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ニギハヤヒ命とは
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『日本書紀』や『先代旧事本紀』などに登場する神様です。
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天照大神の命を受け、天磐船に乗って大和の地に天降ったとされています。
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大和の豪族「物部氏」の祖神として祀られています。
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天孫降臨神話の中では、ニニギノミコトより先に天下った「饒速日命」が大きな意味を持っております。
籠神社(このじんじゃ)
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京都府宮津市にある丹後一宮。元伊勢とも呼ばれています。(日本三景・天橋立の付け根に鎮座しています)
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正式名称は「丹後一宮 元伊勢 籠神社」であり、「丹後一宮」というのは、丹後国で最も格式の高い神社という意味になります。
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主祭神は彦火明命(ひこほあかりのみこと)、別名で天火明命です。
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物部氏や海部氏など古代氏族と深い関係を持つ神社です。
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天照大神を伊勢に祀る以前に、一時的にこの地に奉安された(元伊勢)と伝わっています。
ニギハヤヒと籠神社との関係
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籠神社の主祭神「彦火明命」と「饒速日命」は同一視されることが多い。
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籠神社を奉斎した海部氏と、物部氏の祖神信仰がここで交わっている。
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したがって、ニギハヤヒと籠神社は「祖神を共有することでつながる」関係にある。
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神話的には、丹後の籠神社に祀られた神が、大和に天降って物部氏の祖神となったという流れで説明される。
★ 1つ目の理由~籠神社の主祭神「彦火明命」と「ニギハヤヒ」は同一神
※ 先代旧事本紀というのは、奈良時代から平安初期にかけて成立したとされる神道系の歴史書・氏族伝承書になるんですが、饒速日命を祖とする物部氏の系譜・伝承を詳しく伝える点が特徴の古伝書になります。
この書物に記されているニギハヤヒのとてもとても長い名前の中に「天火明」という文字が含まれていることから、
天火明命=饒速日命
同一神(あるいは強い習合)の最重要根拠とされているんです。
まず、この名前の表記が、天火明命=饒速日命とされる理由であり、籠神社とニギハヤヒとの関連性を示唆しているのです。
籠神社は、2000年以上続く、海神族の「海部氏」という一族の総本山になります。
すでにお亡くなりになってしまいましたが、第82代海部光彦宮司の時に、神社にまつわる様々な謎が発表されました。
その代表的な物が、彦火明から始まる海部一族の82代にわたる系図である「海部氏系図」です。
この系図は、国宝に指定されています。
そこで記されているのは
◎ 彦火明命はニギハヤヒと同一神である
◎ 加茂神社に祀られる神とも同一神である
◎ オオクニヌシの息子である
という驚きの内容です。
宮司さんの発表は大きなヒントをくださっていますが、ますます謎が深まった感がありますよね~
賀茂社に祀られる神は、私のブログでも取り上げたことがある「八咫烏」のことですよね。
さらに、大国主の命の子供とは?
アジスキタカヒコネ=事代主??(同一神という説があります)
であり、どちらも実は役職名は八咫烏? だと言われている神様です。
そして、籠神社には家紋が3つあり、そのうちの1つ、裏家紋とされるのが「六芒星」なのです。
実際には「籠目紋」と呼ばれているのですが、ユダヤともかごめ歌とも何か関係がありそうですよね。
また、籠神社の奥の院である「真名井神社」の由緒が書かれていた石碑には、この籠目紋とニギハヤヒ、奥様のイチキシマヒメの絵が描かれていました。
現在は、この石碑はないそうですが、源九郎とよさんが、真名井神社が好きで通い詰めていたことには、まだこの石碑があったそうです。
ということで、ニギハヤヒは籠神社とは深い関係があることは間違いがないようです。
この海部一族というのは海神族であり、私達、日本から流れ着いてタイや周辺東南アジア各地に住み着いた龍蛇族(ツキヨミ族)とは、同一の一族になると伝わっています。
なので、私達シャーマンの間では、海部一族は渡来人一族(厳密には日本から世界各地に散らばり、再び日本に戻って来た一族)であると言われています。
彦火明命が賀茂の神様と同一神だとすれば、さらに渡来人「秦氏」との関係もあると考えられます。
まだまだ、籠神社には邇芸速日命関連だけでなく、謎がたくさんあるのですが、そのあたりのことも含めて、続きは次回にご紹介しますね。
源九郎稲荷神社関連サイト
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