こんばんは。

ご覧頂きありがとうございます😊

 

本日も想像力と発掘良品の発掘⑯というテーマで

 

ルードヴィヒ 神々の黄昏(1972)

(原題:LUDWIG)

 

という映画を解説してみたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。

 

★発掘良品の発掘とは?

 
発掘良品とは、TSUTAYAさんによる新作・旧作、有名・無名、公開・未公開ではなく「面白い」を基準に作品をセレクトし、毎月紹介してくれている映画ファンたのための素晴らしいシリーズ。

本シリーズは、そんな発掘良品の全作品を5~6年かけてご紹介させて頂こうという超長期目標のシリーズとなっております😄

 

今月のラインナップはコチラ↑

 

 

 

上映時間240分の大長編!! 

 

本作は1972年に公開されたイタリアと西ドイツとフランスの合作映画。

 

と言っても日本で公開されたのは8年後の1980年!

 

1980年に公開された本作は上映時間が180分の超大作ですが、実はこのバージョンは大幅にカットされた短縮版であり、発掘良品にセレクトされているのは2006年に公開された240分の完全版!!

 

 

…え?長くないあせるあせる

 

と仰る方もいらっしゃると思いますが、ヨーロッパ屈指の内向的な統治者であったルードヴィッヒ2世の奇矯な生涯を描いた本作は、4時間でも短いくらいの衝撃的な内容となっているのです😨

 

船首像のような美しい飾りを付けた馬橇は

ルードヴィッヒ2世が実際に所有していた物!

まるでゲームやアニメのようです😅

 

 

 

アバウトなストーリー 

 

「キネマ旬報社」さんのデータベースによれば本作の解説は以下の通り。

 

時代は19世紀、若くしてバイエルンの国王となったルードウィヒが国家から退位を強いられ40歳で謎の死をとげるまでの狂気ともいえる孤独な半生を描く。

製作総指揮はロバート・ゴードン・エドワーズ、製作はルチオ・トレンティーニ、監督は「イノセント」のルキノ・ヴィスコンティ、脚本・原案はヴィスコンティ、エンリコ・メディオーリとスーゾ・チェッキ・ダミーコ、撮影はアルマンド・ナンヌッツィ、音楽はリヒャルト・ワグナー、ロべルト・シューマンとジャック・オッフェンバックのオリジナルをフランコ・マンニーノが演奏、編集はルッジェーロ・マストロヤンニ、美術はマリオ・キアーリとマリオ・シッシ、衣裳はピエロ・トージが各々担当。

出演はヘルムート・バーガー、ロミー・シュナイダー、トレヴァー・ハワード、シルヴァーナ・マンガーノ、ゲルト・フレーベ、ヘルムート・グリーム、イザベラ・テレジンスカ、ウンベルト・オルシーニ、ジョン・モルダー・ブラウン、ソニア・ぺトロヴァ、フォルカー・ボーネット、ハインツ・モーグ、アドリアーナ・アスティ、マルク・ポレルなど。

 

 

 

!!!

 

読点のない人名が羅列している文章は、ちょっと読みづらいですね汗汗

 

ですが、この解説では内容がさっぱり分からないと思いますので、もう少しだけ詳しく解説させて頂くと、本作の主人公のルードヴィッヒ2世は、絶世の美男子でありながら、人格的には超内向的で、対人交渉や外交などには全く不向きな人物。

 

逝去した父親の跡を継ぎ、18歳でバイエルン国王となったルードヴィッヒ2世ですが、多くの人々に祝福された戴冠式では終始無言で、式が終わった瞬間足早に部屋を退出してしまいます!!

 

戴冠式に出席したルードヴィッヒ2世は

美男子ですが人形のように無表情。

 

ルードヴィッヒ2世は式が終わった途端

何も言わずに退出してしまいます…

 

 

…という事は、ルードヴィッヒ2世は王位に就くのが嫌だったの?

 

 

 

いいえ。

 

彼は、バイエルン王になる事は拒否しませんでしたが、王の座に就いた後に行ったのは国政ではなく、までるおとぎ話の王様のような夢の王国の建造。

 

ルードヴィッヒ2世が即位して最初にやった事は、放蕩癖のある作曲家のリヒャルト・ワグナーを王宮へ呼び寄せ、未完だったオペラ、トリスタンとイゾルデを上演させる事だったのです!!

 

借金から逃げて回っているワグナーを見つけ

国賓として我が王宮へと連れて参れ!!

 

 

ワグナーの作る壮大な世界観のある曲に心酔していたルードヴィッヒ2世は、ワグナーに対して父親のように接しますが、金に汚く人の誠意を踏みにじるような性格のワグナーは、ルードヴィッヒ2世を金づるだと考え国費を湯水のごとく浪費し、遂にはバイエルン王国から放逐せざるを得なくなってしまいます…

 

ルードヴィッヒ2世に招聘され

贅沢三昧な暮らしをしているにも関わらず

貧相な生活だと文句を言うワーグナー。

 

 

まぁ、歴史上の多くの為政者が失策を経験して成長していますので、ルードヴィッヒ2世もワーグナーとのトラブルを通して、人間的に成長すれば良いのでは…

 

と思われるかもしれませんが、ワーグナーを失ったルードヴィッヒ2世は、より一層人間嫌いとなり、プロイセンとオーストリアとの戦争でオーストラリアの友軍として出兵しなくてはならない時も、前線に出向く事も兵士を鼓舞する事もせず部屋にこもり切りとなり、童話に出て来るようなノイシュヴァンシュタイン城、ヴェルサイユ宮殿を模したヘレンキームゼー城、白鳥の群れる地下の湖が入り口となっているアミューズメントパークのようなリンダーホーフ城の建築に、情熱を傾けるようになってゆくのです…

 

前線で兵士を指揮している実弟から

王として前線で兵を鼓舞して欲しいと言われ

絶対行かないと激怒するルードヴィッヒ2世!

 

そんなルードヴィッヒ2世が没入したのは

幻想の国にあるような城の建造。

これがリーダーホーフ城の城内(実物)!

 

 

 

さて、王としての執政も外交も軍事もすべて放棄して、夢の国に引き籠っていったルードヴィッヒ2世には、どんな運命が待っていたのでしょうか?

 

それは是非、皆さん自身の目でご覧になって頂ければと思います。

 

史上最も裕福な引きこもり

ルードヴィッヒ2世の明日はどっちだ!?

 

 
 
【私の感想】転生したらルードヴィッヒ2世だった件

 

皆様が作品をご覧になる楽しみを奪わないよう、これ以上詳細を書く事は差し控えさせて頂きますが、本作は普通の人とは感覚が異なるアウトサイダー的な気質を持った人間が、普通人として振る舞う事を強要させられた事の悲劇を描いたような作品。

 

恐らくですが為政者としての気質に恵まれず、個人的な嗜好に耽溺して生きていたいと望んでいたであろうルードヴィッヒ2世にとって、父の後を継いで国王として振る舞う事は、泳げない人間に遠泳強要するような所業ではなかったかと思います…

 

 

 

ルードヴィッヒ2世が唯一心を許していたのは、オーストラリア皇帝の妃だった従姉のエリザベート。

 

宮廷生活を嫌っていたエリザベートもまた、王族の中に居心地の悪さを感じていたアウトサイダーでしたが、ルードヴィッヒ2世とは異なり処世術を心得ていたエリザベートは、不満がありながらも宮廷生活に適応しており、その事もまたルードヴィッヒ2世の心を深く傷つけていたのです…

 


大好きな従姉は自分の唯一の理解者。

けれど彼女は自分と違って社交性がある上に

既に皇帝と結婚してしまっているため

ルードヴィッヒ2世が求めていた

心の支えにはなってもらえませんでした…

 

 

そう。

 

社会に自分の居場所を感じられないアウトサイダー・タイプの人にとって、社交性を要求される役割を担わされる事は本当に辛い事なのです…

 

 

 

私見ですがそんな本作は、もしマイケル・ジャクソンやジョニー・デップのようにな、他者と異なる感覚を持ったアウトサイダータイプの人が、バイエル王国の王に転生してしまったとしたら?と考えて頂ければ、理解しやすい作品かもしれません。

 

マイケル・ジャクソンが特異なダンスパフォーマンや映像表現でミュージシャンとしての役割を担ったり、ジョニー・デップが余人には演じられないようなアウトサイダーたちを演じる事で俳優としての役割を担っていたのと同様、童話のような世界に造詣が深かっルードヴィッヒ2世は、自分にしか作る事ができなかった幻想の城を建造する事で、王としての役割を担おうとしていたのかもしれないのです…

 

ベルサイユ宮殿の鏡の間のような

ヘレンキームゼー城。

ああ、これがルードヴィッヒ2世が考えた

王としての役割だったのですね…

 

 

 

尚、ルードヴィッヒ2世は狂王とか、メルヘン王とか、精神疾患の王であったと嘲笑されていますが、彼の作った3つの城は、今でもドイツの観光名所として、世界中の人たちから慕われているのです😊

 

みんな大好きノイシュヴァンシュタイン城を

作ってくれたルードヴィッヒ2世は

単なる狂王ではなかったのではないでしょうか…

 

 

 

 

 

という訳で次回は

 

家族を鑑賞!

というテーマで

 

家族の肖像

 

という映画を解説してみたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします😘

 

 

 

ではまた(*゜▽゜ノノ゛☆

 

★おまけ★

併せて観たい発掘良品作品!
「ベルベット・ゴールドマイン」

 

かつては自分にとっての理想の存在だった、ゲイをカミングアウトしていたミュージシャンは、一体何故、狂言自殺をした後、失踪してしまったのでしょう?

デビッド・ボウイが存命中に作られたジギー・スターダスト時代のボウイの半生を描いた本作は、多くを語らずに天に召されたデビッド・ボウイと、彼に救いを見出していた監督自身の心の中の想いが描かれた傑作として結実したのです。

 

その人間がどんな役割を担って生きていたのかは、死後にしか理解できないものなのかもしれません…