余命を宣告されたとき、死ぬまでにやっておきたいことを決めようと決めました。
が、5年未満でできることと自分の体力を(当時抗がん剤治療をしてました)鑑みて、何が出来るか、はたと立ち止まってしまいました。
とりあえず、カラダが動く間に海外に行きたいと思いました。
海外旅行は以前にも考えたな、とは、ジョン・ケージ生誕100年記念ボックス(CD5枚)がフランスから届いたことで、心によぎったコトでした。
この世の未知の美しいものをできるだけたくさん見て、たくさん感動体験したいと思ったからでした。
大曲の花火、国内外不問の美術館もその候補にあがりました。
それと、できるだけたくさんの現代美術、現代音楽、小説、漫画、、、、、
今までの自分の生活の延長上にあるものも、リストアップされました。
でも、それよりも何よりも、遺言と墓を、自分の目の黒いうちにきちんと準備しておこうと思いました。
片づけをしているのもその一環です。
動脈塞栓術のお蔭様で、元気になった今でも、それは変わりません。
今まで何度かつづりましたが、立つ鳥あとを濁さず、の死に方がしたいのです。
死後、ハイエナが群がるように自分のいた場所を荒らされたくない、と思ったのです。
母の死後目の当たりにした、取れるものは取ってやる、のような醜い欲の集まりを、私は魂に感じたくない。
こうしてみると、私は、きちんと生きるということは、きれいに死ぬということだと考えているようです。
海外旅行以外では、どちらかというと生活の延長上にあることを大切にしていることと、きれいに死ぬことを目指してること、を考えると、
死ぬまでに出来ないと思っていたことに挑戦し、クリアしてゆくこと(それをいいなと思いましたが)は、私には難しいかもしれません。
目標の数が多ければ多いほど、目標の設定位置が高ければ高いほど、私は焦ってしまうのです。
カラダが追いつかず、もたもたしてしまうし。
せっかくの目標も、中途半端になってしまう可能性大です。
だから、私は、生活のできることをひとつ、ひとつ。
一日の生活を大切に。
大きな感動もあればよいけど、小さな感動を積み重ねる毎日を過ごしたい。
今まで以上に、日常生活をいとおしもう、と思います。
快適に毎日が過ごせるように、知恵をめぐらせようと思います。
とりあえず、ヨーク編みだけ残した、編みかけのセーターを完成させなきゃ。
それと、約束したピザを焼くことも今日の目標。

