「中国の歴史は4,000年じゃないよ!5,000年!」
安徽省出身の友人との楽しい世間話が一転、
私が「4,000年」を口にするや否や彼女はすごい剣幕で怒り出した。
あれ?中国の歴史って4,000年じゃなかったっけ?
どうやら中国人と日本人との間で歴史年数の認識に”ズレ”があるらしい。
私たち日本人には「中国4,000年の歴史~」というのが常套句である。
どこからこれが広まったのだろうと調べていると、出所は1981年に発売された明星の高級カップラーメン「中華三昧」のCMでキャッチコピーとして使われて以降だということが分かった。
なぜ明星のCMでは「4,000年」とされたのだろうか。
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そもそも、いつを起点に年数を決めているのだろうか?
歴史がある=記述が残っている、ということになる。
ならば、焦点は中国で最古の文字が発見された王朝は?時代は?となる。
中国最古の王朝は”殷(商)”。
殷は紀元前1,600年前の王朝で、亀の甲羅や牛の骨に刻まれた”甲骨文字”はこの頃のものだと云われている。
・・・となると”殷”を起点にし、約3,600年の歴史ということか。
しかし、殷の前には伝説上の”夏”という王朝が信じられていて(確実な証拠は現在発見されていない)、この”夏”(紀元前2,100年頃~1,600年頃)を起点に考えると4,100年の歴史、すなわち約4,000年の歴史と言っていいだろう。
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では、「中国4,000年の歴史」が正しいのではないか?
”殷”から起算するのは中国人に言わせると間違っている。
なぜなら、それより前には世界四大文明と称される”黄河文明”があったし、更にその前には「母系氏族社会(女性が家を守った社会)」が存在していたと云われているからだ。
これらの時代は文字がなかったのでもちろん記録されてはいないが。
試しにハルビン出身の友人にも聞いてみたが彼も「5,000年だ!」と言う。
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「じゃあ、5,000年前は何があったの?何を境に5,000年と言ってるの?」
私が問うと、二人とも答えに窮してしまい、
「百度(検索サイト)で調べてみれば?」と言われてしまった。
そこで”殷”以前の黄河文明関係を調べてみた。
「黄河文明=新石器時代」の事であり、主に前期・後期に分けられる。
それぞれ幾つかの文化から成り立っている。
前期(紀元前5,000年前頃)・・・・・・「仰韶(ヤンシャオ)文化」が主。
後期(紀元前3,000年前頃)・・・・・・「龍山(ロンシャン)文化」が主。
龍山文化の頃は既に穀物の栽培が行われていて、石器・土器なども使われていた。(但し都市国家、文字は存在していない)
前期の仰韶文化から起算すると約7,000年の歴史。
後期の龍山文化から起算すると約5,000年の歴史。
・・・と言うことは中国計算では龍山文化からということになるのか。
これで答えが出たかのように思えた。
しかし、新石器時代の”後半”から計算するなんて中途半端ではないか。
ならばもっと昔の”長江文明”や”母系氏族”を引っ張ってきたとしたら、
6,000年や8,000年の歴史になり得るではないか。
結局、「5,000年」と言われるハッキリとした理由が分からなかった。
愛国心が強く、自分を中身以上に大きく見せる中国人。
ならば、いっそのこと「中国の歴史は8,000年」と言い切ってしまったほうが聞こえがいいし、自国の文化に誇りを持てるのではないか?
しかしそう言い切れない理由があるのかもしれない。
なぜ「中国の歴史は5,000年」なのだろうか。
