映画のジャンルに「スパイ映画」と言うのがあるかどうかは知らないが60年代に長編小説を読み出した頃から一番好きなジャンルである。スパイものの筆頭は何と言っても一連の007シリーズを指すのだがショーン・コネリーが引退した後のロジャー・ムーア時代はあの荒唐無稽さにかなり食傷気味だった。それがダニエル・クレイグがジェームス・ボンドを演じるようになって「正統派」スパイ映画として大復活している、、そうは言っても荒唐無稽さは引き継がれているのだが、、。

 

 

しかしながらこのジャンルは圧倒的にイギリスの伝統あるスパイものがアメリカ産より一歩も二歩も先を行っている気がする。アメリカンはふんだんに制作費を掛けた派手なドンパチは無論だが“ミッション・インポッシブル“シリーズに見られような作風が主流である。伝統的なイギリスのスパイ映画と言うと古くは“寒い国から帰ったスパイ“や“国際諜報局“など更には“裏切りのサーカス“のように一度見ただけでは理解出来ない地味だが本当にスパイの世界の実像に近いのではと思わせるような映画が多くそれらの功績はジョン・ル・カレに負うところが大きい。何だかんだ言ってもこれが一番の“大好物“である。

 

そんな英米では大きな差がある中でこの“スパイ・ゲーム“はアメリカ産らしからぬ実に信憑性のあるスパイ映画に仕上がっている。イギリスにはスパイの大元MI5 とMI6 がありこの部署が国の内外の活動を統括しているようだがアメリカの場合はそれがCIA と言うワシントンにある本部が世界中の活動を統括していてこの“スパイ・ゲーム“ではその内部で起きているパワーゲームの騒動を描いている。

 

時代設定は1991年、翌日に引退を控えたネイサン・ミュアー(ロバート・レッドフォード)は早朝、香港のCIA支局長からの連絡で急いで本部へ出向く。幹部らが作戦会議室に集まっている中で聞かされたのはベトナム戦争末期に自分がリクルートして立派な現場工作員として数々の手柄を立てたトム・ビショップ(ブラッド・ピット)が中国軍によって捕獲収容されてしまったと知らされる。

 

こんな展開からネイサンの現役最後の一日がスタートするのだ。ベトナム戦線末期、優秀な狙撃兵を育てる為に数多くの兵士のなかからビショップを抜擢し訓練、厳しい教育、と過去の二人の関係が明らかになって行く。フラッシュバックを挟み過去の二人が徐々に互いの信頼の度合いを高め友情を育んで行く様子が描写される。この頃のトニー・スコット監督は絶好調で兄のリドリー・スコットの一歩先を行ってた気がする。

 

兎に角、CIAの首脳陣も大統領府でも囚われたビショップの存在さえも否定したい訳で何とか此処は穏便に中国との関係を友好なままで済ませたいとの思いで溢れている。特にCIAの上級幹部を演じるチャールス(スティーブン・ディレイン)が実に巧い、、重箱の隅を突くように過去に実施されたミュアー&ビショップの作戦の実態とその成否を検証するのだ。そんな本部内の会議室から遠く香港島の近くに召還され拷問に遭っていると思われるビショップを救うのに残された時間が刻々と迫って行く。

 

 

この緊迫した展開の中でネーサンは何とかビショップを助けたい、その一心であの手この手で会議室に集まった一同の目を欺く行動に出るのであります、、この会議室でのやり取りも素晴らしいのだが頭脳明晰これまで数多くのCIAの作戦に従事し指揮をとって来たネーサンはどうやってビショップの命を救えるのかが一番の見どころと言えるだろう。更に言える事は同じ仲間を見殺しにすると決めた会議室の仲間たち、、やりたくても国益に反する救出劇は実施出来ない、そんな苦悩する全員vsネーサンの孤軍奮闘振りは実に素晴らしい。まさにこんなのが映画だ、と思わせるに足りる出来栄えには最後、感動までしてしまう。

 

そんなでアメリカ産のスパイ映画としてはこれには太鼓判を押したい。そりゃCIA内部事情に明るい人が見ればそんなアホな、、と言うかも知れないが少なくとも腕時計が爆発したりミューアの愛車、ポルシェがロケットを発射したりはしないのだ。