「マルクス・レーニン主義」政党代表候補の、驚くべき勝利は、ペルー農村部について無知ではいられないことを示している。しかしペルー左翼が、永続的な政治力を建設しようとするならば、より組織が必要である。

 

ペルー大統領選挙第1回投票は、今週恐るべき驚きを生み出した。ペドロ・カスティジョ、小学校の教師で左翼政党「自由なペルー」(PL)の候補は、現在の再集計で19%近い、しっかりした位置を占めた。この結果はリマと、国際的なメディア、通信社を驚かせた。より堅固で、あるいは都会の支持を得ている候補者たちの注意は、地方の有権者大衆について無知であった。そこではペルーの政治、経済の現状にたいする根本的な不満足があった。

 

カスティジョは2017年、当時のペドロ・パブロ・クチンスキ大統領の政府にたいする、教員の全国ストによって、その名声を高めた。今年の選挙のために「自由なペルー」にリクルートされたのち、かれは少数派の候補に過ぎなかった。わずかに1ヶ月前でも、世論調査でかれへの支持は、3%から5%にすぎなかった。しかしかれの討論会での行動は、世論の関心の中心へともっていき、他の候補者たちがかれへの攻撃を開始したとき、有権者たちのかれへのシンパシーは、より大きな支持を得ることに成功した。かれは選挙戦の最終段階で上昇していたにもかかわらず、マスメディアはかれの達成を準備してはいなかった。投票日の夜、CNNペルーはかれの写真を用意しておらず、得票結果に男性のシルエットを付けなければならなかった。

 

かれが代表する政党「自由なペルー」は、かなり不明なところが多い。それはフニンの前知事、ウラジミル・セロンによって創立、指導された。セロンはこの党を、「左翼社会主義ーマルクス主義、レーニン主義、マリアテギ主義」と表現している。その基本方針は、資源と工業の国営化、教育への投資の増加、1990年代に新自由主義と全体主義のアルベルト・フジモリ大統領が制定した憲法を廃止して、新しいものを制定することである。

 

ベロニカ・メンドサが代表する政治セクターとは異なって、彼女は2016年の選挙において第3位につけ、今回の選挙でも左翼の旗手となることが期待されていたのだが、「自由なペルー」は社会問題において、非常に保守的なことが際立っている。またこの党は、セロンが知事であったときの汚職容疑で、執行猶予刑を宣告されたことによっても議論が起こっている。カスティジョへの支持は、内陸部および南部、とりわけアンデス山岳部からきている。ここの住民は、もっとも貧しく、取り残されてきた。これとは反対にリマ市は、ペルー人口の3分の1が集中し、ペルーのそのほかの地域と比べて、より富んでいる。リマはラテンアメリカの他の大都市の多数と同じように右派で、中道リベラルから極右の候補者たちを支持する傾向がある。

 

これがペルーの農村部の有権者たちが、支配するであろうと予想されていた新自由主義のコンセンサスを、拒否した背景にある。「自由なペルー」は、大統領候補の第1位につけただけではなく、議会の議席においてもリードしていて、この記事を書いている段階で、130議席のうち37議席と第1党になる流れにある。これらの新しい議員たちは、政治的経験のないペルー人で、恐らく勝利するとは考えていなかったであろう。

 

リマの外の有権者たちが、政治家階級を驚かせたのは、これが初めてではない。昨年臨時の議会選挙において、「ペルーのための連合」(UPP)、これは先住民民族主義運動「カセレス民族主義者」と同盟して、刑務所内の反乱指導者、アンタウロ・ウマラに率いられ、南部で支配的に、13議席を獲得した。UPPが獲得した票は今回の選挙では消え失せて、その支持者の多くはカスティジョのほうに向かったものと思われる。

 

現在カスティジョの環境は、第2回投票に入っているのだが、それが良くなるというものではない。かれの対抗者はケイコ・フジモリ、アルベルト・フジモリの娘である。彼女は2016年大統領選挙においても第2位であった。しかし現在は大きな嫌悪感を持たれている。彼女がオデブレヒト汚職のスキャンダルに関連して、米国司法省から、「歴史上外国の汚職として最大規模」と決めつけられ、2回も刑務所に入ったことは、その第1回投票での得票を、40%から13%に減少させた。第2回投票に進むには充分ではあったが、世論調査ではいかなる候補とも、決選投票では敗れると予想されていた。

 

しかしながらペドロ・カスティジョは、彼女にたいしてどうか、あるいは他のいかなる候補者とも予想されていなかった。つまりすべての世論調査会社が、かれが第2回投票に進出するとは予想していなかった。この試合はいかなるケースも考えられる。フジモリはカスティジョにたいするにもっとも弱い候補者である。そしてかれは、彼女にたいして、もっとも弱いライバルである。つまりかれは保守主義が強いこの国で、極左を代表しているのだ。かれは彼女を、その父親との結びつきで批判することができるだろう。そして彼女はかれにたいして、ゲリラグループとの想定される結びつきを批判することができるだろう、センデロ・ルミノソとの。これは人権にたいする残虐行為が広く批判され、ペルーの社会主義にたいする長期にわたる告発となっている。

 

もしもカスティジョが6月4日に予定されている第2回投票に勝利するならば、統治は戦場となるだろう。新しい議会は極度に断片化されていて、多くの右派の政党が、議席のほとんどを支配している。最後の議会だけでも、罷免、あるいは圧力をかけて、3人の大統領を交代させた。それがペドロ・カスティジョにも及ぶであろうことを、かれがその課題を実行しようとするならば、そうなることを想像するのは難しくない。

 

そしてカスティジョと「自由なペルー」がもっとも得票を得たとはいえ、背後には真の政治運動を持ってはいない。その結果は、他のラテンアメリカの左翼運動のように、長年の組織化の結果ではない;多くの有権者は、カスティジョを最後の2週間のあいだに選んだ。ボリビア人が社会主義運動(MAS)を支持したのとは、あるいはブラジル人が労働党(PT)を支持したのとは違い、「自由なペルー」に投票した多くの有権者は、この党といかなる形でも一体化していない。かれらの支持は、次の選挙では消えてしまう可能性がある。

 

またその政治的構造、かれの新しい議員たちが、どのように規律性を持っているかもはっきりしていない。ペルーはいまだ、危機にたいして統一した答えをおこなうことができる、全国規模の強力な左翼に欠けている。もしもこれがないならば、反新自由主義の大統領は脆弱で、パラグアイのフェルナンド・ルゴ大統領に起こったように、非常に少数の同盟者しかいない議会によって、罷免されてしまった。

 

カスティジョの支持者たちはかれのことを、「ペルーのエボ・モラレスと紹介する」。共通するところはあるだろうがーもともと質素な農村の労働組合の指導者ー現実にはカスティジョは最近有名になったのであって、一方エボは数年にわたり、歴代の右派政府に挑戦を続け、2002年には失敗したが大統領候補となった。「自由なペルー」は、予想していなかった結果を生んだ小政党である。

 

カスティジョのこの党との繋がりは新しいもので、恐らく限られたものである。かれは候補者として登場したが、その主要な組織的な経験は、2017年の教員のストライキからきており、そして民衆レベルの指導者としては、SUTEPの組合以後に形成された。このストライキは党派的なもので、緊張があり分断されて、全国的な労働組合が合流するものではなかった。比べるならばボリビアの社会主義運動(MAS)は、何年ものあいだ労働組合と農民会議を組織し、統一した有力な政治組織を創立した。この組織化はMASに永続性を与え、2019年のクーデターにたいして、これに反撃し、権力を回復することを可能にした。

 

現在ペルー左翼は引き続き団結していない。ベロニカ・メンドサは2016年の支持の多くの部分を失ったとはいえ、いまだ「ペルーのためにともに」(JPP)として8%の票を持っている。この2つのグループのあいだには、重要な不一致がある。メンドサとJPPの多数は社会的に進歩主義者で、かれらの主義主張、たとえば同性間の結婚法制化への支持などは、カスティジョの「ジェンダー・イデオロギー」の批判として衝突する。この言葉はラテンアメリカの右翼、たとえばボルソナロなどによって使われるものである。メンドサの支持者たちはまた、カスティジョをデマゴーグと批判する。また真性の左翼ではない、たとえば財産にたいする税金に反対するなどを批判している。

 

「自由なペルー」とJPPは2020年の選挙に向けて、同盟の形成を試みたが、この同盟はJPPの支持者のほうから拒絶された。かれらはセロンの汚職の問題に反対し、この合意は取り下げられた。左翼の力を、一つの選挙から別の選挙へと、個別に試みる以上のものに建設するためには、これら2つの勢力の和解から始めなければならない。一方でメンドサは、カスティジョと議論したいと言っており、かれがオジャンタ・ウマラ元大統領のように、資本家の利益に屈することがないことを確認したいとしている。

 

社会主義の制度的権力を、何もないところから建設するのは、言うは易く、行うは難しだ。しかしもし行うことが可能であれば、左翼が取り組まなければならないテーマはたくさんある:リマと地方との格差、多国籍企業の濫用で大地が汚染されペルーの富が盗まれていること、終わりのない政治家の腐敗のサイクルと、それが人々に政治的動員の力への信頼を壊していること。これらの仕事は新しい憲法の編纂を推進することによって取り組み始められる。

 

可能性はエボ・モラレスに反対するものであった。しかしボリビアをよりよくすることができた。ペルーにおいても可能性は同じだ。しかし最初の仕事は、ケイコ・フジモリを第2回投票で打ち負かし、右翼全体主義の復権を阻止することである。

(通算3263) (RebelionのLiam Meisnerによる)

 

(急進左派、ペドロ・カスティジョ大統領候補。foto:Jacobin)