[teleSUR による]


10月26日、メキシコ、ゲレロ州(南西部)イグアラ市におけるアジョティナパ教育学校生43人が行方不明となって1か月がたった。


学生の行方不明は9月26日に起きた。学生たちの抗議行動が各種治安部隊との衝突ののち終わろうとしているときであった。教育大生たちは、良く知られているように、地方政府が職の配分で都市部の学校を優遇するという差別にたいして抗議をおこなっていた。


テレスルは事件がどのように推移したかを日誌として提供する。


9月26日

大学生たちはポストの配分においてゲレロ政府が都市の学校を優遇するという差別を被ってきたことにたいして抗議行動をおこなった。教育大生がバスに乗り込もうとしているところを、治安要員はバスにたいして銃を発砲しながら襲いかかった。これにより6人が死亡、25人が負傷、43人の学生が行方不明となった。


9月27日

メキシコ人権問題全国委員会(CNDHM)はこの事件について調査を開始した。州警察は軍、連邦警察、省警察の協力のもと、イグアラ市における治安の指揮権を取った。ゲレロ州司法検察局(PGJE)はイグアラで起きたことは、市予防警察(PPM)による攻撃であったと報告した。同時に治安部隊は、学生を乗せたバスにたいして、武器による攻撃であったことを認めた。


9月28日

PGJEは学生たちにたいする攻撃のあと、警官22人が逮捕され、アカプルコに移送されたと発表した。


9月29日

イグアラのホセ・ルイス・アバルカ市長は、衝突についてはダンスを踊っていたので気が付かなかったと証言した。また学生の行方不明については一切知らないと断言した。


9月30日

アバルカ市長は30日の休暇を申請し、政治党派PRDを追放されたのち姿をくらました。数日の逃亡ののち、かれは自分のフェイスブックを閉鎖した。かれの妻、マリア・デ・ロス・アンヘレス・ピネダ・ビジャの家族は麻薬組織ベルトラン・レイバに関係しているが、やはり逃亡した。


10月1日

メキシコのエンリケ・ペニャ・ニエト大統領も、アムネスティ・インターナショナルも、43人の行方不明の学生を発見するために、「真剣で、偏らない、効果的な捜査」をおこなうように要請した。教育大生の発見を要求する、生存者、家族による行進が始められた。


10月4日

ゲレロ当局は、イグアラに近い岡の6つの共同墓地から、28の焼かれた遺体を発見した。州司法検察のイニャキ・ブランコは、遺体の身元の確認は、15日から2か月のあいだに明らかにされるであろうと説明した。


10月6日

州司法検察は、イグアラ市警察が組織犯罪と共同して襲撃を実行したことを確認した。麻薬組織ゲレロス・ウニドスを行方不明にかかわっていると告発した。ペニャ・ニエトは、正義を約束し、事件について「怒り、痛みと許せない」と表明した。治安関係閣僚に事件の究明を指示し、責任者の特定と法の適用を指示した。


10月7日

ビデオが公開されたが、そこではイグアラ警察の2台の車両が全速力で、教育大生が乗っていると思われるものにたいし走行する様子が見られる。


https://www.youtube.com/watch?v=wfSkfEaEFe0



10月9日

あらたに4つの墓地が発見され、また事件に関係すると思われるものが4人逮捕された。墓地からは焼かれた遺体が発見された。イグアラの虐殺を生き延びた教育大生が詳細を語る。


https://www.youtube.com/watch?v=W2yBb-4B5FI


10月11日

ゲレロ州(メキシコ南部)のアンヘル・アギレ知事は、無届けの墓地から発見された遺体は、学生とは一致しないと表明する。


10月12日

欧州連合(UE)は、学生にたいする暴力行為に懸念を表明するとともに、イグアラにおける暴力事件にたいして批判をおこなった。一方、ゲレロ州の首都のチルパンシンゴにおいて、約1500人が、行方不明となっている43人の学生の生きた発見を要求してデモ行進をおこなった。


10月13日

チピランゴにおける抗議行動は継続され、学生によりゲレロ州都の政府庁舎が放火された。この事件で重大な負傷者は報告されていない。5人の教官と2人の警官が軽傷を負った。


10月14日

イグアラ近郊で、地域警察が6つの新たな墓場を発見した。骨組みのなかにマリファナのカス、子どもの服、4カ所に骨が散らばっていた。ヘスス・ムリジョ・カラム検事総長によると、これまでに墓場で発見された遺体のいづれも、遺伝子検査によって学生とは一致しないと言明した。


10月16日

ペニャ・ニエトは、ゲレロ州の行方不明の43人の捜査に取り組む閣僚たちと非公式に会談をおこなった。


10月17日

ゲレロス・ウニドスの指導者が逮捕された。犯罪組織の最高指導者と見られるシドロニオ・カサルビアス・サルガドは、連邦治安部隊によって逮捕された。容疑者は教育大生を襲撃するように命令しなかったが、反対もしなかったと述べた。


10月18日

修道士アレハンドロ・ソラリンデ・は、イグアラの暴力事件の証人が話しとして、学生たちは生きたまま焼かれたと語った。また神父は、どこに遺体が埋められたかも聞いたと話した。


10月21日

ゲレロの自動車道路のいくつもの地点が封鎖され、デモ行進、見張り、ティクストラ市庁舎の占拠などが、9月26日の事件の真相を明らかにさせる圧力としておこなわれた。


10月22日

抗議行動者はゲレロのイグアラ市庁舎にたいして放火し、アジョティナパ教育大43人の学生の生きての発見を要求した。これによって誰も負傷するものはいなかったが、建物事務室の多くが損害を被った。PGJEは、イグアラ市長が妻の行事への妨害を阻止しようと、学生にたいする虐殺を命令したとして告発した。


10月23日

イグアラの地域警察は、この街の僻地で少なくともあらたに9つの墓場を見つけたと報告した。墓場には生徒の遺体が靴や、かばんや鉛筆などとともに土に埋められていた。あらたな墓場の発見の報告は、アンヘル・アギレ・リベロ知事がその職務への休暇を申請してから数時間後のことであった。ゲレロで総計38の墓が発見された


10月25日

ゲレロ州アジョティナパ教育大43人の行方不明問題に関係して、捜査に参加しているアルゼンチンの法人類学チームは、このイグアラ事件についていまだ報告をおこなっていないと言明した。(N01046)