それにしても、新元号発表に関するこのお祭り騒ぎは何なのでしょうか。
スポーツの国際大会の試合もハロウィンも、すべて同じノリに感じられます。
みんなで「ウェーイ!」とはしゃぐことが許されるネタをお上から提供されて喜んでいるみたいな。
今回の「騒動」でそんな違和感をどうしても感じてしまうのは、前回の元号が変わったときの状況と大きく異なるからなのかもしれません。
昭和から平成に元号が移ることが発表されたのは、1989年1月7日土曜日のこと。
自分は高校2年生の冬休みでした。
その冬は苗場のペンションで住み込みでアルバイトをしており、冬休みの終わりとともにまもなく東京に帰る、という頃でした。
昭和天皇崩御という大ニュースに付随しての発表であったので、新しい「時代」が到来する、といったお祭り騒ぎとは無縁でした。
その日の日記が残っているので、あらためて読み返してみました。
まったく感慨もない1日だったようです。
休憩を終えて職場に復帰したとき、新しい元号をペンションオーナー一家に知らされたようです。
昼寝の邪魔を同じアルバイトの「小出」に邪魔をされ、幾分不愉快だったのかもしれません。
しかし、そのくらいのことだったのです。
景況感が6年3カ月ぶりに大幅に悪化したというニュースも、「令和」に飲み込まれています。
万葉集の注文が急増、って、どれだけ世の中には「時代」や「流行」に「敏感」な人が多いのかと不思議になります。
何を肴に呑もうが楽しもうが盛り上がろうが自由だと思います。
しかし、お上から与えられた肴にだけ食いつくということは、「自分」がないということではないでしょうか。
どうしても違和感が拭えません。