いつも見られるのと同じで、ガブリエル・ボリッチ大統領を筆頭にした体制の政治家エリートたちは、セバスティアン・ピニェラ前大統領に賛辞を捧げるために、現在進行中の深刻な森林火災すらも後景に退かしたようだ。

 

バルパライソ地方の広範な区域とチリのそのほかの地方が、ここ数日間の火災の猛烈な波によって、数百人の生命と住居、貧しい村々を襲っているとき、2月6日、ピノチェト主義者のセバスティアン・ピニェラ前大統領(74歳)は、かれ自身が操縦していたヘリコプター事故により、ロス・リオス地方のランコ湖で墜落し死亡した。

 

事故は正午過ぎ田舎のイリウエ地方、親族の一人の住居から、雨のなか飛び立ったときに起きた。飛び立って数分後、ヘリコプターは揚力を失い、墜落した。ピニェラは3人の家族と同乗しており、かれらは予期せぬ事故から脱出したが;しかし億万長者で前大統領は、機外に逃れることができなかった。

 

おかしなことにマスメディアの関心は、大規模な被災者を生んでいる悲劇から、急速に死亡したピニェラにの華麗な人生の詳細へと移っていった。1973年9月11日の流血の軍事独裁のおかげで、巨万の富を築いたこの人物についての。兄のホセ・ピニェラについては、軍事評議会(JM)によって採用され、チリ反革命体制構築の、主要な市民の一人となり、資本主義の新自由主義プログラム採用の責任者であり、これは現在まで続いており、破産した年金運営資金(AFP)システムの創設者であり、国家の財産と産業を民営化し、反社会的な労働法典を定めた。その目的は、1950年代から70年代にかけて、南米でもっとも強力で自覚的な労働運動を破壊することであった;一方でセバスティアン・ピニェラは、専制政治の金融的特権を享受し、この時代におこなわれた銀行での詐取の案件で、刑務所を免れたこともあった。

 

『フォーブス』誌によると、セバスティアン・ピニェラは30億ドル近い財産を持ち、国内外でも、もっとも裕福な個人の一人となっている。

 

かれは2度にわたり大統領の地位に就き、その間にその経済的立場を強めていった。最初はチリ社会の反動勢力の支援により、反民主的でほとんど違いの見えない、交互の2党政治体制のおかげで、ーまた米国のヘンリー・キッシンジャーと民主党と共和党のあいだで作られたーその後、かれは影響範囲を拡げていった。セバスティアン・ピニェラはチリの歴史で、2019年10月18日に始まり、数ヶ月間にわたった、「社会爆発」のあいだの人権侵害にたいして、その責任を取らなかったことによって記憶されるだろう。民衆の動員はコロナウルスのパンデミックが始まるまで続き、このときピニェラ政権は政党党派の大多数とともに、緊急事態、外出禁止、社会の統制をおこない、これにより反乱は弱まっていった。

 

人権関連団体とチリ国家自体の全国人権局(INDH)によると、社会爆発の期間中、ピニェラ政権は警察軍と治安部隊の要員によって、約40人を殺害した;平和的デモにたいして前例のない弾圧をおこない;無防備な人々、住居、民間建物にたいし戦争時の弾薬を使用し;拷問し、子どもたちに暴行を加え;約500人の顔面・眼を破壊し;刑務所を数百人の政治犯で一杯にした(そのうちいまだ収監中のものがいる。おこなわれない裁判を待っている)。総じて軍事独裁政権と同じように、数千人の人々にたいして攻撃し、人々の人権を踏みにじった。

 

ボリッチは3日間の国民の喪に服する日を布告するとともに、ピニェラを「偉大な民主主義者」と呼び、「民主主義の擁護者である、国家の人物」と呼んだ企業家団体(生産貿易会議所、CPC)と肩を並べた。キリスト教民主党のエドゥアルド・フレイ・ルイスータグレ元大統領は、「大きな情熱を持ってチリに奉仕しようとした」と述べ、社会党のミシェル・バチェレ元大統領も、「わたしはつねに、かれの国にたいする献身を評価している」と語った。これが現在のラ・モネダ宮の政権を構成する、政党を代表する調子であり感情なのだ。すでに社会は知っている。職業政治家たちが退場することを望んでいることを。ピニェラの死を、鏡を見るように見ているかれらが、やがてかれらが死すべき理由によって退場することを。

 

下では一般民衆は、ソーシャルネットや携帯を、ブラック・ジョークで一杯にした。はっきりしていることは、セバスティアン・ピニェラはアウグスト・ピノチェトとそのほかの人物と同じように、国民社会の大きな部分にたいする、人道にたいする犯罪、政治的責任にたいして、1分たりとも償うことなく死んだということだ。

 

不処罰がギャロップで走る。次の反乱までのあいだ、ということだ。

(通算4021) (RebelionのAndres Figueroa Cornejoの"Sebastian Pinera muere en accidente:otro que se fue sin pagar"による)

 

(foto:AFP)