道がわからなくなるのも、あるいは楽しいか・・・? | 拝み屋 中山英明の思い付いたまま日記

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日記を再開しました。
謂わば「私の瞑想録」、自分の覚えのために瞑想で得たイメージを中心に綴りますので、コメントなどへの返答は致しかねますことをご了承ください。コメント等は引っ越し先の日記(http://ogamiyanikki.blog.fc2.com)へお願いします。

今日はまた小山市内で1日を過ごすことになった。

 

小山と言っても結構広いが、今日の目的地は城南地区と間々田地区である。

 

市街地と工業団地、さらに隣の野木町で開発が進んで、数年前までは少々取り残された感覚の場所であったが、その分、ゆったりとした気分が味わえる部分もあった。

 

ところが、このところの変貌が著しいところとなり、しばらく前の記憶に頼っていると、どこにいるのかわからなくなる状態である。

 

開発が遅れた分、空いている土地があったことで利用しやすかったこともあるだろうが、警察署と消防署の移転先となり(その空いた土地を利用して市役所が新しくなったが)、さらに老朽化と新体制への移行が課題となっていた市民病院もこの地区に移転して、様子が一変している。

 

新しい道路も開通し、私の車のナビでは畑の中を突き進んでいるような状態になってしまったので、スマホのナビアプリを起動して状況を見た。

 

何とか土地勘を呼び起こし、古くからの施設などを頼りに動いていたが、それでも地元の方々にとっては邪魔な存在だったろう。

 

ただ、新たに移転した公共施設などを除けば、まだまだ土地に余裕があり、広々とした畑地の中に真新しい道路が伸びているという形である。

 

その分、広い敷地を要する企業の施設などができているが、商業施設などは見当たらず、市街地としての姿が見えるようになるのはまだ先のことだろう。

 

そして、かつて採取した波動がまだ残っているところも多く、今のうちに何度か出向くことも無意味ではないと思えた。

 

周囲が見えることで、多少道に迷っても記憶が蘇るので、こうして新たな土地の波動を感じ取るのも悪くないと思うが、それができるのも今のうちというところだろうか。

 

こんな機会を提供してくれたお客様には、ある意味で感謝しなければなるまい。