暗黒のモデル時代 | グッチのサイゴンせいかつ(旧:グッチのしゃんはいCook)

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2013年5月からサイゴン(ホーチミン)で生活しています。 グルメ情報、生活情報を中心に日々のあれこれを綴っています。2016年から愛知県在住。

時々、ふとamebloを書きたくなる。

急に昔を語りたくなった。

 

幼少期に否定ばかりされて育ってきた反動で、自己顕示欲が強めな私。

子どものころは「消えてなくなりたい」と度々思ってた(危ない危ない)

 

子どもの頃は漫画家になりたくて。

10歳から18歳まで、約8年間漫画を描いていたけど、結局諦めてしまい。

中途半端な状態で逃げてしまい、夢を叶えられなかった。

 

その後、知人のすすめで20歳のときだったかな、名古屋のモデル事務所に入り。

 

きっかけは、当時無職で美容院の受付バイトに募集したら、そこの方が「知り合いにモデル事務所やってる人いるよ。紹介するよ」と言っていただいたこと。

 

モデルにしてはブスだし、身長も高くないから(168cm)、結局、入所してた約3年間でヘアーショーの仕事を何度かもらっただけ。

 

売れてる人は仕事をバンバンもらってて、羨ましかった。

 

毎週ウォーキングのレッスンに行くたびに、自信をなくした。

 

でも、台湾にも支店がある岐阜市の美容院「ansleep」さんからお声がかかって、台北でヘアーショーに出たことは良い思い出になったかな。

 

ショーの前は、毎晩宿泊先のホテルの前の公園で歩く練習をしたっけ。いい思い出。代表の佐伯さん、お元気かな。

 

その後、自分の「極めたい」性格から、モデルを極めたくて、メイクとウォーキングを学びにバンクーバーのモデル養成学校に1カ月留学した(これが21歳のときで、初海外だった)。

 

その学校は今はなくなってしまった?ようだけれど、バンクーバーの観光名所・蒸気時計の斜め向かいに存在していた。

 

当時はフィリピン系カナダ人の家にホームステイさせてもらい、そこからバスで学校まで通っていた。

 

当時、同じホームステイ先に、韓国・大邱出身で同い年のミーという女の子がいて。

 

日本に帰国後、ミーを訪ねてソウルから大邱までひとりで行ったのもいい思い出(あ、話がそれてしまった)。

 

結局、やはり1カ月の留学じゃ、英語も美容のことも全然学べなくて。

日本に戻って再びフリーターをしていたけれど、悶々とした日々が続いた。

 

そこで、目をつけたのが上海にある東華大学のモデル学部(模特科)。

 

こんなこと言ったら「あなたがモデル学部に!?」と驚かれそうなので、これまで親友にしか言ってなかった(暗黒の歴史)。

 

ここで初めて公表するけれど、朝は他国の留学生とともに中国語を学んで、午後はモデル学部でウォーキングを学ぶという生活を続けていた。

 

中国では180cmぐらいある女性もザラで、私は完全にチビ。自信をなくした。

 

・・・ここでも途中で授業に行かなくなってしまい、モデルのことはフェードアウト・・・。

 

今考えても恥ずかしいなぁ。私は何でもすぐにフェードアウトしてしまう。

 

何者かになりたくて、結局なれなかった。

今は「中途半端でもいいじゃない。その人にはその人の良さがある」と思えるけれど。

 

今は主婦をしながら日本語教師をしている。

素敵な友達にも恵まれている。

これはこれで幸せだ。