広島の原爆ドームといえば日本人であればこの画像を見ただけですぐにそれと分かると思うのですが、知られざる世界がたくさんこのドームにはあるのです。
一番よくみられる角度で撮影した原爆ドーム
(英名) Hiroshima Peace Memorial (Genbaku Dome)
(仏名) Mémorial de la paix d'Hiroshima (Dôme de Genbaku)
世界遺産登録年 1996年 ( 負の遺産)
平和の時計台は相生橋のそばにあります。
時計台からみたドーム
1915年8月5日、広島県物産陳列館として開館、チェコ人の建築家ヤン・レッツェル(Jan Letzel, 1880年-1925年)によって設計され、ネオ・バロック的な骨格にゼツェッション風の細部装飾を持つ混成様式の建物、日本で始めてバウムクーヘンを製造販売したことでしられている。その後1921年に広島県商品陳列所となり、1933年には広島県産業奨励館に改称されました。gucchiは産業奨励館だということは知っていましたがバームクーヘンが・・・しらなかった・・・。第一次世界大戦中のドイツの捕虜がその高度な製造技術を日本に伝えたらしいのです。映画「バルトの楽園(がくえん)」を見ていましたのですぐに理解ができました。主演は松ケンさんです。
世界遺産に登録される前に米国と中国は強く反対したそうです。大量破壊兵器か戦争終結か・・・その破壊力を試してみたかったのか・・・
建物内部とその周辺は瓦礫がそのまま残されています。
広島市は経済的に負担が掛かるなどの理由で原爆ドーム保存には消極的だった。しかし、1960年に被爆が原因と見られる急性白血病で亡くなった1人の女子高校生が「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろう」と記した日記を読み感動した平和運動家の河本一郎が中心となって保存を求める運動が始まり、1966年広島市議会が永久保存することを決議、ついに 世界遺産への登録となった。『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
gucchiが初めて訪れたのは小学生の頃、修学旅行だったように思います。「はだしのゲン」を見てショックを受けた記憶があります。
爆心地の島病院はドームから見て東南東方向にあり、厳密には爆風の力は斜め上からかかっている。そばで見ると、ドームの鉄骨が西北西方向に傾いているのが肉眼でもわかる。
小学生だった頃、小雨に濡れながら家に帰っていると「放射能で頭がはぐっよ!(禿げるよ)」とよく言われていました。後で考えてみると生まれ育ちが佐賀市なので長崎に投下された原爆の影響が20年以上経った昭和40年代にも言われ続けていたことになるのです。20年はアッという間かもしれませんね、平成も20年経ったのですから・・・。
ここに立っていると当時、熱線、爆風にさらされて前の元安川に水を求めて入り、その数、数万人とも言われていて想像を絶します。なんだかんだ現在でも、文句を言いたいことがあると思いますが、今の平和があるのもこうした歴史の犠牲の上にあることを感謝しなければ日本人として申し訳ない気持ちになります。