稲荷神である「源九郎稲荷大神」と龍神である「二葉姫」との関係とは? | 地下都市パヤナーガに住むタイ龍蛇族の姫★龍愛(りゅうあ)のブログ

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龍蛇族の姫である龍愛(りゅうあ)がお伝えするスピリチュアルなお話を紹介します

ご訪問ありがとうございます。

 

前回は、

二葉稲荷神社の二葉姫さんは、実は性格は良いけど、のんびり屋でルーズな性格だったというお話をさせていただきました。

 

 

さて、前回の最後でも言いましたが、みなさんは、きっと

 

なぜ源九郎稲荷大神はとよさんの夢枕に立ち、

「二葉姫を源九郎稲荷神社に連れて来て」

とお願いをしたのか? 

 

という疑問を持たれたと思います。

 

 

私は、とよさんから二葉姫さんのお話を聞いたとき、一番にそのことを疑問に思いました。

 

 

 

とよさんが、狐の姫から聞いた話では、

 

「源九郎稲荷大神様も二葉姫も、とても長く生きています。

源九郎稲荷大神様も、二葉姫様も、どちらも稲荷神として祀られていますが、実はどちらも龍神になります。

 

源九郎稲荷大神様は、大海原を支配する龍神の大神であり、龍族を束ねる王の中の王になります。

 

源九郎稲荷大神様は、今は稲荷神として奈良県大和郡山市の「源九郎稲荷神社」に祀られていますが、ここに祀られるようになったのは、豊臣秀長さんの時代であり、秀永さんの守り神として鎮座されました。

 

なのでそれ以前は、別の神社に鎮座されていたり、自由に動き回ったりしていました(実は今も、神社でじっとされている神様ではなく、眷属の狐さんに神社を任せて自由に動き回っています)

 

そして、二葉姫は、元々蛇神でしたが長い間生きて強い力を持つ黒龍神になりました。

 

二葉姫も、今は二葉稲荷神社に鎮座されていますが(この神様も、封印されたことになっていますが、実は封印などされていなくて自由に動き回っています) 自由で活動的な神様であり、あっちに行ったり、こっちに行ったりされていました。

 

 

この二柱の神様は、同じ龍族が祀る強力な力を持つ龍神であり、実はとても仲良しなんです。

けれど、それぞれの役目を果たすために、あちらこちらを飛び回っているうちに、お互い疎遠になってしまったのだそうです。

 

神様は、五次元以上の空間に存在している時は、それぞれテレパシーで交信できるのですが、三次元の世界で鎮守として祀られてしまうと、一時的にテレパシーが遮断されてしまうケースがあります。

 

特に、二葉姫は、僧侶達によりその力を封印された形になっており、実際のところ封印はされていないものの、やはり本来の力からは弱まったり、遮断されたりしている場合があり、源九郎さんがいくら呼びかけても反応がなかったそうなのです。

 

そろそろ、龍族と龍神達が力を合わせて、戦う時が近づいてきているため、源九郎さんは二葉姫を探し出す必要性を感じ、それで、源九郎とよさんに二葉姫を探すようにお願いしたんですよ。」

 

ということでした。

 

 

なんだ、源九郎さんと二葉姫さんは、友達たったのか!

とわかり、私はとても嬉しくて感動してしまいました。

 

 

ということで、源九郎さんが二葉姫さんを探していた理由はわかったものの、

でも、なぜ龍神が稲荷神として祀られているのか?

という点については、きっと、みなさん不思議に思われていると思います。

 

 

この点については、私がシャーマンとして修業をする中で、マスター達に教えられたひとつの説があります。

 

それをお伝えしようと思うのですが、これからお伝えすることは、あくまでも、私たちシャーマンの間で伝えられてきた話になるので、一般的に伝わる史実とは違う部分も多々あります。

 

なので、「嘘を言うな」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

 

あくまでも、私達、龍蛇族のシャーマンの間では、これが通説として信じ伝えられてきていますので、その点はご了承の上、参考として聞いてくださいね。

 

 

 

私達、龍蛇族のシャーマンは、

様々な術や作法だけでなく、世界中の古代史なども勉強しなければならなりませんでした。

そのため、聖書はもちろんのこと、シュメール神話やギリシャ神話、北欧神話などの神話も勉強させられました。

 

特に、日本は龍族の頂点に君臨すると考えられていたため、

日本の古代史については徹底して勉強しなければなりませんでした。

 

なので、日本に伝わる古事記や日本書記等の歴史書だけでなく、

禁書や偽書と言われている古文書や風土記等も勉強しました。

 

 

そこで、学んだことは、

「稲荷神」というのは、渡来人「秦氏」の氏神であり、その正体はイコール「龍神」である

ということです。

 

 

稲荷神社は、全国で2万社近くあり、個人の家の中の小社まで含めると4万カ所以上の稲荷神が祀られいる、超人気の神社になります。

 

狐の眷属さんは、親しみやす・可愛らしさもあり、日本人にとってはとても身近な神社なのですが、実は、稲荷神社は渡来人の秦氏が作った神社になるんです。

 

 

お稲荷様は、もとは京都(昔は山城の国と呼ばれていました)で祀られていた土地の守り神で、その名前を「宇迦御魂神(うかのみたまのかみ)」と言いました。

この「うたまみたまのかみ」という神様に、すべての謎がかくされているのですが、これは後で説明しますね。

 

 

この稲荷神を氏神として祀ったのが、京都盆地に勢力を張った渡来人であり古代の豪族である「秦氏」になるのです。

 

 

日本書記には

秦氏は、応神14年(283年)、神功皇后と応身天皇に使えた弓月君を祖としており、百済より10万人以上の人を率いて渡来し、数千人から1万人ほどが帰化したと記されています。

 

日本には、まず豊前国に渡来して拠点となし、その後は中央政権へと進出していきました。

 

雄略天皇の時には、大和国から、山城国葛野郡(現在の京都市右京区太秦)に住み着くようになり、その他、山城国紀伊郡(現在の京都市伏見区深草)や、河内国讃良郡(現在の大阪府寝屋川市太秦)、摂津国豊嶋郡など各地に土着しました。

 

秦氏一族は、非常に高等技術を持つ優れた民族であり、土木や養蚕、機織などの技術を伝えました。

 

という内容のことが記されています。

 

 

秦氏が日本に来たタイミングと、古墳時代がぴったりと合うことから、私達が教えられたのは「日本の古墳は秦氏が関わって作った」ということです。

 

秦氏はすぐれた土木の技術を持っていたため、普通に考えても古墳作りに関わっていた可能性は高いと思います。

 

 

 

そして、この古墳の中からは、様々なユダヤ的な特徴を持った埴輪が見つかっています。

 

 

みなさんは、正統のユダヤ人ってどんな格好をしているか知っていますか?

 

つばの長い帽子を被って、髭を伸ばし、もみあげをねじり上げているんです。

 

 

ユダヤ教の人達は、神の教えを徹底的に守る人達であるため、おそらく彼らは昔からこのような格好をしていたと考えられます。

 

 

 

秦氏の一族は、京都の太秦に住んでおり、京都を中心に、いろんな神社やお寺の建立に関わっていました。

京都最古のお寺は広隆寺と言われているが、このお寺も秦氏が作っているんですよ。

 

 

さらに、秦氏とユダヤの共通点は他にもいくつかあります。

 

 

まずは、京都の超有名なお祭り「祇園祭」ですが、これは秦氏が神様からの御神託を受けて始まりました。

 

この祇園祭と、ユダヤのお祭りである「シオン祭」は、名前の音が似ています。

そして、祇園祭が一番盛り上がるところで、旧約聖書等のペストリーが使われています。

ユダヤ人が神様から賜った契約の箱(アーク)は、まるで神輿と同じです

 

 

次に

7世紀に、秦氏がお金を投入して作った平安京にもユダヤとの共通点があります。

ユダヤの聖地はエルサレムですが、直訳すると「平安な都」になるんです。

 

 

まだまだ、ユダヤっぽい痕跡がたくさん発見されているのですが、いろんなことを総合的に考えると、秦氏はユダヤ系にルーツがあるのではないかと考えられるのです。

 

 

個々で、少しだけユダヤの十氏族について説明しておきますと、

 

 

ユダヤは昔、南北に分かれました。

北の部族は「十氏族」と呼ばれていました。

 

南と北で喧嘩して戦い、北の十氏族は負けました。

その後、この十氏族は、ユダヤの地を追われどこかに行ったのですが、どこに行ったのかかわかりませんでした。

 

その後に、南も滅ぼされました。

国がなくなったユダヤ人は、みんな流浪の旅となりました。

 

今は、研究が進み、北の十氏族の人達が辿り着いた可能性のある国というのが発表されています。

 

 

それは4つあって

 

1つはアフガニスタン

1つがエチオピア

1つが中国

1つが日本

 

だと有力視されています。

 

 

特に、イスラエル政府は、失われた十氏族は日本に行ったんじゃないかと考えて、日本に調査に来ています。

 

そして、この日本に辿り着いたといわれているのが「秦氏」だと言われており、

これが、秦氏=ダヤ人説 になります。

 

 

この、ルーツもさることながら、秦氏最大の謎は、

 

財力ある、技術もある、知識ある、人数もめちゃくちゃ多いのに、

なぜ徹底的にサポートにまわり、日本を支配しなかったのか? 

乗っ取らなかったのか?

 

という点になるのですが、これについては、長くなるので、また別にお話したいと思います。

 

 

 

さて、こういったプロフィールを持つ秦氏ですが、たくさんの神社やお寺を建立しています。

そして、その中でしれっと自分達の氏神を祀る神社を作っていたんです。

 

それが、なんとお稲荷さんを氏神として祀る「稲荷神社」になるんです。

日本に何万社とあるお稲荷さんは、実はその正体は秦氏の氏神になります。

 

 

お稲荷さんの別名は「ウカノミタマ」と言い、お稲荷さん=ウカノミタマになります。

 

ウカノミタマという名前は、古代の日本では稲に宿る精霊を指す言葉であり、

稲が人々の食を支える植物であったことから、

食物神という位置づけで信仰されました。

 

 

では、このウカノミタマの正体とは? いったい何なのでしょうか?

 

 

ここからは、すこし歴史的な話になるので、古事記などを読まれたことがない方には、頭が混乱していまう話かもしれません。

 

このウカノミタマは、なんと! 「スサノオ」の実の娘になるんです。

スサノオ息子には「大歳」という神様がいて、ウカノミタマは、その妹になります

 

さらに古事記や日本書記、その他の古文書では、登場する神様はいくつか名前を持っておりまして、

この大歳は、大国主とされていたり、ニギハヤヒとされていたりします。

 

 

でも

秦氏は海外からやってきているのに、その秦氏の氏神が大歳の妹? 

これはどういうことなのでしょうか?

 

 

さらに、秦氏の鎮守として「松尾大社」が有名なんですが、この松尾大社の主祭神は「大山咋神」になり、この神様は、大歳の息子になるんです。

つまりスサノオの孫になります。

 

もう、すでに頭が、混乱してしまいますよね~。

 

 

神様の名前は覚えなくても良いのですが、

これらの神様はすべて「出雲系」の神様になる

ということを、覚えておいてくださいね。

 

 

また、松尾大社は亀をシンボルとしているのですが、これも出雲系を代表する神社だえる「出雲大社」と同じなんです。

亀を祀るというのは出雲系の証になるんです 

 

つまり、秦氏は出雲系の人達になるというわけなんです。

 

そして、この出雲系の人達が祀っていた神は「龍神」「蛇神」です。

 

 

ということで、なんとなく核心に迫って来たでしょ?

 

 

 

ではなぜ、

 

秦氏は出雲の神様を信じているのに、アマテラス系である朝廷に協力していたのか?

そもそも外国人なのに、出雲系の神様を崇拝しているのか?

 

という疑問も出てきますよね。

 

 

そこを説明してくためには、秦氏のルーツをさらに詳しくお話していく必要があるので、この先は長い話になるため、次回にまわいたいと思います。

 

 

 

★ 龍族の女王「とよさん」のブログ


とよさんがタイに来る前に、神様から与えられた貴重な体験として、

源九郎稲荷神社という荒廃した神社を復興された

ことについては、その活動記録のサイトを立ち上げられています。

 

このサイトに掲載されているブログには、とてもたくさんの不思議なお話が紹介されています。

私のブログを読んでくださる方には、是非同時に読んでいただきたいと思います。

 

そして、とよさんがしてきたような小さな小さな活動が、多くの人の心に愛と慈悲を取り戻すことに繋がるのだと思っています。

源九郎稲荷神社~復興への道~
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