迷家 -マヨイガー
昨日はカゼが強かった。
高層マンションのベランダから、タオルがひらひらと飛ばされていく。白いタオルはカゼに煽られ、大空を無秩序にうねっている。そんな様をただぼんやりと眺めていたそのとき、ふと昔を思い出した。幼い頃、同じような光景を見た事を。小学校からの帰り道。昨日と同じ強いカゼ。自分を追い越していく白いタオル。面白がってタオルを追いかけた友達。おいていかれまいとその後を追う。いつの間にか追いかけっこになっている。二人だけの追いかけっこ。
友達は、小さな山の遊歩道に逃げこむ。二人は急な坂道をグングンと登っていく。もう少し、もう少しで手が届く。友達の背中が目前に迫る。激しい息づかいがあと僅かである事を伝えてくる。大きく振られた腕をつかもうとした瞬間、友達は大きく遊歩道を外れ、木々の中へ滑り込んでいった。躊躇した。出られなくなる程深くも大きくもない山だが、未知の世界へ踏み出すような不安が、一瞬頭をよぎったから。
しかし、不安よりも好奇心が勝る年頃。ぐずぐずしてはいられなかった。すぐさま木製の手摺を乗り越え、木々の奥に友達の姿を探す。その瞬間、小さな背中が闇の中へ溶け込んでいった。完全に見失ってしまった。おいて帰るわけにもいかず、薄暗い森の中を探して歩いた。どれくらい歩いたのだろう。何かに見入るように立ち竦んでいる友達の姿を見つけた。少々腹を立てながら近づく。その肩を少し強めにつかんだ。友達はゆっくりと振り向く。
何も言わない。ただ大きく見開かれた目が何かを語りかけてくるようだった。嗜めようと口を開きかけたとき、友達の肩越しに古い西洋風の建物が見えた。こんな山の中に洋館?くすんでしまった白い外壁、西洋のお城を思わせる尖がった屋根、窓にはステンドグラスがはめ込まれている。洋館から見て二人はガケの上にいる。だから二人が見ているのは洋館の2階部分ということになる。怖かった。頭の中は迷家でいっぱいだった。
迷家の中に入れば大きな幸運が訪れるかもしれない。もしかすると二度と出られないかもしれない。そんな事を考えていると、友達が腕をぐいぐいとひっぱる。行こうというのだ。泣き出した気分だった。でも臆病者と思われたくなかった。二人はガケを転がるように降りていった。洋館をただ無言で見上げる。くすんだ壁が覆いかぶさってくるような錯覚を覚え、いつの間にかお互いの腕を強く握っていた。
一度目が合い、前に向きなおり同時に歩き出す。洋館の入口を探した。恐怖や不安を超えた何かが二人の足を前へと動かす。僅かな物音が聞こえた。心臓が激しく高鳴る。服の上からでも胸の鼓動が見えるほどに。突然、犬に吠えたてられた。柴犬だ。狂ったように吠えまくる。べろべろよだれを垂らして、かなり頭がわるそうだ。中から家主が出てきた。家主は猛然と走ってくる。手に棒を持った家主が。
もう逃げるしかない。無我夢中で走った。あっというまに道路にでた。家主はもう追ってはこない。どうやらにげきった。友達を見る。柴犬以上によだれがドロドロとでていた。これもまた頭が悪そうにゼーゼーいっている。それにしてもこんなに近くに道路が。どうやら山を越えた反対側らしい。山すそを回っても5分程度のところを、3時間以上かけて山中を徘徊していたのだ。挙句の果てにただの民家を迷家を思い込み、不法侵入まがいの行為。
家主には棒で追い掛け回され、穴という穴から体液を出しまくった。帰り道、お互いこの事は誰にも言わないと堅い約束をしたっけ。大人になってから聞いた話だと、洋館の家主は大学病院の先生で、かなり変わり者だったらしい。とはいっても小学生を棒をもって追い掛け回すのはいかがなものかと思う。現代では立派な変質者だ。まあなんにしても無事でなにより。迷家の正体も、わかってしまえばこんなものだ。ただあの時の友達が誰だったのか、顔すら思い出せない。
一緒に山の中を走り回ったのは、いったい誰だったのだろう。
ドキドキスル事。
最近ドキドキする事がない。
昔は些細な事に興奮して、一喜一憂したものだ。野球の試合で応援しているチームがピンチの時はテレビを直視できなかったり、誰かが我が家に訪ねてきただけで大喜びしたり。
そんな気持ち、今はどこへいってしまったんだろう。なにかドキドキする事はないだろうか。そういえば階段を駆け上がった時にドキドキした。ああ、何も言わないで欲しい。
種類が違うことくらい分かっているから。
オダチン。
おだちんをあげてみたい。
子供の頃おつかいにいくと、なにかしらお駄賃をもらったものだ。もらう喜びは知っているので、今度はあげる喜びを味わってみたい。お駄賃をあげる瞬間を想像してみる。さぞ優越感に浸れることだろう。
あれ?お駄賃て何をあげればいいのだろう。もらった記憶があるものといえば、アメだったりガムだったりほとんどがお菓子だったような。今の子供はお菓子なんかで満足するのだろうか。
もしかすると現金を要求されるのかも。やっぱり1回¥100が上限だろう。¥500だったらどうしよう。おつかいした距離に応じた歩合制なんてコトも考えられる。
子供お使い協同組合なんてモノが組織されていて、要求に満たない場合は法的手段になんて話になったら大変だ。お駄賃をチって訴えられたなんて、近所で評判になったら外も歩けない。どうしたらいいのだろう。
今日は眠れない。
記憶にしか残らないモノだからこそ。
町を歩いていると、シャッターが下ろされたままの店がかなり多い。
ほとんどが潰れてしまっているのだろう。その中に、昔から好きだったペットショップがあった。店が好きといっても、店で出していた看板が好きだった。看板には「金魚・猫・ワンワン」と書かれていた。バツグンのセンスだ。
近いうちにこの看板も撤去されてしまうかもしれない。せめてこの目にだけは焼き付けておこう。写真は撮らないでおく。記憶にしか残らないモノだからこそ、よりいっそうバカバカしい。
間違った、美しい。
ブルースハープ。
部屋の片付けをしていたらブルースハープがでてきた。
かなり昔に買った記憶がある。懐かしさのあまりちょっと吹いてみた。ぷぺー。ホントになつかしい。今度は吸ってみた。しんじられない量のゴミが口の中いっぱいにひろがる。
ホコリっぽい思い出だ。
ドブ。
ドブに落ちた。
いったい何年振りだろうか。少なくともここ15年は落ちた記憶がない。天日に干して乾かしてみた。泥はカピカピになって、片方だけ黒い靴を履いているようになっている。乾燥した泥はパラパラと剥がれ落ち、わりとすんなりキレイになる。
そういえば子供の時も、ドブに落ちたときは同じ事をしていたっけ。頭ではすっかり忘れてしまっている事も、体が覚えていたようだ。それにしても体が覚えこんでしまうほどドブに落ちるなんて。どれだけうっかりしていたのだろう。
想像出来る域を超えている。
春ノ匂ヒ。
鼻がムズムズする。
花粉が飛んでいるらしい。だんだん冬の匂いもなくなって、今日はほんのり春の匂いがする。深呼吸してみる。ちょっと春の匂いとは違う気がしてきた。これはガスだ。ガスの臭いがする。
危険なので避難しよう。
オマケ。
オマケが好きだ。
個数やグラム売りのものを買った時、割増ししてもらえると天にも昇る気持ちになる。昔すんでいた町にある肉屋さんは、量や金額に関係なく、必ずオマケしてくれた。80円のポテトコロッケを一つ買うと、80円のカレーコロッケが一つオマケについてきた。家一軒買うともう一軒ついてくる勢いだ。
貧しく、その日の食費もままならなかった当時は、コロッケをつつんでくれるおばちゃんが聖者にみえた。今にして思えば、コロッケ一個の原価 っていくらだったのだろう。もしかしたら一個10円くらいだったのかも。いやいや、疑ってはいけない。
信じよう、肉屋さんの真心を、おばちゃんの愛を。