例年の1月2日の恒例行事と言うと、正月の風物詩の「箱根駅伝」往路をゴールの芦ノ湖で応援をして横浜に戻り、翌3日は家の近所で観戦するのがこれまでの新年の過ごし方でしたが、
今年は伊豆高原に行かなかった為に往路の応援に慣れないからか、ヘリコプターの音が聞こえて外に出た時には既に選手は通り過ぎた後で、仕方無くチョコの散歩を済ませて家に戻りました。
と言う事で昨日の1月2日は例年と違い、夕方4時から友達と飲む約束をして居たので、11時前に慣れない電車に乗って新宿に向かいました。
新宿三丁目駅に到着したのは待ち合わせの16時には4時間も早い正午前と言う事で、「何でそんな早く出たの?」って話しですが、
誰もが知っての通り、僕はプロボクサーを夢見て上京したのが新宿と言う事で、車では通過しても歩く事は無い場所なので、取り敢えず待ち合わせ場所を確認して、47年ぶりに新宿駅東口から思い出を辿る事にしました。
当時はシンナーの売人が多く居て、植え込みの中には沢山のオロナミンの瓶が置かれて居た場所から西口に抜ける途中、
一度見たいと思って居たビルから飛び出しそうな猫を見てから、昔と変わらない細いトンネルを抜けて向かったのが「思い出横丁」。
ここは僕がバイトをして居た事もある思い出も多い場所で、以前は◯◯ん◯ん横丁と言われて居たくらい小便の臭いが酷い飲屋街でしたが、今は普通に夫婦連れやカップルが行ける雰囲気に変わって居ました。
そうこうして居ると雨が降ってきたので、以前住んで居た大久保に向かう為に歌舞伎町に足を向けます。
恐らくコマ劇場が在った場所と新しく建ったアパホテル以外は当時のままで、以前は24時間喫茶や同伴喫茶が多く、応援団が学生服で闊歩して居たのが印象的でしたが、
そんな人は今では一人も見かける事無く、当時を知って居る僕には信じられないほど安全な歓楽街となった歌舞伎町を抜け、上京して直ぐに会えたファイティング原田会長に紹介された住み込み三食付きのバイト先に行きましたが、当時の僕は全てが恵まれて居り、数年後には世界チャンピオンになる夢は約束されて居た感じでしたが・・・
住んで居た住居1階の中華料理店のバイトが悪かったのか、10代の僕にとっては本格的な賄いが驚くほど美味しく、結局は減量がきつくてボクサーを断念し、そこから料理人を目指して調理師学校に通ったり「渋谷パルコ」や横浜の「天理ビル」で修行をし、
何店舗か店を経営して今に至り、当時は今の生活を想像もせず夢を追いかけて居たなぁ、なんて思いながらゴールデン街を抜けて伊勢丹や無印良品で買い物をし、
そろそろ待ち合わせ場所に向かおうと思ったものの時間も早く、少し疲れたので軽くビールでも飲もうかと思いましたが、予約は飲み放題付きと聞いて居たし、何か食べるには時間も遅いので、「ガスト」のドリンクバーで時間をつぶそうと思ったものの、200席以上ある店舗は満席状態だった為に申し訳なく、サラダと安価なピザも一緒に頼んだところ、
500円だと言うのに想像を遥かに越えた大きなピザが運ばれて来て、後の事を思うと食べて良いのか悩みながらも完食し、待ち合わせ迄の2時間を「ガスト」で過ごしました。
そして友達と18時に合流し、昨年の30日以来となるアルコールを随分早いスピードで飲んでから、
2軒目は屋台村みたいなところで再び生ビールを飲み、結構酔ったので友達と早めに別れてから、
再び新宿駅東口に戻ったところで、カメラを肩に掛けた有村架純似の女の子に運命の出会いと思って声をかけたら・・・
どうやら日本語が通じないみたいなので得意の英語で、「何をしてるの?」「食事に行かない?」と聞いたところ、どうやら随分可愛いと思ったら香港のテレビ局の関係者らしく直ぐに空港に向かうからと断られ、
家に残したチョコの事も気になるので、歌舞伎町で声をかけてくれた人の良さそうな男性の紹介の店で少し飲んでから、何度か間違って改札に入ってしまったものの、何とか無事に戻って直ぐに寝た今朝の体重は、
これだけ歩いても「ガスト」のピザくらいしか食べなかったのが良かったのか、1.1キロ下がって72.6キロと言う結果になりました。
と言う事で、今朝は寝坊して食欲も全く無いので、明日は間違い無く71キロ台にはなると思いますが、正月だからと言う甘い考えは捨てて今日も油断せず、明日は最低でも0.7キロは落とせるよう頑張りたいと思います。