ご訪問ありがとうございます
「新年1番に、何についてご紹介しようかな?」と考えたところ・・・・
以前に
「日本神話に出てくる女神さまについて、個別に解説してほしい」
とか、
「瀬織津姫について解説してください」
というメッセージをいただいておりました。
日本神話に登場する女神様は、
天照大神
瀬織津姫
宗像三女神
スセリビメ
ヌナカワヒメ
シモテルヒメ
神大市姫
等・・・
とても魅力的でそして謎の多い神様が多いですよね~。
これらの女神様については、個別にご紹介してきたいな~
と思っていましたので、新年という縁起の良い時期をスタートとして
女神シリーズをはじめていきたいと思います。
ということで、その一番バッターは!
もっとも謎が多い女神様「瀬織津姫」についてご紹介したいと思います。
瀬織津姫については、日本書紀や古事記には一切出てこない謎の女神さまなのですが、とんでもなく人気がある神様です。
瀬織津姫は、天照大神の荒魂とされる謎多き神様であり、そのため歴史から抹消されてたのではないか?(そのため記紀には登場しない)とも言われています。
記紀には登場しないのに、なぜ多くの人に知られているのでしょうか?
それは「大祓」という祝詞の中に登場するからです。
そして、この祝詞の中だけに登場する神様でもあるんです。
大祓の中に登場するため、瀬織津姫は
人々のあらゆる罪や穢れを川から大海原に流す力
を持っています。
瀬織津姫は
「川や滝を司る水神」
であり、
「白蛇」「白龍」の化身
です。
瀬織津姫と同一視されている神は
ミツハノメ
タカオカミ
弁財天
イチキシマヒメ
天照大神
等を筆頭に、実はとんでもなくたくさんの別名があり、その別名も含めて」瀬織津姫を祀る神社は、全国に500社弱もあると言われています。
なぜ、多くの別名が存在するのでしょうか?
皆さんは「天照大神」は女神だと思っていますよね?
けれど、天照大神は実は男性神だとする説も存在するんです。
そして、天照大神の妻こそが瀬織津姫だというのです。
えっ? えっ? えっ? どういうこと?
ですよね~
政治的な策略で
天照大神を女神にする必要があった
としたらどうでしょうか?
「天照大神を女神に変えた」という暴挙は
飛鳥時代、精霊622年~661年の間
に挙行されたと考えられています。
第35代皇極天皇
第37第斉明天皇
第41第自動天皇
これら女性天皇の時代になります。
皇極天皇と斉明天皇は同一人物ですが、跡を継ぐ男性天皇がいなかったため、再び天皇になった女性天皇です。
これを重祚(ちょうそ)といいます。
そして、第33代推古天皇を加えると、たtぅた40年程の短い期間に
4人の女帝
が続いたことになるんです。
この当時、天皇は男性でなければいけない決まりでした。
けれど、男性がいなければ暫定的に女帝を擁立させることが可能とされていました。
しかし・・・
短期間に女帝が4代も立つということは、由々しき事だったのです。
そのため、ここに女帝を建てるための大義名分、正統性の証明がどうしても必要になりました。
そこで
原始女性は太陽であった
とする物語を創作することになります。
西暦711年に完成した「古事記」
西暦720年に完成した「日本書紀」
は、そのようにして作られたのです。
古事記、日本書紀の編纂事業を指揮したのは、持統天皇の在世(在位期間690年~697年)であり、中臣鎌足になります。
中臣鎌足(藤原鎌足)が没した後、この事業を引き継いだは息子の不比等です。
女性天皇であった持統天皇は、この藤原親子が策謀した物語を許可しました。
そして、この策謀には1つ問題がありました。
男性神の天照大神を女神にするには不都合な存在がいたのです。
それが、天照大神の妻であった瀬織津姫の存在です。
天照大神が女神だとしたら、妻の瀬織津姫は存在してはいけないことになります。
整合性が取れないからです。
そこで、瀬織津姫は歴史の表舞台から消されることになったのです。
そのため、全国の瀬織津姫を祀る神社に対し
祭神を変えるように
という強制指令が出されました。
天照大神が男性であることを記した文献等もことごとく処分されました。
全国に無数にあった瀬織津姫を祀る神社は、忽然と消されて行きました。
けれど、祭神を変えるということは神社の存亡にかかわる話です。
祭神を変えれば神社の由緒もなくなり、形式だけの神社になってしまいます。
宮司にとっては、これは暴挙でしかありませんでした。
そのため神社のごく一部は祭神を変えず、瀬織津姫の神名を別名に変えて、祭神を変更したかのように装い、密かに瀬織津姫を祀り続けたのです。
あくまでも、これは1つの説であり、私自身も
天照大神が女性であったのか?
男性であったのか?
瀬織津姫が天照大神の妻だったのか?
答は見つけられずにいます。
(なので、前述したお話は諸説の中の1つとして聞いてくださいね)
ただ、瀬織津姫はやはり隠された女神であることには間違いはなく、
それだけにより一層、心を惹かれる女神様なのだと思います。
ということで、一旦、
「天照大神が男性であり、瀬織津姫はその妻であった」
という話は脇に置いておいて、次に
「天照大神と瀬織津姫は同一神」
と言われている説について紹介したいと思います。
天照大神は、
太陽の女神、日本の総氏神
天界を統べる、最高に尊い神様
すべての神社の頂点に位置付けられる伊勢神宮の主祭神
です。
現在、天照大神の魂は、伊勢神宮において
2つに切り分けられて別々に祀られている
ことはご存知でしょうか?
それが、
和魂(にぎみたま)
荒魂(あらみたま)
です。
和魂は、神の穏やかで調和的な側面を表し
荒魂は、神の勇ましくて荒々しい側面を表す
のですが、1つの魂なのに2つの全く違う側面を持つことから、
和魂と荒魂は別々に祀られることがあります。
天照大神の和魂は「正宮(しょうぐう)」に祀られ、荒魂は「荒祭宮(あらまつりのみや)」に祀られています。
なので、伊勢神宮に参拝されて、正宮にだけお詣りして荒魂をお詣りせずに帰ってしまう人も多いと思います。
この伊勢神宮の荒祭宮にはとんでもないものが祀られているんです!!
伊勢神宮下宮の神官である「渡会行忠」が、1200年代に書いたと言われている「大和姫命世記 伊勢二所皇大神宮御鎮座伝記 中臣祓訓解」には、
伊勢神宮に祀られている天照大神の荒魂には、別の呼び名がある
と、はっきりと記されているんです。
その別名というのが・・・
なんと!! 瀬織津姫 なんです。
他にも・・・・
兵庫県最古の神社と言われている「廣田神社」には、
伊勢神宮の荒魂と同じ魂が祀られている
そうなのですが、
廣田神社の戦前の由緒書きには、
「この廣田神社は瀬織津姫が主祭神である」
と記されていたそうなのですが、戦後には、
「天照大神の荒魂が主祭神」
と記されているそうです。
廣田神社の奥宮だとされる「六甲比売大善神社」の主祭神は
今でも瀬織津姫だそうです。
やはり、ここでも瀬織津姫は隠され変えられていますよね~!!
また、大阪市内にある「御霊神社」には、
主祭神 天照大神の荒魂(瀬織津姫)
と書かれています。
これらの事実から
天照大神の荒魂 = 瀬織津姫
であることは確定ではないでしょうか?
「大祓」という祝詞にだけ出てくる存在の「瀬織津姫」が「天照大神の荒魂」ということは、どう理解すれば良いのでしょうか?
研究者の方は
と良くおっしゃられていますが、ほんとにそのとおりなんです!
ということで、この続きは次回にお話したいと思います。
★ 龍族の女王源九郎とよさんのブログサイト
とよさんがタイに来る前に、神様から与えられた貴重な体験として、
源九郎稲荷神社という荒廃した神社を復興された
ことについ活動記録のサイトを立ち上げられています。
このサイトに掲載されているブログには、とてもたくさんの不思議なお話が紹介されています。
私のブログを読んでくださる方には、是非同時に読んでいただきたいと思います。
そして、とよさんがしてきたような小さな小さな活動が、多くの人の心に愛と慈悲を取り戻すことに繋がるのだと思っています。
源九郎稲荷神社~復興への道~
https://genkurou-inarijinjya.ne
ということで、「秦氏」と「加茂氏」&「鴨氏」の氏神を調べてみても、同じ出雲の神様を祀っていはいるものの、同じ神様が祀られているわけではないことがわかりました。
このことも、巧妙に重要なことが隠されているということになるのかもしれませんが、八咫烏の氏神は「事代主」だとわかったため、この先は、事代主について検証していきたいと思います。