒの存在を知った時驚きました。

 

ここで、通常であれば、先にヤマトを統治していたニギハヤヒこそが初代天皇の権利があって良さそうなものなのに、なぜかニギハヤヒはすんなりと神武に帰順してしまうのです。

 

記紀には、確かにそう書かれているのです。

でも、すんなりと帰順したことについて、一切の説明もありません。

 

これって、どう考えてもおかしいでしょう~!!


神武はヤマト統治者の地位を、ニギハヤヒから禅譲され、これにより初代天皇として即位することになるんです。

 

 

絶対に不自然で不可解な話ですよね!!

 

・・・で、譲られた地位というのは、ニギハヤヒが就いていた地位であるのだから、ニギハヤヒも天皇であったということになるし、もし違うなら、地位を譲られた神武は天皇ではないことになってしまいます。

 

けれど、そのことについて、記紀では全く触れられていないのです。

 

 

 

記紀に記されているニギハヤヒの伝承部分は

 

伊波礼毘古の命は敵を次々に討ち平らげ、邇芸速日命(ニギハヤヒ)の帰順を得ると、畝傍の白橿原に宮殿を築きました

 

・・・とたった、この場面だけなんです。

 

 

 

源九郎とよさんも、ホームページの中で古事記等の紹介をされているので、参考にしてください

 

 

 

では、ニギハヤヒを知るにはどうすれば良いのでしょうか?

 

手掛かりは『先代旧事本紀』にあります。

 

先代旧事本は。記紀に匹敵する重要古典だと言われています。

記紀よりも古い時代に書かれたものであり、一般的には偽書だと言われていますが、実に詳細にニギハヤヒの事績が記されているんです。

 

 

さらに、ニギハヤヒの子孫については、『新撰姓氏録』にも、少なからず録されています。

 

列記しますと

 

物部氏、石上朝臣、穂積朝臣、依羅連、大貞連、真神田連、若倭部、阿刀宿禰、阿刀連、宇治宿禰、中臣葛野臣、高橋臣、宇治山守連、筑紫連、秦忌寸、長谷部造、高屋連、日下部、志貴県主

 

などであり、驚くべき多数に上がります。

 

 

さらに、ニギハヤヒの従者一族を加えると、さらに多数になり、日本国中の中核はニギハヤヒ一行の血族血統により形成されても不思議ではないくらいになるんです。

 

 

天皇・皇族と、いくつかの有力氏族は、ニニギの系譜から生まれますが、それよりはるかに多くの有力氏族は、ニギハヤヒとその従者の系譜から生まれています。


 

なので、日本人の多くが、ニギハヤヒの一族である可能性があると言えるんです。

 

 

 

もう一度言いますが、記紀には

「神武に譲位した先代がニギハヤヒである」

と明記されています。

 

これって、とっても重要な記述ですよね~

 

 

天皇の発祥は、記紀が根拠とされており、その記紀の中では、しっかりと初代ヤマトの統一王としてニギハヤヒの地位が記されているのに、なにゆえ、記紀はニギハヤヒを初代天皇としなかったのでしょうか?

 

 

もう、この触りだけでも、ニギハヤヒって謎深い神様でしょ?


どうですか? 興味が湧きましたか?

 

 

ということで、次回から詳しく、ニギハヤヒの謎に迫って行きたいと思います。

 

 

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  漫画で見る源九郎稲荷神社〜復興への道〜

 

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     輝け大和の源九郎さん

 

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  源九郎稲荷神社〜復興への道〜

 

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