元覆面ルチャドール(プロレスラー)のブログ、と謳いながら、書いていることは酒や病気やお墓など、およそ不健康な中年オヤジそのものの話題ばかりであることに気づきました。
たまには「らしい」話もよろしいでしょうか。
数えてみれば、覆面ルチャドール「プリンシペ・オリエンタル」のデビュー戦からもうすぐ15年になります。
1998年2月8日(日本時間9日)日曜日、中米グアテマラの「アレナ・グアテマラ・メヒコ」という会場のセミファイナルの6人タッグマッチでデビューしたのです。
以前、このブログでも紹介したことがありますが、プリンシペ・オリエンタルのデビューを予告するプロレス紙『LUCHA』。今はもう廃刊になったらしいです・・・・・・
右の写真です。
アップ画像です。
いかにも怪しいですね(笑)。
試合の予告は、町中のポスターではなく、なんと手書きの立て看板。
下のほうに、デビューする旨が書かれています。
弱いことがバレバレのファイティングポーズ。
実はこのとき、相当に緊張していました。
試合前の記念撮影。
観客の子どもたちが勝手にリングに上がって一緒に撮影、という、とてもおおらかな時代でした。
当時、グアテマラの日本食レストランで知り合った旅行客や長期滞在中の人たちも応援に来てくれ、手作りの横断幕で応援してくれました。
そのときに出会った人の中で、いまだにお付き合いのある方も何人かいます。
ありがたいご縁です!
試合はとにかく大荒れで、苦手な場外乱闘の連続でした。
ルチャリブレはリンピオ(善玉)とルード(悪玉)がおり、自分はリンピオでした。
観客の興奮を煽るためには、ルードが悪の限りを尽くし、最後にリンピオが勝つ、というのが古今東西共通のお約束。
だから攻撃される時間も長いのですが、マジでつらいロープ攻撃。
観客はゴミや食べ物をリングに投げ込み、会場内は騒然とします。
それでよいのです。
一体感、まさにライブです。
3本勝負の最後はなんとか勝利し、デビュー戦は勝利しました。
しかし、プロレスにおいて勝敗はあまり関係ないのですよね。
重要なのは、いかに観客を楽しませるか。
今なら、ホスピタリティと呼ぶのかもしれません。
ある意味、おもてなしです。
しかし、それにはやはり厳しい練習があるからこそ、とも思います。
ちなみに、当日もらったギャラは30.5ケッツァル。
500円弱、といったところです。
それでも、嬉しかったのを覚えています。
最近のテレビCMで、プロレスラーになりたいという夢を長州力と戦うことで叶えている男性が出ていましたが、ロマンですかねー。
嫌いな人にはわからないでしょうが、こんな世界もまた、ワクワクするものなのです。
なぜルチャリブレを目指したのか、なぜグアテマラなのか、は、また気が向いたときに綴りたいと思います。
今宵は長くなってしまいました。
超ディープでくだらない話に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。