朝の5時からの野球中継が8時過ぎには終わってしまったので何気なく情報番組を眺めていたら”最近のアルバイト代は、、?”と言うトピックだった。そもそもコロナ規制が5類に引き下げられて多くの外国から観光客や国内旅行が活発になっている中で一番懸念されている事が人手不足らしい。

 

そんな人手不足を解消しようと募集をかけても全国平均では一時間あたりで1000円をちょっと超えるようだがコロナ禍で各飲食店は大量に人減らしを断行した余波なのか今じゃ時給2000円でもなかなかバイト要員が確保出来ないらしい。まあ昔からそうだが地域差が大きくやはり北海道と関東地域じゃお話にならない位の差があるようだが、、。

 

 

そもそも昭和の時代はバイトと言えば飲食店が一番手っ取り早く経験者ならもうその日からシフトに入って働いたものだ。それが今や時代の変化かネット環境で行える塾の講師とか採点係が一番人気のバイト先らしい。確かにこれなら勤務先へ通う必要もないし事前に勤務時間だって決められるので交通費も要らないしランチを買う必要もないだろう。

 

オーストラリアじゃマックの時給が10年くらい前でも20ドルを超えていたので企業の正社員として雇用されるより断然コスパは高かった。確かトレーニングにより支給額も増える制度があったので一気に3ヶ月働いて一ヶ月はプラプラしているなんて事も可能だったし飲食業やホテル業を自分の天職として将来的にも携わって行こうと志す若者は少ないので継続して生活費を稼ぐ手段とするのは容易だった。

 

そこまで考えてさてオレはどうだったのか、、?どうしても賃金は思い出せないのだが高校生の頃に初めて就いたのは日本料理屋のバスボーイだ。これは立派な英語で原語では busboy と書く。別にバスのコンダクターじゃなくて要するにレストランやホテル等の飲食店で下働きとして皿を下げたり洗い場へ持って行く役目である。ウェイターとなると注文を聞き、料理を運ぶのだがバスボーイはその助手として下働きに徹している。

 

当時のニューヨークじゃ一番の日本食レストランとあって連日連夜、満席で大きな3階建ての広い内部で走り回っていた、、確か決められていた賃金は低かったがチップが入る。実際にはテーブルを担当したウェイターやウェイトレスの取り分だがその中から我々にもおこぼれが回って来る。それにユニフォーム着用、住み込みで賄い付きなので必要経費はゼロ、お陰で二年間お世話になったが大分学費の足しにはなっていたっけ。

 

その後、日本じゃ大学へ通う間に某新聞社でバイトに励んだ。”坊や”と呼ばれる立場で庶務部配属として常時5~6人の雑用係が働いていたうちの一人、今と違って当時は当然の事ながら植字、型紙作成、印刷、配送と言う手順で社会部から政治部等々多くある部署の間を気送管が如く走り回る役目である。これも二年ばかり勤めたがその新聞社へは残念ながら入社するには至らなかった。さて時給は幾らだったんだろう、、?それだけは記憶から欠落している。

 

そんなバイト歴で賃金はそっくり忘れているが何処も楽しかった。仲間や上司とぶつかる事もなく出勤拒否にもならずまさに青春時代を謳歌していたんじゃなかろうか?