戦後75年の節目の今年、長崎には必ず訪れたいと思っていた。
当初は8月に予約を入れていたのだが、シゴトの関係で行けなくなってしまったのだ。
晩秋になり、ようやく実現出来た長崎行きである。
長崎といえば、やはり原爆。
当然のように長崎原爆資料館に行こう、と直前まで思っていた。
しかし、何度も訪れたことがある。
それ以外の戦跡もあるはず、とネットで探してみると、相当多くのスポットがあることを知った。
とりわけ、軍港として栄えていた佐世保方面に興味深い戦跡があった。
そんなわけで、今回の長崎では佐世保をめざす。
長崎空港内のレストランでちゃんぽんの昼食をとる。
長崎に来たからには食べたかったのだ。
そして、レンタカーで佐世保へと向かう。
ちなみに、オリックスレンタカーだったのだが、24時間で3千円だった。
安い。
途中、看板に誘われて寄り道してみる。
建物は閉まっており、見学は出来なかった。
最初の目的地は、こちらの浦頭引揚記念資料館だ。
引揚といえば舞鶴が有名で、訪れたばかりではあるが、ここ佐世保も引揚の重要な拠点であったのだ。
館内に見学客は誰もいなかった。
わずかの寄付金を箱に入れて、出る。
資料館の裏、小高い一角に碑が建っていた。
この家族が見つめる先は、海である。
資料館からクルマで下れば、ほどなくしてこちらの「引揚第一歩の地」に着いた。
約140万人もの人たちが母国への上陸第一歩を記した場所らしい。
この日は、釣り人が何人かいるだけでとても静かだった。
佐世保市内で1泊した後、翌朝は佐世保駅近くのこちらを眺めてみた。
この日のお目当ては、こちらの無窮洞だった。
第二次世界大戦当時、地元の国民学校の教師と小学生たちが掘った巨大な防空壕なのである。
受付の男性に声を掛けたら、ご丁寧に説明付きで案内してくれた。
ダイナマイトなどは使わず、手作業で掘ったというのは驚きである。
洞内は勉強出来る空間が確保されており、教壇まであった。
なんという時代だろうか。
今も大変な世の中ではあるが、当時の艱難とはまったく違うものだ。
成田に帰る便の出発時刻を気にしつつも、もう1箇所だけ訪れたい場所があった。
クルマでひた走る。
こちらだ。
「旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設」で、国の重要文化財にも指定されている。
真珠湾攻撃開始を知らせる「ニイタカヤマノボレ1208」という暗号文を中継した塔らしい。
3つの塔の平均の高さは136メートルで、遠くからもその姿がはっきりと見える。
本当は内部の見学もしたかったのだが、時間がないのでここも眺めるだけにとどめた。
事前にルーティングを真剣に考えなかったため、効率の悪い周り方をしてしまったが、駆け足ながらもいくつかの戦争史跡を見られたのは満足である。
戦後75年。
かつての佐世保引揚援護局の跡地は、今ではハウステンボスになっている。
大きな変わりようである。















