地下都市パヤナーガに住むタイ龍蛇族の姫★龍愛(りゅうあ)のブログ

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龍蛇族の姫である龍愛(りゅうあ)がお伝えするスピリチュアルなお話を紹介します

ご訪問ありがとうございます。

 

 

前回は、

 

大国主の子孫が公開した、怨念に満ちた怖い怖~い「出雲口伝」

 

について、ご紹介させていただきました。

 

 

 

 

最近は、かなり深く踏み込んだ古代史について紹介させていただいているため、「難しくて頭が混乱してきた~」といったメッセージもいただいており、ちょっぴり申し訳ないな~と思っているのですが、どうしても龍神信仰のことを語る上で外せない伝承の数々なので、もう少しおつきあいくださいね。

 

 

 

前回の話をまとめますと
 

・ 東日本流外三郡誌で描かれる「5000年前に東の大陸から海を渡って津軽に漂着したツボケ族」と、出雲口伝で伝えられる「4000年前に東の大陸から海を渡って東北に辿り着いた古代出雲族」は、同じ民族のことを指していた

 

 

・ 東日本流外三郡誌では、日向族に敗北したトミノナガスネヒコは、津軽に落ち延び、晋の一族と融合して「アラハバキ族」になったと伝えられている

 

・ 出雲口伝では、日向族に敗北したトミノナガスネヒコは、出雲(東北)に戻り、隠された女首長(アラハバキ)を崇拝していた

 

・ 出雲口伝を継承した大国主の子孫である富當雄さんは、「トミ」といいう名前から分かるように、おそらくトミノナガスネヒコの子孫だった。

 

 

・ 「島根 =出雲」は「津軽=古代出雲」だった。

 

といった内容についてお話させていただきました。

 

 

 

源九郎稲荷神社は、源義経ゆかりの神社になりますが、義経もやはり最後には東北に逃げています。

その点から考えても、やはり東北には、まだまだ私たちが知らない謎がたくさん隠されているような気がするのです。

 

 

 

 

さて、今回は、古代出雲族が信仰していた神様が「アラハバキ神」という女神だという説があることがわかったので、さらにアラハバキ神について、お話していきたいと思いおます。

 

 

 

以前からお伝えしおりますが、アラハバキ神というのは、

 

・村境を守る「塞の神」という説

・他の地域からやってきた「客人神(お客様的な神様)」ではないかという説

・スネに巻く脛巾と同じ音であることから「脚の神」を表すという説

・長髄彦(ナガスネヒコ)が転じてアラハバキになったという説

 

等が諸説として伝わっております。

 

 

 

偽書と言われる東日本流外三郡誌では、

 

大和を支配していたナガスネヒコは、巫女をトップとする日向族に敗北した後津軽に落ち延びて「アラハバキ族」を名乗った

 

と記されていました。

 

 

しかし、

東日本流外三郡誌に描かれるアバハラキ神の姿は、津軽半島で発見された「遮光器土偶」そのものであり、ナガスネヒコの姿ではありませんでした。

 

けれど、遮光器土偶は女性を表しているので、ナガスネヒコが率いるアラハバキ族は、「アラハバキ」という神を祀る女性信仰であったということがわかりました。

 

 

 

一方、大国主の末裔が語る「出雲口伝」では、ナガスネヒコは出雲族の子孫であり、出雲と大和の地を支配していたと語られています。

 

日向族に敗北し、大和を追われたナガスネヒコは、故郷である出雲の地で亡くなったと伝えられておりますが、ここでいう出雲は島根県を指すのではなく、出雲族のルーツは東北地方にあることがわかりました。

 

つまり、神武天皇に敗れたナガスネヒコは、東日本流外三郡誌の記述や正統竹内文書の口伝と同じく、東北の地で亡くなったということになります。

 

 

 

さらに出雲口伝には、伝承者である富當雄さんが亡くなる寸前に、重大な隠された情報を明らかにしました。

 

その情報というのは、

 

それまでは出雲族のトップは男性神で「クナトノ大神」だけだと伝えられていましたが、実は女性のトップも存在し功名に隠されていた

 

という驚くべき内容でした。

 

 

そして、出雲族の隠された女首長(女王)こそが、アラハバキ神だと明かされました。

 

 

 

ここまでが、前回の話になるのですが、ナガスネヒコ一族がアラハバキ神という女神を崇拝していたことはわかりましたが、アラハバキ神がどのような神様だったのかというのは明らかにされていないんです。

 

アラハバキ神というのは、現在では、メインで祀られていない神様になります。

表向きは違う神様が祀られ、アラハバキ神は「客人神」として祀られているため、輪郭がぼやけているんです。

 

 

 

 

けれど、そんなアラハバキ神について、ヒントとなる神社存在すると以前にお話しました。

思い出していただきたいのですが、埼玉県にある氷川神社です。

 

 

氷川神社にはかつて、人が絶対に踏み入れてはいけないと言われる「禁足地」が存在しており、その禁足地こそがアラハバキ神が宿る場所として崇められていました。

 

そして、その禁足地の名前が「蛇の池」でしたよね。

 

そんなことから、アラハバキ神というのは「泉に宿る蛇神」だったのではないか? 考えられています。

 

水神といえば、蛇体を持つ水の神様だったと言われています。

 

なので、水神と言われる「瀬織津姫」を連想させるのですが、瀬織津姫については、いったん脇に置いておいて、また後日、深堀していきたいと思います。

 

 

 

もう一つ、以前のブログで紹介したお話を思い出してほしいのですが・・・

 

縄文時代中期には、蛇の女神を表した土偶や土器が数多く発見されていると紹介させていただきましたが、アラハバキ信仰というのは、縄文時代からの蛇の女神信仰と直接繋がるのではないか?

 

と考えられている説です。

 

 

 

日本中の伝承を探ると、アラハバキ神が宿ると考えられていたのは泉だけではありませんでした。

 

むしろ、泉にアラハバキ神が宿るのは珍しいケースでした。

なので、やはり隠された神として、なかなかその輪郭は見えてこないのです。

 

 

けれど、アラハバキ神の正体を探る上でヒントとなる、アラハバキ神を直接祀っている神社が見つかっているんです!

 

 

 

そのうちの1つが岩手県にある「丹内山神社」です。

 

 

この神社は、明治維新までは「大聖寺」と呼ばれるお寺でした。

この神社があった場所は、元々、蝦夷が信仰していた聖地でした。

 

大和朝廷が蝦夷に勝利して、蝦夷の聖地であったこの場所に「大聖寺」を建てたのが始まりです。

 

そこから1000年以上経ち、明治維新の折りに、それまでは一緒になっていた神社とお寺を切り離そうという神仏分離の動きが起こりました。

 

それで大聖寺は、現在の丹内山神社となりました。

 

最初は蝦夷の聖地 → 大聖寺 → 丹内山神社

 

という流れで何回か信仰が上書きされている場所になります。

 

 

しかし、何らかの祟りがあったのか、蝦夷からの強い反発があったのか、建物は更新されているのに「アラハバキ神」のご神体はそのまま残り続けたんです。

 

 

 

では、この丹内山神社に残るアラハバキ信仰とはどのようなものなのでしょうか?

 

 

丹内山神社の奥地には、高さ3メートル以上巨大な石があり、その巨石がアラハバキ神のご神体として祀られているのです。

 

この巨大石ことが、1300年前から蝦夷達が崇拝していたアラハバキ神になるのです。

 

 

石棒や笹に憑依する諏訪大社の「ミシャクジ神」の信仰と比較して考えると、この岩そのものがアラハバキ神だというわけではなく、アラハバキ神が宿る1つの岩として信仰されていた可能性が高いそうです。

 

 

この巨石には隙間があり、そこをくぐると安産や商売繁盛の御利益があると言われています。

 

そのため、この巨石は「胎内石(母なるお腹)」と呼ばれています。

つまり、丹内山神社でも、アラハバキ神を女神として扱っていることになります。

 

さらに、この丹内山神社には、この胎内石を守るように「爺杉」という大きな古木の根っこが存在していているんです。

 

これについは、正統竹内文書で語られるかぐや姫を守る「ナガスネヒコ」や、日本神話の竹取物語の「おじいさん」を彷彿させると考えられているんです。

 

 

 

この地には他にも不思議な伝承が残されています。

 

大和朝廷と蝦夷が争っていた時代にさかのぼります。

当時、蝦夷との戦いで活躍したのが、征夷大将軍の坂上田村麻呂です。

 

この田村麻呂は、蝦夷との戦いの最中であるのにも関わらず、アラハバキのご神体がある地に籠り、しばらくの間祈願を続けたと言われています。

 

この時は、まだ「大聖寺」が建てられる前であり、蝦夷の聖地だったので、敵の神「アラハバキ神」に対して祈願したということになります。

 

大和朝廷の征夷大将軍が敵の聖地に籠って、敵の神様に祈り続けていたというのは、どういうことなのでしょうか?

 

 

田村麻呂はその後、蝦夷を優遇したり、処刑に反対したりしたことでも有名ですが、彼はこの地で何かあったのかもしれないですね。

 

 

次に、愛知県三河地方にある岩座神社にもアラハバキ神が直接祀られています。

 

神社の名前からもわかるように、この神社にも不思議な石が祀られています。

 

その石がアラハバキ神を祀るご神体だという風にははっきりとは記されていないのですが、胎内石と同じく境内の奥にあり、自然石とは思えない不思議な形をしているのです。

 

 

次に、静岡県浜松市にあるアラハバキ神社ですが、ここにも巨大な磐座がご神体として祀られています。

 

この巨石も、あきらかに石が積まれており人工物であると考えられます。

 

ということで、アラハバキ信仰は、泉だけでなく磐座と結びついていたことがわかります。

 

 

 

そして、極めつけが北海道小樽市にある金吾龍神社です。

 

金吾龍神社がある場所は、超古代から聖地とされており、周辺には縄文人が作ったとされるストーンサークルや貝塚、フゴッペと呼ばれる縄文時代の洞窟が発見されているんです。

 

金吾龍神社がいつ作られたかは不明であり、境内から出土した祭祀用の縄文土器などの分析から、約5000年以上前からこの場所で祭祀が行われていたと考えられています。

 

なので、この神社で行われていたのは、完全に縄文の信仰ということになります。

 

金吾龍神社の現在の主祭神は「大元尊神」と言われる謎の神様であり、万物を創ったはじまりの神だと言われています。

 

他には、日本神話に出てくる国常立尊や、大山咋神が祀られていますが、奥宮に祀られているのがアラハバキ神なんです。

 

おそらく他の神様は建前であり、奥宮に祀られているアラハバキ神こそが、真の主祭神だと考えらており、金吾龍神社の社伝では、アラハバキ神は、今から5000年前に祀られ始めたとされており「太陽・月・大地と生命を司る龍神」だと伝えられているのです。

 

つまり、金吾龍神社では、アラハバキ神=龍神 だと伝えられているのです。

 

 

 

さらに社伝には、16000年前に、今でいうフゴッペ岬で磐座信仰が始まり、5000年前に龍蛇神アラハバキ信仰が始まったと記されています。

 

4000年前から徐々に南下し、北海道→東北→北陸→出雲 という流れで全国に広がって行ったと伝えられているんです。

 

7世紀に阿部比羅夫という人物が進出してきて、古神道が伝えられたと記されており、それまでは縄文時代から続く独自の信仰を続けていたことになります。

 

 

 

 

また、金吾龍神社から徒歩数分のところに、フゴッペ洞窟という洞窟があります。

 

フゴッペ洞窟は、最終氷期から温暖化による急激な海面上昇によって、地形がえぐられていき、5000年前に出来たものだそうです。

 

これは地質学的にきちんと研究された話になるのですが、東日本流外三郡誌に語られるツボケ族が日本に漂着した時期と、金吾龍神社に伝わるアラハバキ信仰のスタート時期とも重なることになります。

 

フゴッペ洞窟は1950年に発見されて、翌年から発掘調査が進み、1953年には国指定の史跡と認められました。

 

この洞窟からは、800以上の壁画が見つかっているのですが、これらの壁画は2000年前に描かれたものだとされており、何万年と続いてきた縄文の文化を色濃く受け付いた人達が描いたものだと考えられているのです。

 

壁画には、船や魚、海獣といった様々なイラストが描かれているのですが、なぜか普通の人間は描かれていないんです。

 

どんな人間が描かれているかといいますと、羽が生えた人、角がある人などが描かれているのです。

 

 

 

これは宇宙人?

 

 

私達シャーマンの間では、宇宙人や巨人についても、実在するものとして伝えられており、巨人に関しては、タイの洞窟内で3~4mほどの人骨が何体が見つかっているので、太古には本当に存在していたと思います。

 

地球の磁場が今とは違ったらしく、生物全般が今よりも巨大だったという説もあります。

 

 

また、宇宙人に関しては、ほとんどのシャーマン仲間が実在すると信じています。

 

 

ここで、いきなり巨人や宇宙人に話が飛んでしまったら、龍神信仰の話がどこかにいってしまうので、この話はいずれご紹介したいと思いますので、今後も続けて、龍神信仰や龍族についてお話していきたいと思います。

 

 

 

★ 龍族の女王源九郎とよさんのブログ


とよさんがタイに来る前に、神様から与えられた貴重な体験として、

源九郎稲荷神社という荒廃した神社を復興された

ことについては、その活動記録のサイトを立ち上げられています。

 

このサイトに掲載されているブログには、とてもたくさんの不思議なお話が紹介されています。

私のブログを読んでくださる方には、是非同時に読んでいただきたいと思います。

 

そして、とよさんがしてきたような小さな小さな活動が、多くの人の心に愛と慈悲を取り戻すことに繋がるのだと思っています。

源九郎稲荷神社~復興への道~
https://genkurou-inarijinjya.ne