神経外科医アリエル・アンリは、7月20日、ハイチの首相に就任した。殺害されたジョブネル・モイーズ前大統領は、死の2日前にかれを首相に指名していたが、ハイチの政党に支持されていたわけではなかった。

 

就任の宣誓をおこなったとき、アンリは国民に団結を、そしてともに「深みにはまる道を止める」努力をおこなうことを訴えた。

 

任命された首相は、対話と協議のみがこの時期に継続する政策の輪郭を決定することができる、そして社会変革の核心的決定、とりわけもっとも脆弱な生活条件について、採用していくと強調した。

 

モイーズの殺害後、アンリは与党テト・カレの支持を受けてきた。しかしこの姿勢は早期に溶けてしまった。

 

「アリエル・アンリ氏は、エゴイズム、限りない自己中心主義をしめした。合意した提案、最低限の国民的なコンセンサスがなければ、解決はないことを知らなければなりません」、医師であり政治評論家、ジャン・エノルド・ブトは言った。

 

「この状況で制度的カオスに入っているものは、誰であれ尊重に欠けているだけではなく、まったくの無責任だ。かれは何も解決することができないだろう」、ブトの言葉を、通信社スプートニクが伝えた。

 

アリエリ・アンリとは誰か

 

アンリは71歳で、フランスとハイチの大学で医師となり、行政の経験も持っている:モイーズの前任者、ミシェル・マルテリの政治的不安定な14ヶ月間、かれはその政府の一員であった。

 

2015年1月から9月まで内務大臣であり、その後2016年3月まで、かれは社会労働相を務めた。

 

これより10年前の2004年、ジャン・ベルトラン・アリスティド元大統領への強制辞任ののち、アンリは他の6人の人物とともにいわゆる「賢人会議」(CS)を結成、ハイチの暫定大統領に新首相を提案する役目を担った。

 

かれはその師であるセルジュ・ギルが結党したハイチ革命的進歩主義国民党(PNPRH)の、その後は民主社会党(PSD)の党員であった。この医師はまたハイチ社会民主主義連合(FSH)を構成するものに加わり、2014年までルネ・プレバル元大統領(1996-2001、2006-2011)が結成した祖国連合(UP)に加入していた。

 

医療専門職としては、1992年から1999年まで全世界福祉協会(SEB)の執行役員を率い、1992年から1996年まで人道ミッションのプログラムを担うアドラーハイチの副代表であった。

 

また2006年6月から2008年9月まで公衆衛生大臣であり、2008年9月から2011年10月まで人材相を務めた。

 

アンリは2010年の30万人が死亡したハイチ地震ののち、発生したコレラのパンデミックで、これに対応する医療当局の一人であった。この感染は、国連(ONU)の平和維持活動に起因するもので、公式数字で10,000人が死亡した。

 

2020年にはCOVID-19に対応する合同委員会のメンバーとなった。これは2020年3月から現在までに、19,553人が感染し、510人が死亡、3,000人以上が入院している。

 

同時にかれは、ハイチでもっとも著名な神経外科のバルナル・メブス病院でのサービスを指導している。

(通算3359)(Pagina12による)

原文はpresidenteと書いていたので、当初「大統領」と表記したのだが、その後、primer ministroとなり、「首相」に修正した。

 

(アンリ大統領。foto:EFE)