(N01221「オットー・ペレス、現職大統領として初めて逮捕拘束か」参照)


グアテマラのオットー・ペレス大統領は9月2日深夜、大統領職を辞任した。汚職による裁判を受けることになる。総選挙までわずか3日を残してのことであった。


ペレスは9月2日23時58分(GMT9月3日5時58分)、議会にたいして辞任届を提出した。大統領のスポークスマンであるホルヘ・オルテガが報道関係に送ったコミュニケのなかで明らかにした。


オルテガがAFPに説明したところでは、ペレスは「国の安定性を保持するため」、「大統領府が裁判プロセスから離れた姿勢を取るために」辞職した。


議会は9月1日、ペレスから不処罰特権を奪うという歴史的な決定をおこない、かれを裁判にかけることを可能にしたが、9月3日の午前7時(GMT13時)から、辞任を認めるための会議を持つ。


辞任を承認したのち、議会は緊急会議を招集し、このなかでアレハンドロ・マルドナド副大統領への引き継ぎを正式におこなうことになる。


数時間前、ミゲル・アンヘル・ガルベス判事は、大統領にたいする違法な共謀の罪、関税の不正と収賄で逮捕命令を発出した。オルテガによれば、ペレスは現在シティー東部の特別な地区の「家に」いる。


議会あてに自筆で書かれた手紙はこの国のメディアによって流されたが、ペレスは「冷静な態度で裁判が正しくおこなわれるよう臨んでいく」と主張している。「現在の状況と何よりも国家の利益を認識していることから、しかるべき裁判に応えて、それゆえ裁判所に出頭し、自分が正しいことをおこなってきたという確信とともに、自分の立場をはっきりとさせる」と強調した。


ペレスは64歳、この反乱鎮圧のエキスパートは、尋問のために午前8時(GMT14時)、最高裁建物内に、裁判官の前に出頭する、とオルテガは述べた。


検察のスポークスマンのフリア・バレラはAFPに説明して、ペレスが裁判所に出頭したときには、原告側は裁判過程への拘束を申請し、かれを未決刑務所に収監する命令を出すことを要求する。この措置が承認されるならば、かれは自動的にすべての職務を解任されることになると述べた。


‐!オットー、どろぼう!‐


明け方、辞任のニュースが公けに伝わるや、数十人のグアテマラ人が最高裁前で祝い、笛を鳴らし、スローガンを叫んだ:「オットー泥棒、パボンに行け!」。パボンとはグアテマラの主要な刑務所の一つである。


「市民がこれら社会運動のなかで、怒り、成熟を持続することはいいことです」、ノーベル平和賞受賞者リゴベルタ・メンチュは、憲法広場で語った。そこには祝いのために駆け付けた別のグループがいた。


AFPとのインタビューのなかで、メンチュは、グアテマラで現在起こっている社会的激動は、民衆の再生であり、国家の汚職にたいする怒りであると指摘していた。


ペレスの辞任はグアテマラ人が選挙で投票する3日前に起こった。ここでは大統領、副大統領、338人の市長、158人の国会議員、20人の中米議会議員を選出する。選挙は4月に明らかとなったいくつもの汚職からくる政治危機と、これにより引き起こされたこれに反対する大規模な抗議行動によって特色づけられた。


「暴力的な抗議行動の可能性を予防するために」、グアテマラ国連人権高等弁務官事務所は、9月2日、グアテマラ各地のチームが監視を続けることを声明した。


ー没落の大統領‐


ペレスは8月21日、検察と国連のグアテマラ不処罰問題の委員会から告発を受けた。かれがラ・リネアと呼ばれた関税システムから税金を逃れるために、経営者から賄賂を受け取っていたネットワークの頭目の一人ということであった。


同じスキャンダルによって、ロクサナ・バルデッティ副大統領は5月8日に辞職し、現在は未決刑務所のなかにいる。


ペレスの辞任の前、この国の最高の司法機関である憲法裁判所(CC)は、全員一致で、ペレス側からの捜査停止の申し立てを却下した。


「(ペレスにたいする)刑事追求があり、われわれは討論する。そのあと判決。わたしの評価では、わたしは事件を知っているが、有罪にならなければならないでしょう」、9月2日の早い時間、検事総長テルマ・アルダナはAFPとのインタビューのなかで語った。ペレスは2012年1月、大きな期待のもとで大統領に就任した。その約束は「透明な政府」、と暴力的犯罪にたいする「断固とした手段」で、この1500万人の国民が、36年間(1960‐1996)の流血の内戦ののちも苦しんでいるものだった。

(N01222) [AFPのHenry Morales Arana による]