(参考:0789「サンホセ鉱山事故生存の報道と事故の背景」)


最後の33人目は、リーダーであった、ルイス・ウルスア、54歳であった。かれの父はチリ共産党員、アウグスト・ピノチェト軍政のもとで行方不明となり、ふたたび会うことはできなかった。若いときから、兄弟5人の世話をして育った。ピノチェトの流れをくむ、セバスティアン・ピニェラ大統領が、かれに手を伸ばす。「二度とこのようなことが起きてはならない」、ウルスアが、ピニェラ大統領に言った。


10月12日深夜から始まり、10月13日21時55分ころまで22時間をかけて、チリ北部アタカマ砂漠、コピアポ近郊サンホセ鉱山の地下622メートルの、8月5日の落盤事故以来、69日/70日閉じ込められていた、33人の鉱山労働者の救出作業が終わった。


この救出作業は、国内をはじめCNNなど世界が実況中継を続け、テレビ・新聞が大きく伝えた。コピアポに集まった世界の報道陣は、1,700人と伝えられる。テレビのトップニュースであり、新聞はその紙面の多くをサンホセ鉱山の救出劇にさいた。それは感動のドラマであった。それではこの人口1,645万人、労働人口700万人の国で、2009年の1年間だけで、191、685件の労働災害が起こっている事実は、どれほど伝えられたであろうか。死者は443人、2010年の上半期の死者は282人である。あるいは、サンホセ鉱山労働者で、地下に取り残されることのなかった230人の労働者が、賃金の支払いもなく、このかんコピアポにおいて、3回のデモをおこなっている事実は報道されているだろうか。


チリはラテンアメリカを代表する、鉱山業の国である。輸出の58%を鉱物が占める。国内総生産(PIB)の15%が鉱山業である。石炭、金を産するが、なにより銅が世界一であり、その市場の40%をしめる。今後も200年は発掘できる埋蔵量であるともいわれる。1971年、サルバドール・アジェンデ大統領は、米国企業のもとにあった銅産業を国営化、国営銅会社(コデルコ)を設立した。


1973年のピノチェトのクーデター、1990年のコンセルタシオン政府も新自由主義経済政策を進め、鉱山は国内外の私企業に売り払われることになった。ここでは企業にたいする税金は世界でも最低水準、安全対策もなきに等しくなる。たとえばアントファガスタの鉱山、300のうち、277が規則を遵守していない。鉱山業はもうけの多いビジネスとなった。それでも、鉱山労働は、チリの最低賃金、月額262ユーロの3倍の賃金で労働者を集めている。


サンホセ鉱山労働者は、チリ鉱山労働者会議(Confemin)に加入している。コンフェミンはチリ全土で、中小零細も含め、18,000人の労働者を組織している。コンフェミンのネストル・ホルケラ委員長は語った。「鉱山労働者は英雄ではない。犠牲者なのだ」。1985年から2005年まで、公式に確認されるものだけでも、毎年平均54人が鉱山で死亡している。月産15,000から20,000トンの中規模鉱山は、もうけのためには安全対策をおこなう余地はない。


ピニェラ大統領は、労働安全対策を鉱山業に限らずおこなうことを約束した。労働組合にたいして?いやいや、マスコミにたいして。今回の事故に関して、全国地質事業局(Semageomin)への批判が強く、これを再編し、あらたな監督機関を設立することも約束している。しかし、4000以上の鉱山を、16人の監督官が監督するという現状が抜本的に変更されるものか、疑わしい限りである。


マスメディアの興奮のドラマが終わってのち、ネオリベラリスタ、ピニェラ大統領の約束を守らせるのは労働組合のほかにはない。(0841)


* この記事は、IPS, Rebelion, Le Monde diplomatique, El Pais, La Jornada, Pagina 12, を参考にしました。